2006/5/23

ジャーナリストって  定義・知識人の責任

ジャーナリストって何? と思う。

その類の本はろくに読んだことはないが、私なりの定義は

「課題にかかる事実を見る眼、見つめ続ける気力と勇気を持って、それに基づいて事実、分析、自らの考えを他に伝えることを業とする自然人」

だと思う。

大切なのは、事実から出発するということ。
思想家とかだと形而上学的にやってもまあいいし、小説家ならば推測や想像、創造の部分が多くあっても良い、と。
だが、ジャーナリストって、そうではなかろう、と思うので。

で、他に伝えるためには、不明確過ぎないようにして、それなりに分かる言葉で書句べきことは当然の前提。

吉本隆明の類の影響かどうかは知らないが、「ジャーナリスト」って言っても、言っていることがあまりに不明確な場合があります。また、言っていることがどう見ても分からないときや、あえて不明確に書くことによって「逃げ」の体勢にある文章を見るときって、時にありますよね。

新聞の論説とか、ジャーナリストの文章でも。これは、末尾の方を見れば、容易に判断がつくことです。小難しい言葉や、カタカナが多かろうと、それぞれの段落の末尾、まとめをみれば分かること。
中学校で習ったはず。

ああ、それから他の普遍化しようとしている立論をすでに持っているとき、そこに持ち込もうとして、その課題の特殊性というか、課題の特徴たる色合いを軽視してしまいがちです。それは、事実から出発する筈のジャーナリストとしては、あまり露骨にやってはならないと思います。

まあ、私が弁護士であることの弊害かもしれない。
弁護士の場合、証拠・事実とそれに基づいた論述、特には感情を入れても、基本がなってなかったら、
そしてその立論と主張を、明確に伝えられる文章でなかったら、言葉でなかったら、裁判では勝てる裁判でも負けてしまいますもん。シビアですもん。
(私の文章が分かりにくいというネットでの評判もありますが、仕事の文章ではそうでない筈なのでご安心を。)

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それで、本題です。佐々木俊尚さんの下記のところの5.22の文章についてです。
http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/05/post.html

今回の玉稿については、同意できるところが多くありますが、下記のところのみは、あまりに相対主義に過ぎ、それも事実に基づいていないと考えるので、意見を申し上げます。

(なお、結語の趣旨が不明確だなぁと感じますが、それはそのようなスタイルをされているかもしれず、やむをえないとは思います。)

すなわち、「大日本帝国」云々の部分について、失礼ながら考察に精密さが足りず、印象で述べていて、結局は、R30さんと同じ過ちを犯しているのではないか、と感じられます。

その論調は、教団が生き残るために上祐が計画した「・大日本帝国に似ているとして、国民を味方につける。」そのままの論理でもあり、しょもない「一部の知識人」が時に言うことでもあるので、改めて書きました。

また、このことは、右に先立つ5月13日に、私のブログにおいて記述しております。

ネット関係で著名な方のようですので、この件では同じく泉さんにインタビューを受けている私のブログであります以上、もちろんお読みかと思いますが、その立論を踏まえておられないとしか思えないものです。

もとより、私の拙稿を読む義務はありませんでしょうけれど、ご自身のジャーナリストとしての観点を更に磨くために、万一読まれていなかったらこれをしてほしく、読んでおられたらその上で改めて具体的に、下記のことをご検討くだされたく、お願いします。

突然に失礼いたしました。
草々

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R30さんの松永君インタビューでの言葉

この問題に簡単に結論を付けることなどできない。なぜならそれは、松永氏だけの問題でも、アーレフ信者と被害者との問題でもなく、おそらく日本人全員の問題だからだ。自分自身の過去の反省をうやむやにしてきた我々日本人自身が背負っている十字架を見ずにオウムを罵倒する人は、まさに自分を嘲っているのと同じである。
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佐々木さんのブログ
 私がR30さんのこの発言を読んだときに感じたのは、多くの批判者が書いている「オウムと日本国民を一緒にするな」という身も蓋もない批判、反感ではなかった。実のところ、R30さんの言説は、単なる脊髄反射的な感想にとどまらず、非常に重要な意味を含んでいるように思えた。

彼の意見から私が受け止めたのは、「オウム」や「大日本帝国」という被害を与えた側の認識のあり方の問題ではない。そうではなく、オウムや大日本帝国から被害を受けた側――つまり大日本帝国に侵略された中国や韓国と、オウムによって生命の危険を感じた日本国民の側の認識のありかたの問題だった。その「被害を受けた側」の認識としては、「歴史認識が問題だ」と言い続けている中韓の人々と、オウムの危険性をいまも声高に指摘し続けている日本社会は特定の場所においてオーバーラップするし、そのアナロジーには何らかの意味が存在すると思える。

 日本と中韓、オウムと日本社会の間に横たわっているのは、決定的な認識のずれと、絶望的なまでのコミュニケーションの断絶だ。それは実のところ、日中韓やオウム−日本社会だけでなく、先に挙げた『断』のコラムで書いたように、いまや社会の至るところに偏在しているように思える。

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佐々木さん、
結局は、大日本帝国の場合とオウムの場合を一緒くたに話しています。

でも、下記のことが事実して存在します。

1−大日本帝国では、女性は勿論、男性とてそう自由に選挙はできなかった、
2−大日本帝国では、政権に逆らえば、投獄されたり、殺された
3−国家の場合、そこから抜けることは経済的、文化的、過程のことからも事実上極めて困難
4−日本の場合、靖国神社への公式参拝をしているなど不十分なところもあるが、国家としては1995年の首相声明にあるとおりしっかり謝罪しており、条約締結の際にさまざまな形で補償をしており、さらに不十分なところについてさまざまに運動している人もしっかりいる。
5−日本国民は、単に日本国民なのであり、多くの人は「天皇陛下万歳」「大東亜共栄圏を作ろう!」などとの思想にもはやない。

1−オウムの場合、もともと勧誘されたが嵌らないでいた人もいた
2−オウムの場合、マインド・コントロール、洗脳があるとはいえ、それでも脱走した人も少なくなくいた、
3−オウムの場合、逃げる場所は実際上はあった
4−オウムの場合、まして1995.5.16の後は、容易に逃げられた、それからもう11年
5−しかも、その信者は未だ「麻原彰晃」に帰依している。

以上の違いはきわめて大きいものです。

以上からして、
たしかに、大日本帝国の所業を許した日本国民に責任はあるでしょう、戦後の国民にも日本の責任を政府に果たさせ尽きていない以上、責任はあるでしょうが、

それと現役オウム信者を責任(=どの程度非難できるかというレヴェル)は、あまりに異なります。

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また、佐々木さん
R30さんは、松永君へのインタビューの中で、最後にこうも言っています。
http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/__c076.html

「R30:「私はそうは言えません」というレベルにあるならば、逆に言うともう、これってアジアと日本の戦争責任問題と同じだぞと。日本人って実はアジア人からこういう風に見られてるんだぜ。それって俺たちがオウムってことなんだぜ。と言うしかないんだよね、そう思う。」

ですから、ご自身が「彼の意見から私が受け止めたのは」と言い「被害を受けた−側の認識の問題」と言ってみても、やはりR30さんの発言について、あまりに曲解というか、彼のためかもしれないが「善解」に過ぎると言うものです。
事実を変えてはならないと思います。

最後に、佐々木さん
>日中韓やオウム−日本社会だけでなく、先に挙げた
>『断』のコラムで書いたように、いまや社会の至る
>ところに偏在しているように思える。

との纏めはあまりにいただけないと思います。
自分の立論に利用するための文章だったのか、そのためには課題の特殊性も無視してしまうのだなぁと感じました。

なお、佐々木様
泉さんについて「泉さんはジャーナリストとしてはまだまだ半人前で(と偉そうに私がいうのはおこがましく、許してほしいが)」とあります。

勿論彼女はまだまだ素人です。が、生意気ではありましょうが、私は、きわめて多数の世界中のジャーナリストから取材を受けた者であるところ、私の感触では、ジャーナリストとして最も大切な
「事実を謙虚に見ようとする姿勢」
を持っていると感じました。

この姿勢は、往々にしてそれなりに実績を上げてくると自分の言いたいことが先にあったりするので、失ってしまいやすいです。自信がついてきて、事実を変容してしまったり、自分の立論にあわせたりするので。心したいものだと思います。
逆に、本当に一流とされるジャーナリストらの多くからは、事実を大切にされているなぁと、いつも感心したものです。

では失礼します。

草々
0



2006/5/25  7:14

投稿者:小娘 蜜

ぱぱチャン、TB成功っ♪o(^-^)o 読んでもらえるといいですね☆

2006/5/24  22:19

投稿者:ガル

滝ちゃん、オフ会はいつやるのよ。

2006/5/24  9:43

投稿者:やす

泉さんについてはコメント控えるけど
「事実を謙虚に見ようとする姿勢」はおっしゃるように大変重要ですね。この意識の低さをすごく感じていますね。湾曲問題と絡めて、編集についてマスコミの中の方のブログにコメントをした事があるけど、全く気がついていなかったようでしたからね。率直にいって、それほど鈍感になってるのかと思ったし、事実を正確に伝えるということは何か?という哲学的部分を煮詰めきれてないんだろうなと思っていました。主観と客観を分けるという事も曖昧なジャーナリストは多いですし、頭が痛い問題ですね。

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