
9月16日、高知医療センターの前院長、
瀬戸山元一氏が高知県警に逮捕された。容疑は収賄。
オリックス・リアルエステートの元従業員2人も瀬戸山氏にプラズマテレビや家具など約250万円相当のワイロを贈り、病院施設の施工に有利な取り計らいを頼んでいたとして贈賄容疑で逮捕された。
瀬戸山氏は
2000年4月に橋本知事などの肝いりで県立中央病院と高知市民病院との
統合新病院の院長予定者(高知県・高知市病院組合理事)として迎えられた。
舞鶴市民病院や島根県立中央病院での経営手腕が買われてのことだが、瀬戸山氏は当初からPFI方式の推進を掲げていた。
「
PFI(Private Finance Initiative:プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)」とは、公共施設等の建設、維持管理、運営等を民間の資金とノウハウを活用して行う手法。
「PFI方式は箱モノの建設に使われることが多いが、運営にも採り入れ、自治体病院の模範にしたい」と瀬戸山氏は述べ、総務省が進める近江八幡市民病院のPFIに対抗して「高知方式」をアピールした。
今回の問題の背景にも、このPFI方式という新病院の建設、運営にかかわる独自の方法がある。
【経過】
2000年4月 統合新病院の院長予定者(高知県・高知市病院組合理事)に就任
2001年2月 PFI導入検討開始
2001年10月 事業者を決める審査委員会設置
2001年12月 4グループが1次審査合格
2002年3月 米国視察旅行。複数の企業グループ関係者が同行、旅費約120万円を旅行会社が肩代わりしていたことが6月に発覚。瀬戸山氏は審査委員会の副委員長を辞任
2002年7月 2次審査。オリックスグループが最優秀提案者に(次点は三井物産グループ)
2002年10月 SPC「高知医療ピーエフアイ株式会社」が設立
2002年12月 PFI契約締結
2003年2月 IT基本協定締結
2004年12月〜2005年1月 ワイロが贈られた
2005年3月開院
2005年10月 休暇で1週間のイタリア旅行に出かけた際、同じツアーグループに医療センターの医療材料納入業者が加わっていたことが後に発覚。
06年3月 辞任
報道によると瀬戸山氏は、最初は家具などの受け取りを否認していたものの現在は認めているという。
職務にかかわる施工に関しては、「50回ぐらいあった協議に参加した。100項目近い変更提案があったので話し合って判断した」と新聞社とのやり取りで述べている。
家具等は、病院併設の宿舎用のもので院長辞任後、京都に引っ越す際一部は残して行ったようである。
新聞報道を読む限り、手術室や病室の設備に関しても業者により高度なものを要求していたようで
「患者中心」を貫き、むしろ業者を「困らせていた」と取れる。
贈賄は、その「要求封じ」なのか。
県警はかなり前から捜査を進めていたようで、これだけとすれば少しチャチ過ぎる。
問題の核心は別にあることは容易に推測できる。
30年間で2130億円の巨額契約にこそある。
これにまつわる業者選定に、瀬戸山氏がどう影響力を行使したのか、しなかったのか。
真相は捜査の進捗状況を待つ以外にないが、いくつかの“
陥穽”について検討はできるだろう。
@事実上の随意契約。最初の選定こそ委員会を作り「公平に」行われるが、一度選ばれれば
30年間の随意契約。
さまざまなケースを予測し契約を交わし、リスクは分散するというが、2006年度に浮上した材料費比率の高騰は結局病院組合がかぶることになったのではないか。
長期契約で本当にコストの抑え込みはできるのか。単年度ごとのチェック体制のような機動性は効くのか。可逆性はあるのか。
業者にとっては安定収入のうまみがあるだけに、「贈賄」「収賄」の温床になることを疑りたくなる。
A瀬戸山氏は「
天皇」とも「
カリスマ」とも呼ばれていたという。
「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」という言葉がある。
腐敗防止策を権力者の良心に求めてはいけない。善良なる権力者に対しても外部の腐敗防止策が必要だ。諫言を言える側近と権力牽制のシステムを整えるべきだ。
新病院の院長予定者に就任した直以後に発行された「
患者さん中心にしたら病院はこうなった」を読むと、
瀬戸山氏の絶頂感、高揚感が伝わってくる。
歓迎集会における各界からの祝辞・賞賛を恥ずかしがることなく載せている。
瀬戸山氏の人間性はとても気さくで、小人の傲慢さではなく、
自己の実績や能力に対するあふれんばかりの自信の現われだろう。
周りもそのように評価しそのように扱い、それがいつしか氏を
陥穽の入り口に誘い込んだとしたら・・・・。
B瀬戸山氏は、「
減点主義」ではなく「
加点主義」を唱えた。
これについて考えさせられることがある。
「
作為の損害」と「
不作為の損害」との比較考量。
公務員がするべきことをしなかった場合の損害をどう計るのか。「すべきこと」とは昨日もやったこと、過去に繰り返してきたことではない。それは本来やるべきこと、時代の変化に合わせて試みるべきことのことだ。瀬戸山氏の言う「
マネージメント」。
案外、住民もマスコミもこれには目を向けない。なぜなら計りがたいからだ。
一方、「作為の損害」、例えば「収賄」などには敏感だ。
瀬戸山氏の心の内は測りようがないが、「自分がやったことによるメリットに比べれば、これくらいは」という気持ちがあったのか、なかったのか・・・・。
私たちは「作為の損害」に厳しく当たると同時に
、「不作為の損害」にももっと厳しく当たらなければならないと思う。
報道によると、高知県・高知市病院企業団の山崎隆章企業長は、記者会見で陳謝したうえで、「前病院長個人の資質に負う部分が強いのでないか」と話したということだが、これでは何も語ったことにはならないし何を陳謝したのか、情けない限りだ。
瀬戸山氏の理念、哲学には多くの学ぶべき点があるし、以上の検討をした上で、「
瀬戸山氏だから」ではなく「
瀬戸山氏でも」とせめて結論付けたい。

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