痩身のインド人  エッセー

痩身のインド人(六月十二日)

7時起床。早起きをして、日が高くなる前にゴミ出しをしようと思っていたのに、昨夜遅くまでテレビを見ていたせいか、寝坊をしてしまった。『小錦のアーユルヴェーダ痩身法』というのを、たまたま見かけ、つい最後まで見てしまったのだ。

治療法も興味があったが、画面にみなぎるインドの強い光に、つい、目が釘付けになってしまったのだ。

向こうの光は、直射という形容がじつにぴったりの感じがある。

インドといえばガンジス川での沐浴であるが、ガートのあるベナレスのことを、最近はヴァラナシと呼ぶようになっているらしい。

古い呼び方に戻りつつあると言っていた。

ヴァラナシの前の呼び方はカーシーであって、「光の町」という意味である。

小錦はその巨体を小さく戻すために、いろいろと苦心を重ねているが、一旦巨大化した細胞を縮めるのはなかなか大変なようだ。

昨夜も足ふみのオイルマッサージや、海底の土を泥に溶かしたものを塗られたりして、傍目には、いいようにいじくりまわされているようにしか見えなかった。

小錦のような巨躯は、インド人にはいったいどんなふうに映るものだろうか。

経済先進国のように、肥満を不健康と見るのか、それとも裕福の象徴と見えるものか、そのあたりを知りたかった。

日本に出稼ぎに来ているインド人たちと、ひょんなことから付き合いのあった時期がある。

彼らはヒンズーではなく、いずれもイスラミであった。

留学生ではなく、出稼ぎできていた人たちであったから、コックであったり、宝石商であったりだった。

たいていは細身であるが、なかにはでっぷりお腹の突き出た人もいた。

細身の人は、痩せているといっても、日本人の痩せとはちがって、骨格はしっかりしていて、余分な脂肪が見当たらないという感じであった。

ズボンの裾が風にはためくような、そういう細身の人の学歴は、たいてい小学校卒止まりで、なかには小学校の三年までしか行けなかったという人もいた。

しかし、たった三年にしろ、とにかく学校に行った経歴があることを自慢であるふうだったし、「奥さんは小学校に六年間通った人だ」ということを、栄誉なこととして話していた。

一方、でっぷり型の人は、高等教育を受け、その子息、子女もまた現在大学生であったり、医師の卵であったりした。

家族の写真を見せられたが、ガリガリに痩せている者はなく、奥さんもまるまるだし、子供たちもみんなふっくりしていた。

インド人は、一見、骨の形が分かるほど痩身の人が多いけれど、あれはやはり経済状況が太るのを許してくれていないのではなかろうか。

しかしである。その痩身の人たちの食事の仕方を見ていると、一回の食事の量がはんぱじゃない。

我々の三倍から四倍の量を食べるのだ。

一度にあんなにたくさん食べて、よく胃が重くならないものだと驚いて見ていた。

そういう毎日を一年間続けても、彼らはいっこうに太ってはこないのだった。

不思議である。カーストの長い歴史が、階級の細胞においても、それぞれ何がしかの影響を学んでいるのではないだろうか。

そうでなければ、カーストの長い歴史が階級に特有の腸内細菌を養ったのかもしれない。

普段の食べる量ははんぱじゃないのに、ラマダンに入ると、きっかり水以外は断ち、日暮れまで、空腹をつぶやきすらしないことも驚きだった。

太陽が沈むと、彼らはすっかり空っぽの胃に、再びどっさりの食事を送りこむのだ。

インドに戻った彼らが、今もあのようにどっさり食べているのかどうかは分からない。

むしろ、そうあってくれたらよいと思っている。



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