総理大臣の別荘  エッセー

総理大臣の別荘(九月七日)

小泉元総理大臣はメールマガジン「らいおんはーと」を発信していたが、現在も何かそれらしいものを発信しているのだろうか。

新総理大臣のメルマガを受信していて、官邸の居心地などを読んでいた。

官邸は、昭和三年の第三代田中義一総理の時から使われていて、小泉総理が四十二代目であるそうだ。

お化けが出るといううわさがあったが、小泉総理の頃は確認にはいたっていなかった。

セミの声や小鳥の囀りも聞こえ、なかなか快適だと報告していた。

来春には新しい官邸に引っ越すことになっていた。

こうした短いメッセージを読んでいて、思い出したことがある。

田中義一総理大臣のことである。

三十数年前のこと、田中義一元総理の那須の別荘に招待されたことがある。

乗馬雑誌に載っていた「乗馬つきご招待」に応募したら、当選したのだ。

平凡な一市民である親子としては、総理大臣を務めた人の別荘で過ごす三泊四日に胸が弾んだ。

ところが、行ってみてびっくり。屋敷は丈高い樹木に隠れるようにあって、陰気なことこのうえない。

着いた日は、晴れて青空が広がっていたのに、その庭に入ると、頭上から滴が落ちてくるほどに湿っぽいのだ。

建物の周りには、蒐集した古い陶器類が散乱状態で置かれ、浅い小皿のようなものにまで雨水が溜まっている。

「いかにも、蚊に悩まされそうだ」

屋内に通されてまたびっくり。

一階は、暗く狭い廊下から納戸のような小部屋にまで、ぼろぼろの古臭いものが山積みである。

遠慮しつつも、気になって仕方がないから、チラチラ盗み見れば、多くは戦争に関係したもので、軍刀、馬具、毛布、軍靴、国旗などである。

壁に貼られた千人針の布の隣に、同じように広げられている国旗があった。

中心の日の丸から放射状に寄せ書きされている国旗は、どうも血潮を浴びたもののようだ。

「気味の悪い所だなあ」。これが第一印象だった。

あてがわれた部屋は二階だった。

室内は片付けられていたが、納戸のように暗い。

その隅に蚊帳が一張り用意されていた。

そのうち、天井からゲジゲジが降ってきた。

考えてみれば、昭和初期に建てられた家屋のこと、いくら総理大臣の別荘といったって、この程度のものだったのだと、初めて気がつく。

現代の普通の民家のほうが余程立派だ。

夜の食事になって、ようやくいろいろなことが分かってきた。失礼かとも思ったが、いろいろと質問したのだ。

宿泊最初の夜の食事はジンギスカンであった。

いわゆるスキヤキの肉がヒツジ肉のものだと思ってもらってかまわない。

管理人は、この湿っぽい環境に結核でも患っているかのように、病的に透き通るような青白い皮膚をしていた。

目の色に、なにか極端なものが混じっている。

ジンギスカン鍋をすすめられながら聞くには、彼は、やがて戦争博物館を作る計画を持っているのだという。

ちょっと離れたところにある乃木神社には、参詣を欠かさないとも言っていた。

我々が招待者に選ばれたのは、なんのことはない、ただ、彼と同じ苗字だったからだと知る。

数年前、那須に行った時、途中「戦争博物館」なる建物をみつけた。

「あっ」と思った。きっと、彼だ。

彼は夢を実現したのだ。こんなことをやるのは彼しかいない。

それで、車をUターンさせて寄ってみた。

館主は外出して留守だったが、みやげ物の所にいたおばさんに聞いてみると、館主はやっぱり彼だった。

今年の終戦記念日は、総理の靖国参拝の件で国内外ともかなり揉めた。

連日、テレビもそれを取り上げ、総理の繰り上げ参拝から、一五日当日の各閣僚や都知事の靖国参拝の様子などを放映し続けていた。

そんな画面の中に、偶然にも彼をみつけた。

彼は陸軍の軍服に身を包み、一般国民の参拝者の列に混じって、ゆっくりと歩を進めていた。

奥歯をかたくかみしめているあの青白い顔は、あの時とさほど変わっていない。

そんな彼の姿を見ていると、戦場で血を吸ったあの国旗が思い出された。

戦場で散った幾多の命の上に、今の日本があるというのは、本当のことなのだ。

我々はそれと気づかぬうちに感謝と敬意を忘れ、今日も笑って過ごしている。


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