2021/3/30

「やまゆり園」に関して大熊真春氏と対話  日常のこと

 津久井やまゆり園に関しての対話を、大熊さんとツイッターでしました。2021.3.16〜30 ただツイッターは時間順に整理できないから、どうも前後関係がずれたりしてしまう。
 大熊さんにあって、あくまでゼロ百思考でだけ主張する非建設的な主張であるばかりでなく、その裏付けたる体験として言っていた「重度障害者の介護」も、知的障害ではなく身体・言語障害の方であって、知的障害まして最重度知的障害者の介護に根差した議論ではなかったことを知り、ガクッとしました。なんなんと。

ご参考に―津久井やまゆり園事件に関しての対話 
2021.3.16から30

滝本太郎 「やまゆり咲く里」という歌を作りました。広く知られると幸いです。2016年7月26日、神奈川県相模原市で起こった「津久井やまゆり園重度知的障がい者多数殺傷テロ事件」の鎮魂歌。同時に、二度とこのような事件を起こさせない一助にしたく。詞の説明などもあり。
https://sky.ap.teacup.com/takitaro/2931.html

大熊真春 このような差別歌を許してはいけない。

大熊真春 3月16日 こんな差別的な歌を作って平気で公開できるようでは事件は【必ず再発】します。


滝本太郎 (ユーチューブ大熊さんの)発言を見させてもらいましたが、それであるのに、自由に出られないとか、の言葉が出てくるのですか。重度の知的障害・自閉症児者は、時にまさに自由になったところでの様々な事故や、山の中の凍死、餓死にて死んでしまってますがね。

滝本太郎 ああ、自分でその観覧車にいくことなぞできないですよ。自由で、お金も持っていたとしても、本人らが行けると思ってられるの? 法廷でも調書朗読がありましたが、親御さんが連れていったりでしたね。

大熊真春 介護者がいればいいと言うの、わかんない? そんなに頭悪い?

大熊真春 公費負担で24時間介護者がいればできますわ。バカなの?
大熊真春 繰り返すけど、介護者がいればできる。それを親たちは妨害してきた。


大熊真春 私は一人で24時間介護というのが何日も続いたりしたけど、公的制度で介護者を使えば週休二日8時間労働のスタッフ4人で回せます。

滝本太郎 ご自身、「自由に」と言うので、介護者関係なくという意味と思っていたが、その趣旨ではないのですか、なんとぉ。それ、限度があろうが工夫はあったと。勿論もっと予算をかけて日々できるようにすべきですし、できれば多数の人の施設でない方が良いとは誰も思う所

大熊真春 繰り返すけど、介護者がいればできる。入所者の人生を奪ったのが家族

滝本太郎 ええ、テレビにも出ているので書くと、尾野さんの処、なんとかその方向で進められるかという所です。神奈川県で殆ど初めてかと。

大熊真春 「ほとんど初めて」というのが情けない。数千人いたと思われる入所者の家族は何やってたの? 牢屋にぶち込んで自分の手を離れてほっとしただけ。ふざけんな、だ。

滝本太郎 なんと。殆どの人はその方が良いと思っていましょうと。それが予算上なのでしょう容易に許されず、人的資源も確保できない、という問題です。

大熊真春 人材資源を要求するのが家族の役目だったのに、本人を牢獄に入れて自分たちの手を離れてほっとしてたのが現実の家族。

大熊真春 そうです。ようやく一致点の一つは見出せたようです。

大熊真春 こんな差別的な歌を作って平気で公開できるようでは事件は【必ず再発】します。

滝本太郎 被告人が、メディアや知識人に言ってたことでもあるが、介護の1週間でもしてから言うべし。自由に出ていく?バスや電車に乗れますか、話せない、意思を正確に示せないのにどうするの。施設が開いていて居なくなって死亡事件もある。皆がそれぞれ違う。障害者の代表のごとく言うは、傲慢でしょう。

大熊真春 あのなぁ、俺は20歳の頃、重度障害者の24時間介護を連続何か月もやった上でそれをふまえて言ってるんだ。バカ野郎。

大熊真春 施設を出た「彼」とは親友になり、だが、疲れて夜中のトイレ介護要請に聞こえないふりをもし、各種手続き整えて自分の住むアパートを得て自立生活を始めてしばらくまでつきあった。だがやまゆり園家族は牢屋に入れて終わり。


滝本太郎 うっ、ご趣旨が分からない。各種手続きですか?重度だが自分でできたということですか?

大熊真春 私の親友の「彼」は文字を書くことはできないので私中心に介護者が代筆しました。各種制度の「存在」すら役人は教えないので、人数をそろえてフロアにいる人たち全員に聞こえる大声をわざと出し半ば脅して「水際作戦」を防ぎました。当時の弁護士や行政書士は無知で行動もせず役立たずでした。

滝本太郎 なるほど。文字は書けないが、手続きなり自立する概要は理解できる方だったんですか。うーん、役所は、住所まして名前の代筆は許さないところですが―私、色々していて許されたことはないです―それは書ける方だったんですか。

大熊真春 違います。代筆を認めさせたのです。「書けるわけないだろ、ふざけるな!」と。住所が定まっていない状態での生活保護も認めさせたのです。やまゆり園家族は何百人といながらそんな努力すらしなかった鬼ばかりということです。

大熊真春 ちなみに現在、私は捺印に介護を必要とします。介護者同伴でない場合は、相手に「私の見ている目の前で押してください」と頼みます。


滝本太郎 その方以外の色んな方を看たのではないということですか。またその方はその後、言われた4人交替での24時間介護の体制が今も維持できているみたいですか。トイレとか自分で十分にできない、一人でいるとどこかに出ていき所在不明になってしまうとかあるなら、そうする外ないと思われますが

大熊真春
どこからを「色んな」とするのかわかりませんが、24時間介護に私が付いたのは2名で、先天性の身体障害で言語障害を伴うためタクシー等で一人で出かけてその場の人に介護を頼むのは困難です


大熊真春 昨年あたり「彼」と電話で話しました。公費による二十四時間介護は維持できているようでした。

滝本太郎 それは良かったですね。そして電話で出たり、少しは程度は話せる人なんですね。人により大きく異なりますが、最重度の知的障害の人ではまず無理な処ですよね。

大熊真春 そうです。「彼」の言語能力は誰にもとは行かずとも、私が聞き取れる程度にはあります。私も逆に理解されるように話します。で、会話のできない最重度知的障害者なら牢獄送りで仕方ないとでも? 私はそう思いません。また事件は起こります。必ず。

滝本太郎 津久井やまゆり園とその事件では、最重度の人についてのことだったので、大熊さんも、それを前提に話しているのだとばかり思ってきたのですが。それでは、被告人の言った1週間でもやってみてから言ってくれ、という現実の重さの前には、対抗し得ない話になってしまうだろうな、と感じます。

大熊真春 そんなバカな理屈はありません。それではあらゆる立場を経験しなければ何もモノが言えないことになります。もっとも私だって「いつ終わるか分からない7点拘束される体験を一週間以上やってみろ!」とよく言ってますが。法曹も研修として受刑し、本当に罪なく死刑執行される者も作る。

滝本太郎 いえ、ご自身はよく分かっていると書かれていたので書きました。勿論、経験せずとも、よく知った上での立論こそが説得力を持ちましょう

大熊真春 ということは、「看守」の好き放題ですね。私自身は世間からランダムサンプリングした標準としては「重度知的障害者」を良く知っている方に入ってしまうと思います。残念なことに。(当事者の家族を含めた世間の無知を嘆いているということです。)

滝本太郎 私は、大熊さんの発言は、最重度障害の重さ、哀しさ、何か意思疎通できた時の喜びとかに根差した発言ではなかったんだなあ、と残念に思いました。では。

大熊真春 なんだか意味不明ですね。私は当事者の側に立つのを基本とし、先生らは「お世話をする人たち」の側、健常者の論理、強者の理屈、多数派の無自覚な暴力に立脚するのを基本としているようです。だから障害者にとってまず最初の最大の敵は家族なのです。

大熊真春 「アホか」と思うのは「重度知的障害者の介護してみろ」と言う人。経験すべきなのは「介護を受ける側」「施設に収容される側」の経験なのに。どこまで行っても健常者の論理なんだ。

大熊真春 人権蹂躙施設やまゆり園を賛美する悪魔崇拝の歌ですね。職員や家族の罪は不問とし、すべてを植松聖になすりつけている。こんな歌は許せません。ふざけるな!

大熊真春 ははは、あすこは「地上の楽園」だったのですね。あんな地上の楽園では暮らしたくないですわ。

大熊真春 「#障害者にとって最大の敵は家族である」を私は時々ツイートしますが、これは私自身が考え付いた言葉ではなく、障害者が自分の人生を取り返す運動の歴史から生まれた古い言葉です。やまゆり園事件はまさに「家族」が起こした事件でした。

大熊真春 やまゆり園の存在自体が差別であり共生を阻んでいる原因なんですが。

大熊真春 この障害者を馬鹿にした歌。障害者収容施設を理想化し家族や職員の罪をすべて植松に被せ被害面している醜い歌だ。ふざけんな!

大熊真春 やまゆり園は当事者の希望で作られた「友情あり恋愛ありの楽しい青春を過ごせるシェアハウス」ではない。親の「介護から解放されたい」という希望で作られたものだ。当事者が牢屋に入って解決? ふざけるな! だ。何百人も家族がいてなぜ行政に24時間介護での自立を要求しない? バカの集まりなのか?

大熊真春 ひどい歌だ。これではやまゆり園を理想化し家族や職員の罪は不問にしたうですべてを植松聖になすりつけている。差別促進歌だ。こんなものを大真面目に作る連中に障害当時者として激しい怒りを感じる。


滝本太郎 先日のご自身との会話で色々経験してきたとでしたが、重度の知的障害で、かろうじてだがご自身と電話で話せる人とのこと。ガクッとしました。最重度の知的障害の重さ・哀しさ・時にある嬉しさ等を知ってから言って下さい。あの被告人なら?!?だろうと。また障害当事者を勝手に代表しないで下さい。

大熊真春 あなたこそ勝手に代表しないでください。というか、当事者の立場には生まれてこの方一切思いを致したことがないですよね。だから人権蹂躙施設を正当化する。周囲の健常者の論理でしか考えたことが無い方だね。ふざけんなよ。

滝本太郎 身体は勿論、知的、発達、精神障害も軽度から最重度まで色々、重複もあり、最重度でも人と年齢によりホント色々と違う。最重度知的障害の関係者も、自立できるならそうしたい決まってる。しかし人的に足りない、そしてグループホームでの自立もとても不可能な人もいる、命の問題です、乱暴に過ぎる。

大熊真春 それでは植松聖と同一思想ですね。私はそんなの許しません。先生の立ち位置は健常者目線です。親たちもそう。だからどんなに長時間当事者と一緒にいても進歩することが無いわけです。親はわが子を誰より良く知っていると勘違いする。本人の立ち位置には永久に立たないまま。

滝本太郎 被害者参加弁護士が最も追及し、弁護・検察からもあった記憶だが、被告人が衝撃を受け「人とは何か」と考えたのは自然のこと。最重度障害の介護はそういうことかと、重い認知症の介護と似るがまだ若い時があったと。課題はそれを乗り越えられなかったのはなぜか。被告人に笑われるような認識ではイカン

大熊真春 ですからね。滝本先生は植松聖と同類なのですよ。健常者の立場から健常者目線で「人手が、、、最重度の介護が、、、」。結局、心失者はやまゆり園にぶち込むべし、だから。日本には無限と言っていいほど人手があります。年収1,000万円を53歳まで保証すれば介護職のなり手はたくさんいます。

滝本太郎 100ゼロの発想なんですね。それ故に重度知的障害の方の介護した経験があるからと、様々な障害とその軽重・種類を捉えられず、最重度知的障害についてで語ってしまい、私外の意見も100ゼロでしか聞こえないのだろうと感じました。

大熊真春 私は「人はみな健康で文化的な生活をする権利がある」と考えますが、先生は「障害者もいろいろで心失者はやまゆり園が妥当」とお考えですよね。その差別思想が植松聖と全く同じだと指摘しているのです。

滝本太郎 予算や人手の問題は別として、現実に24時間介護でも一般のアパートは勿論、グループホームでの生活も到底無理な思えない人、それが直ちに命に関わることもあると認識しつつ、「健康で文化的な生活」を考えてほしいです。100ゼロでなく。尾野さんの処のようにできるなら、誰しもしたいものでしょう。

大熊真春 それでやまゆり園のような人権蹂躙のための施設を正当化してよいというものではありません。「無理な人」と勝手に決めつけてはいけません。「できない」ではなく「やる」のですよ。あなたは完全に健常者の理屈で障害者の人権を奪っていいと決めつけている

滝本太郎 こんにちは。やはり、100ゼロで言っておられると。それから私のブログの方に、歌についてのご意見の後の一連の会話を保存しようと思います。「ご参考までに」とだけして。お名前はいかがしましょうか。今後もあるだろう議論の参考になるかと。

大熊真春 100ゼロではなく立ち位置の違い、向いているベクトルの違いです。ゼロから100までの間が無いのからではなく永久に交わることはないということです。障害者目線か健常者目線か、ドッジポールのコートの向こうかこっちかの違いです。

大熊真春 「お名前」とは私の名前の扱いでしょうか。当然、実名を希望します。匿名になどされたらたまったもんじゃありません。私は奴ら(卑怯きわまりない被害者家族たち)と違って一生懸命生きているのです。

大熊真春 滝本先生も途中で割ってい入った元やまゆり園職員の方も「介護の経験してみろ」とまず第一にアホなコト言ってたのが象徴的です。「無期限の入所してみろ」ではない。あくまでも健常者の都合での物言い。


滝本太郎 了解しました。下記にアップしました。

以下は、2021.3.31追加

滝本太郎 あれっ、アップしてから改めてよく読んでみると、大熊さんが介護を経験された重度障害という人は身体障害・言語障害が重いのであって、知的障害については(最重度ではないことは先に認識しましたが)重度又は軽度の方でもない、ということなのでしたか。

大熊真春 知的障害は別の人たちですね。私は知的障害者については親族として、作業所運営側の関係者として、家庭教師として、また通所作業所の仲間(精神との重複障害)として関わっています。繰り返しますが先生が「重度」を特別視するのは植松聖と同一思想です。

滝本太郎 そうでしたか、了解です。色々頑張られてきたんですね。この応答も、追加としてアップさせて下さいませ。

大熊真春 植松や先生がラインを引く「意思疎通が出来ない、」【心失者】レベルの知的障害でも40年も前の私の中学で普通学級の授業を受けてました。授業内容がわかるわけもないしウンチもらして申告もしないし暴力振るうし「迷惑」なのにですよ。そこで机を並べることにお互い意味がある。やまゆり園は隔離する。

滝本太郎 「意思疎通ができない」とか、それでラインを引いたりなど、私は一切してない。歪曲しないで下さい。最重度の知的障害があるとき、「介護付きだがすべて自立していく、施設は全部廃止」は不可能、本人の命に関わる、もとよりあの被告人からは嗤われるだけ、彼への説得力もない、と言っている

大熊真春 別に植松に嗤われようが関係ないんですけどね。世間は彼への説得などせず、思想的に先生と同様に彼に同調し死刑にしましたよね。「死刑を希望します」と。【匿名で】

滝本太郎 それから、施設でも隔離ばかりがされてきたとの先入観は止してほしい。記録からして地元の人と交流は勿論あり、買い物や観覧車に乗ったりもある。もっと広げるべきですが。知的障害児者や自閉症児者がどれほどに行方不明になり死亡発見、てんかん発作?死亡、交通事故で死亡しているか等を知るべき。

滝本太郎 >別に植松に嗤われようが関係ないんですけどね
ああ、この表現は勿論、ある程度はいるだろう被告人の同調者に対しての、説得力という意味です。その仕事に就けば衝撃を受けるは自然なことであり解決が必要。知的なそれも最重度(重複を含む)障害での課題なのに、違う話では説得力を持てないです。


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2021/3/31  3:55

投稿者:山田

「当事者」ってことばそのものが差別的でこの社会に住む人たち皆が考えなくちゃいけないです。構造の話を誰かにだけ押しつけるのはフェアじゃないと私は思います。

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