2019/3/31

故新実智光の帰依について  カルト・宗教・犯罪

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190326-00010017-abema-soci
 上記は、オウム事件で最後まで麻原彰晃に帰依していたと見られた故新実死刑囚の、獄中妻への取材内容です。「松本家を信仰することのバカバカしさ、教祖を崇める生き方より自分を信じることについて書いてあった。最期の最期で夫は原点に帰りました」と説明している。彼女のツイッターや下記ブログにも同様のことが書かれてる。
http://sorairo-sora.cocolog-nifty.com/blog/

 確かに、故新実につき、獄中妻となった彼女と面談を重ねて命に執着心が芽生え、やがて変わって行かないかと期待はしてきた。彼女が執行猶予付き有罪になった男性への脅迫事件の被害者に対し、なんと故新実は、慰藉料請求訴訟を提起した。一人は和解で終了、一人は継続中のままだったか。

 被害者にはとてもひどい話だが、そんな訴訟からすると、故新実が「現実感」と「自らの感覚」を回復し始めてきたのでは、とも思えたり。

 だが、下記にアップしてある本人の2018.6.28付恩赦申請補充書の文章−下記−から見ると、命への執着心はだいぶ出てきたが、いまだ帰依をなくしたようには思えなかった。
https://sky.ap.teacup.com/takitaro/2480.html

 彼女には、故新実の、手書きである筈の文章写真そのものを示してほしいと、つくづく思う。

 故宮前(旧姓は佐伯、岡崎)いわく「話すドーベルマン」と表現した故新実についても、年を重ねるに従い、言うことがどう変わっていくか、知りたかった。

 死刑囚についても、何とか刑務作業とかをさせる制度に変更させて、獄中でヒヤシンスぐらいは栽培できるようにさせて、命と現実感に目覚めて、やがて自らのしたことの「悔悟」を明確に感じるようにしていけないか、と思ってきた。もうできないことですが。

1994年11月、上九のオウム施設前で、Mさんという出家者とやり合っていた時だったか別の時だったか、故新実がそばでニヤニヤしていたのを思い出す。率直、一番怖かった。同年8月あたり、第7サティアンに入る上り坂前で、いかにも元暴力団員の人とやりあった時より怖かった。
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2019/6/24  11:31

投稿者:

プチオウムはたくさんはずですー先生をたたいたりバッシングするのはカルトにとって都合悪いから?ー余談ですが学者のみならずオウムを称賛した宗教団体もあります(当時の資料あり)先生も大変だけど、無理することなく頑張ってください

2019/6/23  15:06

投稿者:滝本太郎

>本質は何かの力やその生命体がその教祖の麻原を通じてその目的に必要な者をその教祖麻原の弟子として集められその教団が体を持つ一つの生命体
―まあ、共同幻想といったり時代の産物と言ったり色々ありますが、集団の病理現象−支配と服従−として昔からあることだろうと。大仰にとらえたかるのは、思想家とか陰謀史家とかいろいろおられますね。麻原が法廷で堂々と正しいポアだった、と言うことを期待した吉本隆明なぞもいた。世間智、洞察力がホントないか、おふざけ知識人なんでしょう。

 カルト集団の代表が、人の心理操作に長けて能力ある集まった、また破壊願望のやたら強い人だったからそれを実現しようとした、という単純なことだろうと。

2019/6/20  1:02

投稿者:ゴラス

滝本先生は基本は法律家ですから、
その訴訟での立証の構成の考え方の主張でありそれから逸れる主張は法律家としては逸脱するのかもしれませんが、

オウムの一連のその凶悪犯罪を単にその教祖の麻原が首謀者でその麻原の考える殺人や無差別テロをその弟子に指示してこれを実行させたとのその事実のみでの外形の事実で
その原因にその教祖の麻原の人格障害の狂気による、
マインドコントロールやら洗脳による弟子の盲信のその教祖の命令の実行になる訳ですが、
そうでなく別の見方からすれば、その本質は何かの力やその生命体がその教祖の麻原を通じてその目的に必要な者をその教祖麻原の弟子として集められその教団が体を持つ一つの生命体として
その目的の生命活動での一連の凶悪犯罪と滝本先生は考えられないでしょうか?

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