2019/5/6

富士宮・上九  カルト・宗教・犯罪

5月4日、久しぶりに静岡県の富士宮、そして隣接する山梨県の旧上九一色村の富士ケ嶺地区と本栖湖に行ってきました。写真と説明で報告します。

富士山総本部だったところです。広い跡地の一角には、富士宮市民の会が建立した「団結の碑」があります。
この広い土地に隣接し、搾乳のための酪農をしていたお宅があります。当時、夜の照明やマントラやお陰で乳の出が悪くなって困ったとのことでした。悪臭があった日が何度かあったとのことであり、何人かの遺体を焼いた時だったのだろう、と後に推測されました。坂本事件直後には悪臭はなかったとのことであり、殺したならば他に埋められていようと推測していました。

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ここは今、盲導犬訓練センター「富士ハーネス」になってます。初めて見学できる時間にあたり、色々見てきました。この施設になったのはとても意義があるように感じます。下記に紹介されています。

https://www.moudouken.net/fuji-harness/go-fuji/

上九の富士ケ嶺地区、竹内精一さん宅に行きました。腰が痛かったりして酪農はもうやめたとのことですが、とても91歳には見えないです。どうぞ元気に長生きしてくださいませ。故松本智津夫の思い出を色々と話しました。
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参考までに、竹内さんの、1995.8著の本「オウム2000日戦争」です。貴重です。
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同じく、岡本法惠さん宅に行きました。大きな雹が降ってきました。
岡本さん宅は、サリン製造計画の第7サティアン、サリン製造のクシティガルヴァ棟や、学校体育館以上の大きさの第10サティアンに近かったです。恐怖そして1994.7の悪臭を発見した方です。竹内さんら共々、何人もの逃げてきた出家者を救ってくれた方です。
 1995.3.22未明には私もここにつき、他の出家者数家族とともに待機し、カナリヤを先頭にした強制捜査の開始を見ていました。

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岡本さんが当時、撮影していた写真の一部です。
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 上九の人達には、まさに深く感謝申し上げます。
 オウムの監視活動をしてくれた方々です。その車両情報を(南巨摩郡の旧富沢町や熊本県の旧波野村の各住民団体と同様に)私がもらい、色々調べつつ警察にも諸情報を提供してきたものでした。

 太平洋戦争の後、富士山麓を開拓してきたご苦労からする根性、大根栽培ができて少し落ち着いた頃の北富士演習場の計画と闘い、なんとか酪農で食っていけるようになったのに、オウム施設が次々と建設され始め、その迷惑さから反対運動をしてこられました。富士開拓の前、一部の方は満蒙開拓団そして引き上げやソ連抑留で苦労してきました。

第1上九の建設阻止のための裁判などで陳述書を作成するため、聞き取り作業をして、そのご苦労に文字通り頭が下がりました。
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 麻原教祖は、1994年夏、この岡本さんと竹内さんの所、また公民館に盗聴器をセットさせました。しかし、「村人をポアする」計画はなかった。
 きっと、オウム王国を作るには敵なのだが、しかし尊敬もしていたのだろう、と考えています。



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 第1上九です。説明書きが一切ない「慰霊碑」が立っています。この慰霊碑のあるあたりの建物地下に設置された電子レンジの原理を利用した施設で、假谷さんや内部死亡者の遺体が、時間をかけて焼かれ、分解されました。この日は、大きく見えるはずの富士山は見えませんでした。隣にある牧草地と1つの木は、過去自動車会社のコマーシャルにも使われました。そのお宅は、照明や削岩機の被害が最も大きかった。出家者が逃げてきて、追ってきた人が戸を壊したりまでして連れて行ったものでした。

 なお、その他、治療省や尊師のご自宅が入っていた第6サティアンがあった第2上九、工場などあった第4上九、サリンを保管する予定の自製の危なっかしいポリタンクが大量に残存していた高い所にある第5上九だったかなあ、それらの跡地があります。
 (ちなみに、これらの土地は、決して森達也氏らが誤解しているような、後のガリバー王国やその跡地ではありません。彼は月刊プレイボーイでも単行本でも間違えていた、文庫本では訂正したのかなあ。調べれば容易に分かることであり恥だろうに。)

 やたら混んでいた国道につながる道で、車中から牛を撮影しました。
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 本栖湖では富士山が少し顔を出しました。そしてその湖面です。假谷さんらの骨残滓がまかれました。
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頭を垂れ、手を合わせた一日でした。
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2019/6/3  12:55

投稿者:

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2019/6/1  15:41

投稿者:滝本太郎

書き込みありがとうございます。
山田さん>地元の方達のオウムと闘ってきたその貴重な記録を後世に残す資料館
そうですよね。あるいは、慰霊碑の裏に文字を書き込むことと併せて、とも思います。
知り洋館は、人が来やすいところでないと永津付きしないが、でもやはり上九にいつか、とは思います。

さめさん>竹内さん、凄まじい覚悟
そうですよね。月夜は真っ暗になる広い地域、とならりの家は高くて500メートルぐらいの地域に、忽然とオウム施設の光がこうこうと輝いていたものでした。
あれを見た時、地元の人の深い恐怖を実に思いました。

kさん>オウムが内部や坂本一家を殺しているにも関わらず、国が宗教法人化
>マスコミや大学にもてはやされー当時は平気でオウムの本が本屋はおろか税金で運営している町の図書館にも置かれていたーしかも冤罪・人権コーナー!
>一般庶民の「変だ」ということが、日本全国テロの被害にあうという最悪の事態を抑えられた
宗教法人になつたのは1989.8で坂本事件より先になります。1991年あたり以降の、一部「知識人」の責任と、視聴率など取れるからと使ったメディアの責任は重いです。
大学がもてはやしたとのではなく、オウムに利用された学生が学内で講演など企画するのが容易だった、大学にカルト問題対応の問題意識がなかった、そして一部の教授らという問題なんだろうと。
麻原の本質なんて、庶民のほとんどにとっては自明のことなのに、ほんとお馬鹿さん知識人がいるものなんです。それは今も、ですよね。

2019/5/8  12:28

投稿者:

オウムが内部や坂本一家を殺しているにも関わらず、国が宗教法人化をさせマスコミや大学にもてはやされー当時は平気でオウムの本が本屋はおろか税金で運営している町の図書館にも置かれていたーしかも冤罪・人権コーナー!(オウムの元顧問弁護士のだが)いたなか、唯一一般庶民の「変だ」ということが、日本全国テロの被害にあうという最悪の事態を抑えられたと思っています。滝本先生、上九一色村の村民の方々、心から感謝です

2019/5/7  12:41

投稿者:さめ

 竹内さんお元気だったんですね。オウムとの戦いには凄まじい覚悟がいったでしょうね。私も尊敬しています。二度とこんな悲劇は起こってほしくはないですね。

2019/5/6  17:29

投稿者:山田

先生お疲れ様でした。竹内さんや岡本さんのように地元の方達のオウムと闘ってきたその貴重な記録を後世に残す資料館が出来てほしいですね。

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