南相馬市原町区北泉  震災

遺跡調査でやまがっこうさんが南相馬市入っておりますので、先日ちょっとお邪魔して来ました。

調査地点は南相馬市原町区北泉。
東日本大震災時には津波が押し寄せた谷津田脇の小高い里山。

地盤沈下した水田の嵩上げのために近くの山を切り崩し、その土を運びます。
切り崩す山にかつての製鉄跡があるので、やまがっこうさんはその遺跡の調査に入っています。

狭い山道には3年前の津波が運んだ海砂が残されていました。
土砂やガレキは除去され、一見災害の跡地とは見えません。
それでも足元には海砂が。

泥が運び去られた後に何度も雨に洗われた海砂は、すでに白くきれいな砂になっています。

昨夜は震災直後の3月12日朝から撮影した写真を見て過ごしました。
あの時の情景を写真で見て想い起すと、よくまあこの3年でここまできれいにしたものだと思います。

重機類の活躍はもちろんありますが、人の手の働きにも驚かされます。

南相馬市は鹿島区、原町区、小高区の3区から成り立っています。
原発事故の影響で、原町区の南部海岸や小高区の復旧はようやくこれからですが、まずはガレキを片づけることから始めねばなりません。

来年の今頃はガレキ処理が一段と進んでいることを期待しています。
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今日の写真はすべて、2011年3月14日午後2時をちょっと過ぎたころの、南相馬市原町区北泉の様子です。

直進でかつてのシーサイドパーク北泉海岸、左折すると新しく作った広い道を通ってシーサイド公園に出る、県道260号線より東へ進んだ道の交差点。
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北泉海岸から打ち寄せた津波で水没している県道260号線。
右方の切り通し斜面を見ると濡れた線が水平に残っていて、津波直後はさらに水位が高かったことが分かります。
水没直前を左折して入った先が、今回やまがっこうさんが調査に入っている天化沢(てんかざわ)遺跡です。
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北泉シーサイドパークがあったあたりは、見事なクロマツの古木の林があったので、このあたりにはマツの巨木が根こそぎ流されてきていました。
写真正面奥の民家がある所は水田や道よりも一段高くなっていますが、この民家も流されはしなかったものの、家の中は津波で壊滅状態でした。現在は生活再開しております。
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旧相馬藩は海岸にクロマツ、また内陸の道にはアカマツをたくさん植えました。
今回の津波では海岸林を形成していたクロマツはほぼ全滅、流失です。
こうした巨木が流れ寄ったことでなぎ倒された家屋、建築物がかなりの数を数えました。
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県道260号線水没個所地点を左折したところにある谷地田というか、サクの様子。
サクの奥の奥まで津波水が埋めつくしていました。
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あの時の泥津波が海砂を運び、今となっては雨に洗われ白く無機質の清潔さで遺され、やがて地層となってゆく年月を想うと、出遭った数々の悲惨な光景もあらためてしっかり胸に抱き、歩いてゆけそうに思います。






2014/2/26  17:39

投稿者:ohtomo

>震災直後の3月12日朝から撮影〜

報道カメラマンですね
私も行きたかったが、なんせガソリンが無くて行けなかった
苦労して入れた10リットルのガソリンで相馬を訪れたのは3月26日だった

とりあえず、相馬バイパスを走った
パイパスから見えないはずの海が見えて驚いた、松川浦手前まで行って歩道に乗り上げた漁船、和田の観光いちご園を見てすぐ引き返した
とても津波の後片付けしてる人見ると、カメラ向ける気にならなかった
磯部にはその後、何度も足を運んだが、夏ごろまでそのままの状態でしたね

それにしても、福島⇔相馬のR115は無傷でした
どれほど初期の復興に役立ったか
その霊山道路も相馬⇔小国(霊山町)間は平成29年度開通目指してるそうです

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