2008/9/20

「べき人生論」と「したい人生論」  日常のこと

うーん
・私も、若い時は人生論とかある程度は読んでいた方だし、
・そもそも「生きている意味」というのは大きな課題だろう

で、「べき人生論」と「したい人生論」

ほとんどの人生論が前者ですよね。まじめな人ほど「べき」で生きている。
というか、人生論なんていうのが、そもそも「どうあるべきか」「どうすべきか」を考えている人がするものですもん。
というか、それを考えるのが人間というものかもしれない。

だがまあ、
1−まあ、どうやったって「するべき」「あるべき」を考えてしまうことが抜けられないんだが、その生き方は疲れるということも十分自覚し続けた方が良いように思う。
2−人間は動物というか、生き物の一種類ということで、所詮「大いなるもの」でも「自然」でも「神」でもいいが、その手の平の上のものだしその一部でしかない。
だから、「死亡率100%だから、なんとか生きる意味を見つけたい」ではなく「死亡率100%だから、まじめに考える必要もなしなのだは」という感覚ね。

つまり、
時には「したい人生論」で行きましょう、と。
「べき人生論」も、ボチボチで良いじゃないか、と。

(犯罪を繰り返す人などで「したい」が続いていて弱ったなぁと思う人も居るけれど)

パラグライダーをしたいなあ。
0



2008/9/20  20:16

投稿者:ほぼ失業者

こんばんは。
5月に死んだ私の父など、完全に「べき人生論」の人だったです。今日は彼岸の入りで墓参りに行って来ましたが、私は父の墓前で、「観念論に呪縛されて私のセカンドオピニオンの勧めを拒否して死期を早めてしまったあんたは大馬鹿野郎だよっ」と叫びました。もっとも、死霊の存在も死後の世界もまったく信じていないので、墓の下にあるのは単なる酸化カルシウムに過ぎないのですけどね。
私は残りの人生、3割ぐらいは「したい人生論」で生きていくつもりです。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ