ニホンスズラン エッセー
昨夜は10時半に消灯。
消灯から1分もたたないうちに眠ってしまうのが、私のクセです。
目覚めたのは2時。
スッキリの眠気まったくなしで、すぐにも起き上がれるくらい。
もう5時近いかなあなんて思いながらもどうしようか迷い、時計を見たらまだ2時でびっくり。
迷いましたが、どこを見ても疲れは残っていないので、起きました。
5じまで3時間もあるので、エッセーを一つ。
ニホンスズラン
2019年11月、飯舘村の旧佐須小学校が取り壊しになることを知った。
2年前から数度、ニホンスズランとのつながりで、その古い校舎を訪ねたことがあり、ただそれだけの縁なのになぜか寂しいものが心の隅に宿る。
古いものが時の波をかいくぐっている間に、徐々に劣化し、風化し、やがては崩れて倒れるのは当然のこと。
そうなる前に、人の手で解体してしまうこともあり、それはそれで倒壊の危険回避や景観の保全のうえからも止むをえないことでもある。
旧佐須小学校の校章がスズランであったことを知ったのは、春に山中を歩いていた時の世間話のような会話からであった。
歩いていたのは卒塔婆峠というその昔、相馬市の山上から玉野に抜けていた旧道である。
案内者はTさんとSさん。(お二人とも飯舘村で生まれ育った。)
もう長い間使われていない道であるから、背丈を越す笹に道筋が消えている部分もある。
その笹の密集する足元にSさんがスズランの葉をみつけたのである。
葉の薄さからニホンスズランと見当をつけた。花はまだなかった。
ニホンスズランも少なくなって絶滅危惧種にランクされている。
そんなことなど話していると、旧佐須小学校の校章がスズランであったという話しになった。
校章にするほどスズランが日常に当たり前の風景だったのだろうか。
そんなに昔からスズランがあったのなら、もしかしたらニホンスズランではないだろうか。
旧佐須小学校は1977年3月24日、創立百年祭を執り行った直後に閉校している。
その後、旧佐須小学校に数十年以上前に通ったMさんから、通学路にも咲いていたと聞く。
日を改め、旧佐須小学校を訪ねた。
校庭は除染後で山砂が敷かれて白っぽかったが、校舎周辺は草や木の枝が伸びて緑に埋まっているような印象だった。
校門の前に立つと、校門も緑にうずまりかけ、校章のスズランがかろうじて見えた。
スズランは描かれた円の下中央から左右に2枚ずつ葉を開いている。
花茎は葉の上に左右から2本が立ち上がり、それぞれ2個の花をつけて中央の「佐須」という文字に向かってゆるくうつむいている。
この形はドイツスズランではないだろうか。
ニホンスズランは君影草とも呼ばれるように、2枚の葉の蔭になるような形で花茎を立てる。
花茎の高さも葉より低い。
校章のスズランは単に図案のせいで花が葉の上に立っているのだろうか。
スズランをここまで辿ってきて大きな疑問を抱えてしまった。



2019年12月現在、この疑問はまだ解けていない。
ニホンスズランとドイツスズランの違いは、葉の厚みや花茎の立ち上がり方の他、花の形も注意するとやや異なっている。
もっとはっきりした違いは、ドイツスズランの雄蕊の付け根は赤味が差すことであり、ニホンスズランは淡く黄色みがかっていることである。
何度か佐須に通っている間、ある時、玉野小学校前を通りかかると、向かいの公民館前で花壇の手入れしていた。
スズランが増えすぎ、整理しているとのことだった。
見ると、こちらはドイツスズランだった。
玉野小、中学校、および玉野幼稚園も震災後の2017年3月23日をもって閉校となった。
消灯から1分もたたないうちに眠ってしまうのが、私のクセです。
目覚めたのは2時。
スッキリの眠気まったくなしで、すぐにも起き上がれるくらい。
もう5時近いかなあなんて思いながらもどうしようか迷い、時計を見たらまだ2時でびっくり。
迷いましたが、どこを見ても疲れは残っていないので、起きました。
5じまで3時間もあるので、エッセーを一つ。
ニホンスズラン
2019年11月、飯舘村の旧佐須小学校が取り壊しになることを知った。
2年前から数度、ニホンスズランとのつながりで、その古い校舎を訪ねたことがあり、ただそれだけの縁なのになぜか寂しいものが心の隅に宿る。
古いものが時の波をかいくぐっている間に、徐々に劣化し、風化し、やがては崩れて倒れるのは当然のこと。
そうなる前に、人の手で解体してしまうこともあり、それはそれで倒壊の危険回避や景観の保全のうえからも止むをえないことでもある。
旧佐須小学校の校章がスズランであったことを知ったのは、春に山中を歩いていた時の世間話のような会話からであった。
歩いていたのは卒塔婆峠というその昔、相馬市の山上から玉野に抜けていた旧道である。
案内者はTさんとSさん。(お二人とも飯舘村で生まれ育った。)
もう長い間使われていない道であるから、背丈を越す笹に道筋が消えている部分もある。
その笹の密集する足元にSさんがスズランの葉をみつけたのである。
葉の薄さからニホンスズランと見当をつけた。花はまだなかった。
ニホンスズランも少なくなって絶滅危惧種にランクされている。
そんなことなど話していると、旧佐須小学校の校章がスズランであったという話しになった。
校章にするほどスズランが日常に当たり前の風景だったのだろうか。
そんなに昔からスズランがあったのなら、もしかしたらニホンスズランではないだろうか。
旧佐須小学校は1977年3月24日、創立百年祭を執り行った直後に閉校している。
その後、旧佐須小学校に数十年以上前に通ったMさんから、通学路にも咲いていたと聞く。
日を改め、旧佐須小学校を訪ねた。
校庭は除染後で山砂が敷かれて白っぽかったが、校舎周辺は草や木の枝が伸びて緑に埋まっているような印象だった。
校門の前に立つと、校門も緑にうずまりかけ、校章のスズランがかろうじて見えた。
スズランは描かれた円の下中央から左右に2枚ずつ葉を開いている。
花茎は葉の上に左右から2本が立ち上がり、それぞれ2個の花をつけて中央の「佐須」という文字に向かってゆるくうつむいている。
この形はドイツスズランではないだろうか。
ニホンスズランは君影草とも呼ばれるように、2枚の葉の蔭になるような形で花茎を立てる。
花茎の高さも葉より低い。
校章のスズランは単に図案のせいで花が葉の上に立っているのだろうか。
スズランをここまで辿ってきて大きな疑問を抱えてしまった。



2019年12月現在、この疑問はまだ解けていない。
ニホンスズランとドイツスズランの違いは、葉の厚みや花茎の立ち上がり方の他、花の形も注意するとやや異なっている。
もっとはっきりした違いは、ドイツスズランの雄蕊の付け根は赤味が差すことであり、ニホンスズランは淡く黄色みがかっていることである。
何度か佐須に通っている間、ある時、玉野小学校前を通りかかると、向かいの公民館前で花壇の手入れしていた。
スズランが増えすぎ、整理しているとのことだった。
見ると、こちらはドイツスズランだった。
玉野小、中学校、および玉野幼稚園も震災後の2017年3月23日をもって閉校となった。
タグ: ニホンスズラン
2019/12/12 10:13
投稿者:カエデ
2019/12/12 9:05
投稿者:aoikesi
イチゴノキ、、、そういえばカエデさんが少し前にアップしていたんですよね
。ヤマモモと思い込んでしまったので不思議に思わないでしまいました。
ありがとうございます。
日本スズランは川崎の中学校が東京への修学旅行に持って行ったはず。
当時はニュースになりましたが、もう、その中学校はずいぶん前になくなって
います。自生地によく写真を撮りに行っていました。
http://zaonofumoto.blog107.fc2.com
。ヤマモモと思い込んでしまったので不思議に思わないでしまいました。
ありがとうございます。
日本スズランは川崎の中学校が東京への修学旅行に持って行ったはず。
当時はニュースになりましたが、もう、その中学校はずいぶん前になくなって
います。自生地によく写真を撮りに行っていました。
http://zaonofumoto.blog107.fc2.com
イチゴノキの実、私も食べてみました。
果汁が少なく、おいしくないですよね。
今日の記事のりんご、すごいですね。
収穫が間に合わないのでしょうか?
それとももう放棄しているのかしら?
昨日、スズランの新たな情報の件での飯舘に出かけました。
相馬から高速で行き、玉野から飯舘に入ろうとしたら、佐須直前で道路崩壊で軽トラさえ通れず、霊山前から入りなおしたら、またまた佐須直前で通行止め。
原町から行くしかないようです。