七宝焼き エッセー
すごい夕焼けの夢をみた。
暗い紫から明るいピンクの間の、あらゆる色が展開されているかのような西の空を、どこか小高い所から一望していた。場所はわからない。
「この空は、絵や写真や文章でなら表現できるだろうが、七宝焼きでは無理だろうな」などと思いながら見ていた。
あんなに凄い空を目の前にしていたのに、歓声をあげるでなし、ため息をつくでなし、腕を広げて深呼吸するでなし、なんであんなことを思っていたのだろう。
いささか損をした気分だ。
それに作家という人たちは、表現したい何かを制作以前に持っているはずだから、あのような特殊な色の祭典を見たり、想像したら、七宝焼き作家であっても必ずや挑戦するだろう。
表現のために、技法を模索しつつ挑戦するだろう。
七宝焼きというのは砂状に粉砕したガラスを、銅版や銀板などに盛りつけ、焼成、熔かして、デザインしたものを仕上げる技法である。
日本最古の七宝焼きは、正倉院御物「瑠璃鈿背十二稜鏡」である。
中国のものか、あるいは中国から伝来した技法で日本でつくられたものか、未だ分かっていない。
桃山時代になると、朝鮮からの技法が入ってきて、襖の引き手や刀の鍔などに競って施されるようになった。
現代の七宝技法の基本のようになっている西洋七宝は、江戸後期になってから伝えられたものである。
愛知県の七宝町は近代七宝の技法を開発したことで有名である。
七宝焼きで使う釉はガラスの粉であるから、どんなに細かに粉砕したとしても、水には溶けない粒子である。
絵の具なら水に溶け出すから、混ぜ合わせて中間色を作り出せるが、七宝焼きではそれができないのである。
したがって、見た目のぼかしはある程度可能だが、澄んだ色のグラデーションチャートを作るのは、経験による勘を持ち、重ね焼きを繰り返せるよほどの熟練者意外はほとんど不可能に近い。
現代のように人間の心がますます複雑になってきている時代には、色数もそれだけ必要とされるわけで、単に装飾性を優先させるなら別としても、表現はかなり制限される。
しかも、デザインを起こすためには鍛金や彫金などの技術も必要であるし、理想の色を追求するためにはガラスの色から作らねばならない。
したがって分業が行き渡っている。
しかし最近では、七宝の材料や技法もかなり開発が進んでいる。
新しいところでは、シルクスクリーン技法やシート技法がある。
シルクスクリーン技法は、簡単にいうと、「プリントごっこ」の技法やステンシルの型抜きの応用で版を作り、絵の具やインクや染料の代わりに、ガラス釉をふるい落として盛りつける。
シート技法は、紙よりも薄いシート状の釉を、好みの形に切って模様を作る。
金や銀、プラチナのシートも出ていて、一昔前なら熟練者しか体験できなかった複雑な模様も、手軽に楽しむことが可能になっている。
シート釉を何度か重ね焼きすることで、中間色を出すこともできる。初歩的な段階の技法なら、初めてでもそれなりのものを七宝仕上げすることができるようになってきた。
教材や手芸店にも出回っている所以である。
七宝焼きでは発色を良くするために、普通は釉をていねいに洗い、粉状のものはすてるのが基本である。
細かになればなるほど、埃を焼きつけたような濁った色になってしまうからだ。
だが、ここで考える。
普通は捨てているあの粉状のガラスは、もしかしたら表現の幅を広げるものではないだろうか。
昨夜の夢の夕空は、薄雲がかかっていたから決して透明ではなかったし、不透明でもなかったのだ。
作家たちは、きっとこんなふうにして試行錯誤を重ねてゆくものなのだろう。
伝統の技法の手順は、いつかどこかで逆転させられることもよくある話だ。
人間の美の基準は変化することもあるし、伝統の技法が持つ表現力の壁を打ち壊さねば、先に進めなくなったりもするからである。
暗い紫から明るいピンクの間の、あらゆる色が展開されているかのような西の空を、どこか小高い所から一望していた。場所はわからない。
「この空は、絵や写真や文章でなら表現できるだろうが、七宝焼きでは無理だろうな」などと思いながら見ていた。
あんなに凄い空を目の前にしていたのに、歓声をあげるでなし、ため息をつくでなし、腕を広げて深呼吸するでなし、なんであんなことを思っていたのだろう。
いささか損をした気分だ。
それに作家という人たちは、表現したい何かを制作以前に持っているはずだから、あのような特殊な色の祭典を見たり、想像したら、七宝焼き作家であっても必ずや挑戦するだろう。
表現のために、技法を模索しつつ挑戦するだろう。
七宝焼きというのは砂状に粉砕したガラスを、銅版や銀板などに盛りつけ、焼成、熔かして、デザインしたものを仕上げる技法である。
日本最古の七宝焼きは、正倉院御物「瑠璃鈿背十二稜鏡」である。
中国のものか、あるいは中国から伝来した技法で日本でつくられたものか、未だ分かっていない。
桃山時代になると、朝鮮からの技法が入ってきて、襖の引き手や刀の鍔などに競って施されるようになった。
現代の七宝技法の基本のようになっている西洋七宝は、江戸後期になってから伝えられたものである。
愛知県の七宝町は近代七宝の技法を開発したことで有名である。
七宝焼きで使う釉はガラスの粉であるから、どんなに細かに粉砕したとしても、水には溶けない粒子である。
絵の具なら水に溶け出すから、混ぜ合わせて中間色を作り出せるが、七宝焼きではそれができないのである。
したがって、見た目のぼかしはある程度可能だが、澄んだ色のグラデーションチャートを作るのは、経験による勘を持ち、重ね焼きを繰り返せるよほどの熟練者意外はほとんど不可能に近い。
現代のように人間の心がますます複雑になってきている時代には、色数もそれだけ必要とされるわけで、単に装飾性を優先させるなら別としても、表現はかなり制限される。
しかも、デザインを起こすためには鍛金や彫金などの技術も必要であるし、理想の色を追求するためにはガラスの色から作らねばならない。
したがって分業が行き渡っている。
しかし最近では、七宝の材料や技法もかなり開発が進んでいる。
新しいところでは、シルクスクリーン技法やシート技法がある。
シルクスクリーン技法は、簡単にいうと、「プリントごっこ」の技法やステンシルの型抜きの応用で版を作り、絵の具やインクや染料の代わりに、ガラス釉をふるい落として盛りつける。
シート技法は、紙よりも薄いシート状の釉を、好みの形に切って模様を作る。
金や銀、プラチナのシートも出ていて、一昔前なら熟練者しか体験できなかった複雑な模様も、手軽に楽しむことが可能になっている。
シート釉を何度か重ね焼きすることで、中間色を出すこともできる。初歩的な段階の技法なら、初めてでもそれなりのものを七宝仕上げすることができるようになってきた。
教材や手芸店にも出回っている所以である。
七宝焼きでは発色を良くするために、普通は釉をていねいに洗い、粉状のものはすてるのが基本である。
細かになればなるほど、埃を焼きつけたような濁った色になってしまうからだ。
だが、ここで考える。
普通は捨てているあの粉状のガラスは、もしかしたら表現の幅を広げるものではないだろうか。
昨夜の夢の夕空は、薄雲がかかっていたから決して透明ではなかったし、不透明でもなかったのだ。
作家たちは、きっとこんなふうにして試行錯誤を重ねてゆくものなのだろう。
伝統の技法の手順は、いつかどこかで逆転させられることもよくある話だ。
人間の美の基準は変化することもあるし、伝統の技法が持つ表現力の壁を打ち壊さねば、先に進めなくなったりもするからである。
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