職業・社会奉仕合同講演会
1月22日(土)PM2-4 京都テルマにおいて、2つの委員会合同の講演会が開催された。従来単独の例会であったが共通点が多いということで合同となったのであろう。当クラブからは10名会員が出席されました。とかく難しいといわれる職業奉仕について理解を深められたと思います。ロータリーでいう職業奉仕はシェルドンの理念そのものであり、何もロータリーが考えたものではない。
本年度の地区委員会主催のものは、IMにおいても、広報・雑誌、ロータリー情報、会員増強の合同委員会があり、ある程度的を絞った講演とか委員会での深い話ではなく、本当に委員会活動を活発にしたいとかというより形式的な2650地区の委員会となっている。
少人数のクラブと地区の予算など厳しい環境下ではそうせざるを得ないようになりつつある。
我がクラブは100名近くの会員を擁して財政的に苦しくないかもしれないが、他クラブの現況を見る限り一人一人もっと奉仕活動をすべきと思っている。
さて、本日の講演は、2007-08年RI職業奉仕委員会委員であり2700地区(福岡県の福岡西RC所属)の廣畑富雄PDGでした。彼の著書で2006年12月に発行された「
ロータリーの心と原点」に基づき講演された。詳しく知りたい方は是非その著書をお読みください。
日本のロータリー創世期においては、Serviceを「サーヴィス」と訳し、先哲は単に邦訳に「奉仕」という言葉を使わなかった。日本人が一般に使っている「奉仕」という意味と違っていたのだろう。
社会奉仕のお話というより職業奉仕を中心とされた講演で、四つのテストを目指すというよりそれを実践しているのがロータリアンであるといわれた。本当に実践されている方は一握りと思う。
職業奉仕と社会奉仕に関しては、医者が専門分野をいかして、たとえば無償の医療を行えばそれは職業奉仕でなく社会奉仕であると説明された。目新しい話でなく何も独自性のあるお話ではなかった。しかし、ロータリアンにとっていちいち区別して奉仕行動を行わなくても良いものと思う。区別したいのはその委員会であろう四大奉仕、本年度からは五大奉仕になっているが対象による区別であり、その行為にとっとは区別はないはずである。「
人への思いやり、寛容」であろう。今回の講演内容は、当クラブではすでに「新入会研修会」等で説明した内容を踏襲したものでありました。
職業奉仕が第一とか金看板とするのは、他の奉仕活動団体、ボランティア団体と区別をしたいロータリアンであろう。日本では表現はいろいろあるが、隣人同士の助け合いなど人としてずいぶん昔からあったことで、敢えて奉仕などというのもおかしな話である。
また、利益を追求するあまり倫理観などないと問題にするのは何もロータリーアンが強いて言うべきものでない。一方、「長いものに巻かれろ」などある程度利害関係を考えて行動しているのが現実であり、法を犯さなければ良いという解釈が大多数であろう。倫理は法律より人間としてどうあるべきかの問題であり、今日のお話では法的に問題があれば倫理に反するように感じ取れた。倫理観は個人的な問題で違法や適法という話の以前にあるものであろう。ミートソース、漢検のパストガバナーを非難することではない。「RI本部に25万ドル以上の寄付をした方は肖像画が掲げられている」と皮肉っておられたが、寄付金額でそうきめられているのだから仕方がないことである。肖像画を下すならその寄付金はどうするのだろうか?こんな話も思い出す、財団への寄付・基金の運用に軍事産業への投資など人道的なのだろうか?金利の高い運用を考えている方が重要視しているのだろう。また、基金の使い方もアメリカのRIがある州法にもとづきアメリカ国と友好でない国には財団の金は使われていない。
最近、法律を犯さない限りという風潮の方が多くなり、もめ事が裁判で決着という形をとっている。倫理は裁判する以前の問題で理不尽な行為があろうが裁判の結果しだいである。倫理観が高い、自分自身が判断するものであろう。
シェルドンの職業奉仕理論は、彼が実践した19世紀末から20世紀はじめ実体経済下の話であるが、あれから100年もたった今、技術革新、また新々修正経済において通用する者であろうか。実体的なものがなく金融の金利をむさぼる人類・・・職業奉仕もそれを実践しているものが本当に成功を修めることができるのかは疑問符がつく経済構造になってきている。
いまは、30年もその仕事が続けられたら老舗であろう。四つのテストを実践するだけでは繁栄を続ける職業は少なくなっている。
現に、高田の商店街が一昔前は栄えていた街並みも、「三方よし」とかを決して実践していないわけでもないが継続的な商売ができなくなっている。何がそうさせているのか?時代の変化を敏感に感じ取れない者が滅んでいくようだ。
奉仕団体として、何を求め何を実践すべきか考えなければならない。

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