2005/10/7
半年ほどまったく経験のない世界に身を置いてみた。
普通ならチームで仕事をしながらも仕切りで囲まれ一人黙々とするべき分野だそうだけど、そこは違っていた。
でも、いやだからこそなのだろうか?チームのメンバーの仲がとても良かった。チーム一丸となってこなせた経験も出来た。
15人のうち10〜12人が同時に居て、それぞれに個性も能力も違って、当然成果も上がってくる数字もこだわるポイントも違っていた。そこに摩擦が生じてもおかしくないはず。なのになぜだろう?チームが解散することが決まってひと月考えてみた。
辿り着いた答えは「顔が見えたから」だった。
頑張っている顔、凹んでいる顔、ちょっとした工夫、研究する姿が見えたのだ。いや、列になって向かい合わせていたので見えてしまうのだ。
きっとそれぞれに自分と違う他の人に対しいろんな思いが湧き起こっただろうけど、その自分の感情や思いをある時はなだめ、ある時は改めてくれるほどそこには一人ひとりの頑張り、悩み、苦しみ、喜ぶ、、、いろんな様子が見えた。見えたからこそ自分を見せていることも自覚し、素の自分でそれぞれコミュニケーションをとることも出来た。得がたい仲間でした。
効率を重視するならそこに仕切りはあるべきだったのだろうけど、無かったからこその数字に表れない多大な恩恵がそこには有ったのじゃないかと思う。
ん?まてよ、これって毎日の暮らしや社会にも当て嵌めて言えるんじゃないか?プライバシーを重視するあまり、地域の人の顔が見えない暮らしに慣れてしまって、それはそれで快適かもしれないけれど、社会は殺伐としてきている。どこに何が潜んでいてもおかしくないほどに、、、
江戸の昔の長屋暮らしにもどれとは言わないし、自分も無理!
でも、お互いのそんな普通の顔が見えていれば、認め許すことが出来て、もっとストレス無く笑って暮らせるんじゃないだろうか?そして、自分も見てもらえているという実感があって、凛と背筋を伸ばして、笑顔でいられるんじゃないだろうか?

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