2008/5/13

カルト・詐欺話  カルト・宗教・犯罪

うーん、うーん、
カルト問題にしても、詐欺話にしても、絶えることがない。慣れてはいけないのだが、なんか怒りよりも、虚しさ悲しさを覚えてしまうこともある。なんでだぁ、と。

だって、
1−自分自身は弁護士になる前から、騙されたぁ、ということはない。同様の人も少なくないはず。

2−騙される人は、または怪しげな宗教や占いにはまる人は、どうにも一定層いるような気もする。学歴やIQが高くとも関係無しにね。
原野商法・資格商法などの詐欺事件では「騙されやすい人リストにもう容れられているから注意してね」と言わざるを得ないことも多い。

3−被害者の「ともかく、信じていたくて」という本音を感じることも少なくない。

そりゃね、
1−死んだ後は六文銭しかもっていけないのだから、お金や財産に最大の価値があるのでもない。

2−命さえも、自分が宇宙の一部であることを知るとき、「宇宙の一部に過ぎない」という発想に時には陥る。

いかん、弁護士なり立場不明のカウンセラーとしては、怒りの継続が大切。

つまり
3−だがなあ、生きる以上金銭などは必要だし、自分や他人の命や人生を粗末に扱うのはなんか本能−つまり自然というもの−にやっぱり反しているように思う。

4−何より、酷い騙し方で他人の人生をメチャクチャにする人は許せん。

5−カルト教祖など、時には自分自身が妄想に支配されている人がいるが、それ自体が可哀想でもある、なんとかしなきゃ。

と自分で励ますほかはなし、かな。

まあ、時には私も鬱状態になるものですから、ご容赦を。
0



2008/6/24  6:54

投稿者:

あや?なんでハンドルが化けるんだろ。鰤といれたはずだったのですが。

http://d.hatena.ne.jp/Britty

2008/6/24  6:51

投稿者:

はじめまして。お忙しいなかブログの更新お疲れ様です。
魂と身体、精神と物質を対立させるところに、物質的なものを過度に否定する思想が出るように思います。
キリスト教では東西ともに「キリストは受肉によって、自ら身体ある存在になることによって、物質という存在のあり方を聖化した」というようなことを考えます。肉体を、可視的なものを離れたところに、精神もまたないというのが有限な人間にとっての世界のあり方で、なので物質的なもののありかたが唯一絶対だとも思っておりませんが、非本来的なものだとも思ってはおりません。それもまた神がかくあらしめた「よい」といわれたものだからです。
とキリストを信じるわたくしは考えるのですが、主要宗教は多かれ少なかれそのことを認めているように思います。万象は幻影だという仏教でさえ物質に依拠するあり方をしている生命を毀損することを戒めている、と私は理解しています。世界や存在の本性――先生が自然とおっしゃられたもの――への理解と探求をうちにもたない信仰は、たとえそれ自体は誠実なまじめなものであろうとしても、やはり自らが背を向けたもの、存在の摂理から裏切られ自壊するほかないのかと思います。

http://d.hatena.ne.jp/Britty

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ