オバマ.B.H.Jr.とは

アメリカ初のアフリカ系(黒人)大統領
(2009年1月20日大統領に就任)
日本と政治経済とも一番関係深いアメリカの大統領の略歴を知っておくことは我々日本人にとっても重要なことである。そこで、簡単にまとめました。
◆I.プロローグ
オバマ Barack Hussein Obama, Jr. 1961〜 アメリカ合衆国の政治家。イリノイ州議会の上院議員および連邦議会の上院議員をへて、2008年11月の大統領選挙(→ 大統領制)に民主党候補として出馬、共和党候補のジョン・マケインをやぶり当選した。09年1月、アメリカ初のアフリカ系(黒人)大統領に就任する。
オバマはアフリカ系と白人の混血ではあるが、「奴隷の子孫」ではない
◆II.黒人貧困街での活動が政治哲学の原点
1961年、ハワイ州のホノルルで生まれた。父はケニア生まれのイスラム教徒、母はカンザス州出身の白人で、2人はハワイ大学で知りあい結婚した。父はイスラム教徒ではあったが無宗教に近く、オバマ自身はのちにプロテスタント(→ プロテスタンティズム)となっている。両親はオバマが2歳だった63年に離婚し、父はケニアに帰国した。人類学者だった母はインドネシア人地質学者と再婚して67年にジャカルタに移住、オバマは異文化にふれることになった。
1971年に母と継父が別居したため、オバマはホノルルへもどり、母方の祖父母のもとでそだてられた。地元の名門私立高校プナホウ校を卒業して79年にアメリカ本土にわたりロサンゼルスのオクシデンタル大学に入学。2年後にニューヨーク州のコロンビア大学に編入して、国際関係論を専攻した。85年にシカゴにうつり、黒人貧困街で生活支援活動をおこなう市民団体に参加した。この経験が彼の政治哲学の原点となった。
1988年にハーバード大学ロースクールに入学し、90年には、法律専門誌として権威のある「ハーバード・ロー・レビュー(法学紀要)」の編集長を黒人としてはじめてつとめた。91年に法学博士号を取得、92年に同じ大学出身で弁護士のミシェル・ロビンソンとシカゴの弁護士事務所で知りあい結婚、のち2人の娘をもうけた。
◆III. 雄弁さが全米に知られる
1990年代はシカゴ大学ロースクールで憲法をおしえる一方、公民権関連の業務にたずさわり、96年にイリノイ州議会の上院議員に選出された。オバマが一地方政治家から全国規模の政治家におどりでたのは、2004年の大統領選挙で連邦上院議員のジョン・ケリーを民主党候補者にきめた7月の民主党大会のときだった。そのときの基調演説者に抜擢(ばってき)されたのである。
基調演説での「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただアメリカ合衆国があるだけだ。ブラックのアメリカも、ホワイトのアメリカも、ラティーノ(ヒスパニック系アメリカ人)のアメリカも、アジア人のアメリカもなく、ただアメリカ合衆国があるだけだ」との呼びかけが、従来の黒人運動とはことなる、人種を超越しようとする新鮮な主張とうけとめられた。これが全米に中継されたことで、白人にも支持される黒人政治家としての評価が高まり、若さと雄弁さがあいまって一躍全米に知られることになった。
◆IV. 彗星のごとく登場し、大統領選挙に勝利
2004年11月には、イリノイ州選出の連邦上院議員選挙に当選、このあとの政治活動を通じて、08年大統領選挙の候補者におす声が地元を中心に高まった。07年2月に正式な立候補宣言をおこなったオバマは、民主党の有力候補ヒラリー・クリントン(クリントン元大統領夫人)と激烈な候補者争いの末、過半数の代議員を獲得、8月の民主党大会で正式に大統領候補となった。
Microsoftエンカルタ総合大百科2008より転載

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