白い人 エッセー
白い人(六月十五日)
この頃テレビを見ていると、色白の女性が増えていることに気づかないだろうか。
女性は老いも若きもどんどん白くなって、それこそ抜けるように白くなってきている。
それほど厚化粧でなくても、顎から首筋の白さがきわだって、花魁のように見える。
ほとんど銀色に光るパウダーを、眉の上下、額、頬骨にハイライトとして使う化粧方法も関係しているようだが、それ以前に皮膚そのものが白くなってきている。
つまり、皮下のメラニンの層がなくなりつつあるのではないだろうか。
つい数日前も、テレビを見ていてびっくりした。
ある高名な女性登山家が、今ふうに抜けるように白くなって出ていたのだ。
彼女は登山家だから、強い紫外線にさらされ続けた肌を持っていた。
テレビでは、ほかの女性たちと並ぶと、どうしてもその黒さが目立っていた。
でも登山家なのだから、それは仕方がない。当然である。
それが今週はすっかり白くなって出ているのだから、びっくりもするだろう。
テレビ写りはすっかり良くなって、まるで四六時中屋内で働く、看護婦か美容師のような印象だった。
買い物に行くと、美白化粧品がいっぱいだ。
最近の化粧品は界面活性剤が入っていて、一旦、皮膚のバリア機能を破壊してから、ビタミンCなどを入り込みやすくしている。
だから、美白化粧品を使っている場合は、日焼け止め化粧品も併用しなければならない。
その他に、現在は三十分くらいで白くなる美容技術もある。ある種の光を照射して、皮下のメラニン層を破壊、分解してしまう方法だ。
この技術を取り入れている美容形成外科は、一年以上先まで予約がいっぱいだそうだ。
本物の白色人と並んでも、日本女性の方がもっと白い皮膚を持っているという、奇妙な現象がそこここに起きている。
このままでゆくと、日本女性は白い肌を持った黄色人となる日も、そう遠くないような気がする。
マイケルジャクソンは、「免疫機構が狂って白くなった」と言っていたような気がするが、彼もこの白色化技術を試してみたのかもしれないなあ。
個人的には、マイケルは黒かった時の方が、ずっとチャーミングだったと思う。
日本女性が白くなってきているのに比べ、日本男性は逆に黒い皮膚を追及しているようにも見える。
俳優や若いお笑い芸人でさえ、まるで冒険家のように日焼けした顔をしている。
女性はなぜ白い肌に憧れるのだろう。
「美しくなりたいから」という答えが聞こえてきそうだ。
では、白い肌はなぜ美しいのだろう。
『白い人』『黄色い人』『アデンまで』は、故遠藤周作氏の小説で、三部作のように取り上げられることが多い。
「白」や「黄色」は、もちろん皮膚の色のことで、人種のことでもあり、その背景にある文化のことでもある。
歴史が培ってきた観念体系や価値基準に、知らず知らずに影響されて生きている個人の内面の象徴でもある。
この小説を読むと、「白い肌」が美そのものではないことに気づく。
小林秀雄が、花が美しいのではなく、花を美しいと感じさせる何かが、我々の意識下にあるのだというようなことを何かで言っていた。
白い肌を美しいと思わせる何かが、意識下にあるのだ。
実際には、肌の色などは、そして容姿なども決して美の基準にはなりえない。
我々が感動するのは、やはりその人間性に打たれるからである。
「白い肌」を美しいと思うのは、単にどこかで植え付けられた観念であり、先入観に過ぎない。
我々のあらゆる感覚や価値基準はいったいどこからやってきたものなのだろう。
答えをうるのはなかなかむずかしいことだが、今日はちょっと問題提起をやってみた。
この頃テレビを見ていると、色白の女性が増えていることに気づかないだろうか。
女性は老いも若きもどんどん白くなって、それこそ抜けるように白くなってきている。
それほど厚化粧でなくても、顎から首筋の白さがきわだって、花魁のように見える。
ほとんど銀色に光るパウダーを、眉の上下、額、頬骨にハイライトとして使う化粧方法も関係しているようだが、それ以前に皮膚そのものが白くなってきている。
つまり、皮下のメラニンの層がなくなりつつあるのではないだろうか。
つい数日前も、テレビを見ていてびっくりした。
ある高名な女性登山家が、今ふうに抜けるように白くなって出ていたのだ。
彼女は登山家だから、強い紫外線にさらされ続けた肌を持っていた。
テレビでは、ほかの女性たちと並ぶと、どうしてもその黒さが目立っていた。
でも登山家なのだから、それは仕方がない。当然である。
それが今週はすっかり白くなって出ているのだから、びっくりもするだろう。
テレビ写りはすっかり良くなって、まるで四六時中屋内で働く、看護婦か美容師のような印象だった。
買い物に行くと、美白化粧品がいっぱいだ。
最近の化粧品は界面活性剤が入っていて、一旦、皮膚のバリア機能を破壊してから、ビタミンCなどを入り込みやすくしている。
だから、美白化粧品を使っている場合は、日焼け止め化粧品も併用しなければならない。
その他に、現在は三十分くらいで白くなる美容技術もある。ある種の光を照射して、皮下のメラニン層を破壊、分解してしまう方法だ。
この技術を取り入れている美容形成外科は、一年以上先まで予約がいっぱいだそうだ。
本物の白色人と並んでも、日本女性の方がもっと白い皮膚を持っているという、奇妙な現象がそこここに起きている。
このままでゆくと、日本女性は白い肌を持った黄色人となる日も、そう遠くないような気がする。
マイケルジャクソンは、「免疫機構が狂って白くなった」と言っていたような気がするが、彼もこの白色化技術を試してみたのかもしれないなあ。
個人的には、マイケルは黒かった時の方が、ずっとチャーミングだったと思う。
日本女性が白くなってきているのに比べ、日本男性は逆に黒い皮膚を追及しているようにも見える。
俳優や若いお笑い芸人でさえ、まるで冒険家のように日焼けした顔をしている。
女性はなぜ白い肌に憧れるのだろう。
「美しくなりたいから」という答えが聞こえてきそうだ。
では、白い肌はなぜ美しいのだろう。
『白い人』『黄色い人』『アデンまで』は、故遠藤周作氏の小説で、三部作のように取り上げられることが多い。
「白」や「黄色」は、もちろん皮膚の色のことで、人種のことでもあり、その背景にある文化のことでもある。
歴史が培ってきた観念体系や価値基準に、知らず知らずに影響されて生きている個人の内面の象徴でもある。
この小説を読むと、「白い肌」が美そのものではないことに気づく。
小林秀雄が、花が美しいのではなく、花を美しいと感じさせる何かが、我々の意識下にあるのだというようなことを何かで言っていた。
白い肌を美しいと思わせる何かが、意識下にあるのだ。
実際には、肌の色などは、そして容姿なども決して美の基準にはなりえない。
我々が感動するのは、やはりその人間性に打たれるからである。
「白い肌」を美しいと思うのは、単にどこかで植え付けられた観念であり、先入観に過ぎない。
我々のあらゆる感覚や価値基準はいったいどこからやってきたものなのだろう。
答えをうるのはなかなかむずかしいことだが、今日はちょっと問題提起をやってみた。