陽光(桜)  植物

曇りです。

底冷えではなく花冷え。背中あたりが嘘寒い感じ。

磐梯吾妻スカイラインは本日が再開通予定でしたが、積雪のため延期になりました。

冬用タイヤの交換も、もう少し延ばそう。

今日はヨウコウ(陽光)の記事です。

陽ざしのことではなく、桜の品種名です。

こちらのソメイヨシノも今日あたりから花吹雪でしょう。

相馬地方ではソメイヨシノと花期がほぼ同じヨウコウもそろそろ終盤です。

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ヨウコウは最近、人気種らしく、ホームセンターにはたくさんの苗木が入っています。

車で走れば、あちこちで特徴ある濃いピンクのサクラが目につきます。

ヨウコウはアマギヨシノ(天城吉野)とカンヒザクラ(寒緋桜)の交配から生まれました。

アマギヨシノはソメイヨシノ系統、カンヒザクラは台湾原産のサクラです。

作出したのは高岡正明氏(愛媛県)で、25年もの試行錯誤の成果です。

一重、大輪、ソメイヨシノの弱点であるテングス病など、病害虫に強い特徴があり、1981年に種苗登録されています。

ガクに鋸歯はありませんが、上部に裂込みが入るケースが多々あります。

小花柄には微毛が密生します。

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作出者の高岡正明氏は第二次世界大戦中、青年学校で教鞭をとっており、多くの教え子を戦地に送り出しました。

しかし、戦死して帰らぬ教え子も多く、「お国のために・・・」と送り出した身である悲しみ深く、戦死者を悼み、冥福を祈るため、平和の象徴として新しい桜を作出することを決意。

正明氏の死後、ヨウコウは子息である照海(てるみ)氏により、現在も無償で提供されているということです。

この経緯は『陽光桜 YOKO THE CHERRY BLOSSOM』 として映画化されています。

話しが90度くらい変わりますが、高岡正明氏は塩業にも深くかかわりのあった方で、「伯方の塩」の初代社長でもありました。

現在の私たちは自然塩を当たり前に使っていますが、日本の塩の製造、流通には以前、大問題が起きたことがあったのです。

1971年に起こったことですから、ほんの50年前。

当時のことをご存知の方もまだたくさん生きていることと思います。

政府が「塩業近代化臨時措置法」を成立させ、塩田塩の製造、流通を全廃させたのです。

つまり、古来より塩田で作って来た塩の作り方は古い製法なので、近代的に化学的な製法で作った塩を「塩」とする。明日からは塩田で塩を作ってはならないという「法律」です。

塩は塩化ナトリウム99%以上の過精製塩 = イオン交換膜製塩 = 真っ白な塩 が「塩」であるという法律です。

現在では、こういう真っ白な塩は健康には良くないと知られていますが、当時は真っ白な塩の方が良質な塩と判断する人も多くありました。

しかし、伝統の製法で塩作りをしてきた人々は、こうした真っ白な塩に危惧を抱きました。

そうして愛媛県松山市から「自然塩存続運動」が起きます。

5万人の署名を集め国会や関係省庁に請願します。

この存続運動では塩田を残すことはできませんでした。

1973年になって、専売公社が輸入するようになった天日塩田塩に限り、国内でも塩田を再生して作る方法に限り製造許可が下ります。

これが「伯方の塩」です。

高岡正明氏はその初代社長に着きました。

この措置法が廃止になったのは、ほんの20年ちょっと前の1997年です。

現在は個人でも海水を汲んで塩を作ることができるようになり、海辺や道の駅で地場産土産で販売されたりしています。

自然塩と精製塩では、舐めただけでもミネラル成分のありなしからか旨味が全く違います。

漬物などではその旨味のありなしがもろに反映されます。

ヨウコウの話しのつもりでしたが、遠く自然塩のエピソードにたどり着いてしまいました。

追申:話をまた90度戻して、ヨウコウの話し。

ヨウコウは「愛子桜」として植樹提供される場合もあります。
この呼び方は歌手の桜季愛子さんが、敬宮(としのみや)内親王ご誕生の折(2001年12月1日)、命名が自分と同じだったことに感激し、ヨウコウを愛子桜と呼ぶことにしたそうです。高岡正明氏の御遺志を継ぐ照海氏に了解を得たとなっています。
念のためですが、皇族はそれぞれお印を授けられていて、愛子さまのお印はゴヨウツツジです。



2020/4/11  9:19

投稿者:やまがっこう

カエデさん おはようございます

おっしゃるとおり、相馬地区工業団地開発関連で発掘調査を行ったの
は、新沼地区なのです。入浜式塩田と塩釜の貴重な遺構が確認されま
した。それによって江戸時代の製塩技術を考古学的に確認することが
できました。

塩の道も、福島県教育委員会で調査報告がなされていますが、山越え
の険しいルートがありますよね。塩の道は、古代からの福島県の東西
を結ぶルートをふまえている可能性が高いので、これからも保存して
ほしいと願っています。

僕は、カエデさんの弟様の同級生だった寺島さん(故人)と言う方と、
昭和57年に新沼地区から新地町にかけて遺跡分布調査を行い、広大
な範囲に製塩遺跡が存在することを知ることができました。今では懐
かしい思い出です。相馬火力発電所や国道6号バイパスが出来る前の
風景が目に浮かぶようです。

ウイルス感染がおさまりましたら、和田地区の塩釜神社の玄番様の石
碑を拝観したいと願っています。

貴重なご教示ありがとうございます♪

2020/4/11  8:20

投稿者:カエデ

やまがっこうさん

おはようございます。
前のコメント中「玄馬」は「玄番(げんば)」です。
訂正をお願いいたします。

2020/4/10  21:36

投稿者:カエデ

やまがっこうさん

こんばんは
最近、ヨウコウがけっこう目立つようになってきました。
カワズザクラのピンクとはまたちょっと異なりますね。
こちらでの塩田調査は、相馬市の新沼あたりだったでしょうか?
現在、火力発電所になっている一帯は、以前は湿地でした。
それ以前は塩田だったと父から聞いております。
塩田だったところを水田に干拓しましたが、やはりむずかしく、放棄されて湿地状態に戻ったということです。
塩の製造方法が禁止になり、その頃に水田に変えたのかもしれませんね。
日本では塩の山や塩の湖とかありませんから、海水から塩を作らざるを得なかったのでしょうね。
裏磐梯のような山塩のとれる所もありますが、絶対量がわずかですからね。
私の父も自家用の塩を塩田勤めの人に教わって作ったと言っていました。
塩田があった新沼には火力の近くに、今も塩釜神社が残っています。
和田地区にも塩釜神社があり、そもそも旧相馬中村藩に塩の作り方を教えた玄馬という人の墓と石碑が祀ってあります。
和歌山の方から流れてきた人と聞いております。
相馬藩は二本松とか会津の方に塩を運んでおりまして、山に入ると当時の塩の道が残っているところがあります。

2020/4/10  21:13

投稿者:カエデ

あねさま

こんばんは
桜といえばソメイヨシノを見て育ったようなものですから、私たちの世代の多くは、ソメイヨシノが無意識のうちにも基準になっているのかもしれませんね。
私も同じくソメイヨシノはさすがと思っています。
ヨウコウの色の濃さはカンヒザクラの遺伝子を引き継いでいるからなのでしょうね。
想うに、作出者は戦地に消えた若い命が、もしも平和な世になった今、ここにいたらと思ったのかもしれませんね。
若い命のにぎやかともいえるはしゃぎや、はじけるような影のない笑顔、笑い声とか、そこにいるだけで周囲が明るむような、そんなイメージだけを見ていたのかもしれませんね。
戦地に散った桜はソメイヨシノやヤマザクラであってはいけないような、そんな思いもあったのかもしれません。

2020/4/10  19:29

投稿者:やまがっこう

カエデさん こんばんわ(^^♪

美しい桜ですね。この桜には、そのような歴史があったのですね。

我が家でも、先祖様の霊位にお供えする塩として「伯方の塩」を供え
ています。神主様から、お供えする塩は自然塩がのぞましいと言われ
たものですから、いろいろ探して「伯方の塩」にしています。

相馬市から新地町にかけても、江戸時代には大規模な製塩事業が行わ
れ、僕たちも発掘調査を行いました。文化庁の調査官の方の話では、
今だったら国指定史跡になるくらいの貴重な近世製塩遺跡とのことで
した。

今、あらためて自然塩の良さが見直されていますね。

2020/4/10  16:42

投稿者:へこきあねさ

ヨウコウより、ソメイヨシノの方が、華やかで儚げで
いい感じ、と軽く思ったのですが、作者のそんな意図が
あったと聞いて親和感を持ちました。
また、塩の製法にそんな歴史があったなんて
知りませんでした。 
「お上のいうことはごもっとも」的な風潮に敢然と
立ち向かって「自然製法」を守った人たちも素晴らしい!
そんな歴史をこれからもぜひ伝え続けてください。

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