祖々父のこと エッセー
祖々父のこと
ある時、母から意外なことを聞いた。
祖々父は、イワシを食べ、それにあたって死んだというのだ。
六十数年前の六月のことである。
名は兵松(ひょうまつ)。享年七十三歳。
松ケ江村の村議を何期か務め、酒豪であった。
彼は死の前日の夕方、イワシを自らさばき、刺身にしてショウガで食べた。
その夜の酒は焼酎で、何人かの村の客があった。
翌日、彼は自宅前の道に出て、一望に広がる水田を眺め、それから畦に下りて行った。
初夏の陽射しの下、青い早苗が健やかに根を張っているかを確かめるように、畦という畦を歩いている姿が遠く見えた。
帰ってくるなり、彼は若い嫁に言った。
「すまないが風呂を焚いてくれないか」
若き日の母は、大急ぎで風呂を焚いた。
風呂に入った彼に呼びつけられ、行ってみると、今度は粥を作ってくれという。
粥を作って持ってゆくと、彼は風呂桶に入るための、踏み台に腰掛けて食べたそうだ。
しばらくすると、また呼ばれた。
「すまないが、水を一杯たのむ」
水を持ってゆくと、すでに祖々父は死んでいたのだそうだ。
この話からは、イワシにあたって死んだのかどうかははっきりしないが、身近にいた者がそう言うのだから、ほかにも何か兆候があったのだろう。
買ったイワシの数は不明。
何人が食べたのかも不明。
翌日の死亡者は、村では祖々父一人である。
その朝に揚がったイワシであっても、氷もなく、保冷や冷凍技術もない時代のこと、初夏の太陽の下、一日中魚売りの背中にあったイワシは、すでにいたんでいたことは想像できる。
ほんの七十年前なのに、そのころはまだリヤカーさえめずらしく、物売りはみんな背負って売り歩いていたそうだ。
リヤカーは、村には祖々父が持っていた一台きりだったのだそうだ。
この話を聞いた時、なぜか笑ってしまった。
人は生まれる時はだいたい似たようなものだが、死に方はいろいろだ。
リルケはバラのトゲで死んだし、家康はテンプラで死んだ。
どんな死に方でも、たった数十年で、笑って語れる思い出になってしまうのかもしれない。
数十年も憶えてもらっているだけ、幸せなのかもしれない。
母がそんな話をしなければ、このエピソードは母の死とともに消えてしまっただろう。
母がふと、なにかのせいで思い出し、つぶやいたせいで、さらに数十年、兵松じいさんの死は(思い出は)命を永らえることになった。
そして、母のこの一言は、これまで知らなかった若き日の母の姿をも、くっきりと想像させた。
もしかしたら、後になって母を思い起こすとき、母は庭をおおう柿の若葉に青く染まって、祖々父の言いつけに忙しく行き来している姿で思い起こされるような気がするのだ。
不思議なことではある。
ある時、母から意外なことを聞いた。
祖々父は、イワシを食べ、それにあたって死んだというのだ。
六十数年前の六月のことである。
名は兵松(ひょうまつ)。享年七十三歳。
松ケ江村の村議を何期か務め、酒豪であった。
彼は死の前日の夕方、イワシを自らさばき、刺身にしてショウガで食べた。
その夜の酒は焼酎で、何人かの村の客があった。
翌日、彼は自宅前の道に出て、一望に広がる水田を眺め、それから畦に下りて行った。
初夏の陽射しの下、青い早苗が健やかに根を張っているかを確かめるように、畦という畦を歩いている姿が遠く見えた。
帰ってくるなり、彼は若い嫁に言った。
「すまないが風呂を焚いてくれないか」
若き日の母は、大急ぎで風呂を焚いた。
風呂に入った彼に呼びつけられ、行ってみると、今度は粥を作ってくれという。
粥を作って持ってゆくと、彼は風呂桶に入るための、踏み台に腰掛けて食べたそうだ。
しばらくすると、また呼ばれた。
「すまないが、水を一杯たのむ」
水を持ってゆくと、すでに祖々父は死んでいたのだそうだ。
この話からは、イワシにあたって死んだのかどうかははっきりしないが、身近にいた者がそう言うのだから、ほかにも何か兆候があったのだろう。
買ったイワシの数は不明。
何人が食べたのかも不明。
翌日の死亡者は、村では祖々父一人である。
その朝に揚がったイワシであっても、氷もなく、保冷や冷凍技術もない時代のこと、初夏の太陽の下、一日中魚売りの背中にあったイワシは、すでにいたんでいたことは想像できる。
ほんの七十年前なのに、そのころはまだリヤカーさえめずらしく、物売りはみんな背負って売り歩いていたそうだ。
リヤカーは、村には祖々父が持っていた一台きりだったのだそうだ。
この話を聞いた時、なぜか笑ってしまった。
人は生まれる時はだいたい似たようなものだが、死に方はいろいろだ。
リルケはバラのトゲで死んだし、家康はテンプラで死んだ。
どんな死に方でも、たった数十年で、笑って語れる思い出になってしまうのかもしれない。
数十年も憶えてもらっているだけ、幸せなのかもしれない。
母がそんな話をしなければ、このエピソードは母の死とともに消えてしまっただろう。
母がふと、なにかのせいで思い出し、つぶやいたせいで、さらに数十年、兵松じいさんの死は(思い出は)命を永らえることになった。
そして、母のこの一言は、これまで知らなかった若き日の母の姿をも、くっきりと想像させた。
もしかしたら、後になって母を思い起こすとき、母は庭をおおう柿の若葉に青く染まって、祖々父の言いつけに忙しく行き来している姿で思い起こされるような気がするのだ。
不思議なことではある。
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