自立  エッセー

自立

昨日一人の女性とすれちがった。年の頃は八〇歳代。

重そうなリュックを背負い、右手には太い枝の杖を握り、帽子の下の丸い顔は日に焼けて黒く、しわが深い。

だが彼女はなかなかの健脚のようだ。
アスファルトの道を、リズミカルにスタスタと歩いていた。

一時間後、先の場所から数キロ離れた上り坂で、再び彼女を見かけた。
あれからずっと、ここまで歩いてきたのだと少し驚いた。

健脚はいっこうに衰えていない。追い越す時にチラリと見ると、左手にピンクのコスモスを握っていた。

コスモスは道端にたくさん咲き乱れているから、途中できっと、きれいだなあと眺めて、持って帰って家に飾ろうと思ったにちがいない。

彼女の家はこの近くなのだろうか? 

もしもコスモスがしおれても、水にくぐしたりして、コスモスを蘇生させる知恵を彼女は持っているのだろう。

彼女を見て感じたことは、たったこれだけだ。

だが、「いいなあ」と思ったのだ。
彼女は美しかったのである。

彼女の姿は心に残って、夜になって布団に入っても、まだ彼女のことを想っていた。

彼女は誰に気兼ねもなく、平和な気持ちでその日を生きているような目をしていた。

あるいは、あの目の輝きは単にリズミカルに歩いているときの人間の目であったかもしれぬ。

もしもそうであったとしても、老いや暮し向きや人間関係のしがらみなどの重圧を全然感じさせていない印象があった。

つまりは、愚痴や不満や不安などの暗い色を全然持っていなかったのだ。

彼女が笑っているときの写真を撮ってみたいなあなどと思ったりもした。

そう思う一方で、現在のアフガニスタンの人々のことをも想っていた。

アフガニスタンの人々が、昨日遭った彼女のように明るく、平和で、自信にみちた目を取り戻せるのはいつのことだろう。

今回のテロ撲滅作戦から発展した戦争を、少しでもよく知ろうと世界地図を買ってきて、壁に貼りつけた。

情報網が発達して地球はせまくなったが、地図を見ていると世界はまだまだ広い。

世界を広く感じさせるのは、一方に人権を保障されて生きている人々がありながら、ある所には人権をいまだ抑圧されて暗い目をみひらいている人々がいるゆえの不公平が平気なままで散在しているからだ。

映像で送られてくるアフガニスタンの子供たちは、絶望した大人のような目をしている。

政治とはいったい何なのだろう。権力とはいったい何なのだろう。

国とはいったい何なのだろう。

宗教とはいったい何なのだろう。

権威とはいったい何なのだろう。

自分の命ばかりではなく、他人の命まで捧げて惜しくない神とは、いったい何なのだろう。

地球上に絶え間なく続く紛争や戦争には、いつもこれらが関係している。

これらを地上から一掃して、近代化が公平に行われるのはいつのことだろう。

そんなことは不可能に近いほどの時間を要するから、かつて故国を捨てて新大陸をめざしたように、もしかしたらある人々は、地球を捨てて宇宙へ飛び出し、隠密裏に新しい世界を創造しようとしているのではあるまいか。

新大陸をめざした時は、神の叡智である教義の解釈のちがいからであったが、宇宙へ逃れる人々は人間の叡智を理想とし、信念としてくれるかもしれない。

願わくは、そうであってほしい。

タグ: 自立 エッセー



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL





AutoPage最新お知らせ