2018/10/7

一次資料  カルト・宗教・犯罪

こんにちは、どの様な案件でも、真相を知るためには一次資料がもっとも大切です。

 宗教関連の学者さんが、従前、教祖の説法や幹部、教団の紹介された人ばかりを聞く傾向があったのは、まったく信じがたいものでした。
 宗教団体だろうと何だろうと、その本質・真相を知りたいならば、公式文書で足りるはずなどありえようがなく、裏説法、構成メンバーの声、脱会者の声、周辺の声など知ることが必要だろうに、と思うからです。
 まして「宗教」は教祖や幹部らだけで成立するのではなく、「信じる」側の分析、実際何をしてきたのかが本当の「教義」を知るにも大切でしょうに、と思うので。
 大昔の宗教現象には教祖の声程度しか残っていないことが多いだろうが、新宗教などの場合、その他の資料も多く残っているし、今の宗教ならば尚更にあります。まさに「まともにガクシャしてよ」です。

 オウム集団においては、リンク集にある下記もあります。元信者が自分で書いているもので、まさに一次資料です。
 貴重なのにろくに見ていない学者さんやジャーナリストもいるみたいなので、再度紹介しておきます。そしてその手記のアップしておきます。


サイト「カナリヤの詩」
http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/
会報「カナリヤの詩」の全体は、PDFにてこちらに。
https://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/20150409/archive

追加13 ● A K
1998年1月23日 第32号より
◆ 私はサリン事件で警察に逮捕され、種々の取調べを受けました。 自動小銃製造の件に関しての取調べの時、オウムで作った”AK−64(?)”を取調べ官が持ってきて、実際に持たせてくれました。それはズシリとした重量感がありモデルガンなどではなく、まさに本物の銃でした。
 取調べ官によれば、「オウムで完成された自動小銃は二丁あって、ここに持ってきたものは実際に撃てるものでもう一丁は排莢動作が上手く行かない。」とのことでした。完成したのを見たのは始めてだったので、その時は正直言って「すごい!」と少し感激してしまいました。

◆ 92年9月岡村鉄工が倒産しそうだということで、当時の広報技術のメンバーが金沢に呼び集められました。
 例のごとく何も内容は聞かされませんでした。しばらくして岡村鉄工は結局倒産し、そのあとで村井さんからここの設備でモデルガンを作り、玩具として販売することもこのヴァジラ・アヌッタラ・ヒタ・アビブッディ(倒産後の、松本被告を社長とした新会社)の仕事に加えようと言われていたのでしばらくは作っているものはモデルガンだと思っていました。

◆ しかし94年6月に自動小銃だということがはっきりしました。それは豊田亨さん・МSさんと私を含めた四人の科学技術省のメンバーが第六サティアンの松本被告の自宅に呼ばれ「君たちには自動小銃の弾を製造するラインを造ってもらう。」と指示されたからです。
 その時やっぱり本物の銃を作っていたんだと判り心臓がドキドキして、体が緊張しました。しかし同時にこんなに重要な仕事を指示されるのだから頑張らなくてはという喜びの気持ちも沸きました。

◆ そしてそのようなことをすれば当然重罪に問われるだろうがそれも仕様がない。もし逮捕されるとしたらそれが私に与えられる修行なのであろう。と自分のすべてを松本被告に供養する決意を新たに固めました。
 この前に93年の亀戸異臭騒ぎのときにも、松本被告に豊田さんと二人で呼ばれて「君達には、屠られた子羊になってもらう。救済のために命を投げ出して全力で頑張って欲しい。」と言われました。

◆ この時はじめて自分の死、もしかしたら無差別の殺戮、そしてそれに伴う自分への刑罰などが現実的な葛藤として大きく迫ってきて、心臓が止まりそうな物凄い動揺の中で自分のすべてを供養する決意を固めたことがありました。このときは、その当時の決意を呼び覚ましたという感じでした。

◆ その亀戸の件についてもう少し詳しく述べると、その後決意は固めたものの、あまりの動揺で体は震え、鳥肌が立ち、寒気がしてそれを落ち着けるのに大変でした。亀戸の件は結局失敗に終わったのですが、そのあとのミーティングで松本被告に上祐さんなどのステージの高い人から順番に意見や反省を言う場面がありました。

◆ 緊張が緩んだのかМさんと豊田さんは、泣きながら声を震わせて話をしていました。私はその痛いような不安な気持ちがわかるような気がしました。でも私には涙が出ませんでした。それはその時には「もう自分の命も苦楽も松本被告に御布施してしまったんだ。これからは、このようにいつも自分を布施していく実践をつづけていくんだ、そしてその先に解脱があるんだ」と思いが定まってしまったからだと感じていたのですが、今思えば余りに急激に心が追い詰められたので、どこか映画を見ているように現実感薄く茫然としか状況を捉えてなかったのかもしれません。

◆ その後94年7月にサリンプラントに加わる時の会議で「このワークは大変危険なワークでボタン操作一つ間違えば、この上九一色村、富士山麓全体が死の山となるぐらいのものだ。辞退したいものは今申し出なさい。」と言われ、誰も申し出るものがなかったので続けて「死を見つめながらワークすることがマハ―ムドラ―の修行には欠かせない。」などの話を受けました。

◆ それからいわゆるヴァジラヤーナのワークに専従するようになりました。そして結局95年5月16日に逮捕されることになりました。

 サリン事件や坂本事件などに実際に関わった人達について、とかくとりざたされることは、
・教団内での権力争い
・あれでけっこう好き勝手していたんだ
・在家信徒や出家サマナをも欺いていたんだ
・成長過程で問題があったなどです。
・そしてあれだけ悪いことをしたんだから死刑や無期懲役が当然だ
などと思われがちです。このようなことは外側から見た常識的判断では、恐らく妥当なことなのでしょう。

 しかし彼らと身近に接していて思うことは、彼らが今まで育ってきた生活では考えられなかったであろう人の命を手玉に取るような行為をしている自分の現実、それに対するどうしようもない捌け口としての破戒(好き勝手する事)行為をしていたのだろうかということであり、また彼らの言葉や振る舞いの端々から感じられた無気力さもそのせいだったのだろうかということです。

 第七サティアンでのワーク中、端本悟さんが、疲れを感じさせる雰囲気で、このようなことを話していたことがあります。
「僕は今はこんな買い食いしたり、セーラー(ある女性サマナ)といろいろあったりするけど、昔は真面目だったんだ!。営業やってたころは、他の人は結構買い食いしてたけど、僕は絶対しなかったんだよ!。信じられないかもしれないけどね。でも、ここの第七サティアンのワークもそうだけど、ヴァジラヤーナの修行(ワークのこと)は、本当にすごく厳しいんだよね。だからそういうときに女性っていうのは、本当に逃げ道になっちゃうんだ。救済のためにー!と突っ走れればいいんだろうけどね。だから君もよく気を付けていたほうがいいよ。」

 この時私は「性欲・愛情欲求には気を付けなきゃな。そっちへ逃げちゃだめだな。」と言葉どおりに聞いていただけでした。

 しかし、彼の発した「ヴァジラヤーナの修行は厳しい。」と言う言葉の中には、彼が実際に坂本弁護士一家を殺害したことも含まれているのだと分かったとき、彼が言っていた逃げ道という言葉が重くのしかかってきました。
 もともとは、解脱を目指して出家し真面目に修行をしていたであろう彼らが、それとは程遠い姿になっているように写ったのは、その苦悩の大きさのためだったと、今、彼らの姿や言葉が改めて痛みとともに納得できるのです。

 私たち、元信徒はただ単に一般の人々が言うように、オウムはくだらないところだとして去るのではなく、彼らの痛みを思いながら、それぞれが自分にとってのオウムと決着をつけようとするとき、はじめてオウムのとってきたオウム流ヴァジラヤーナの本質が見えて来ると思うのです。そしてオウムへの依存から独り立ちできるのだと思うのです。またそれが昔、一緒に修行をした仲間に対する誠意でもあるのではないでしょうか。

 私自身はあるお坊さんに助言をもらったり、今までのオウムでのことを振り返ったりするうち、拘置所でまさに劇的な瞑想体験をしました。その体験を基に、オウムから離れることに決めました。
 それは、私たちの目指した解脱・悟りとは、なにも特別な宗教的場面設定が絶対必要というわけではなく、まごころをよりどころにしてありふれた生活をする中でも、いくらでもそれに気づくことが出来るものなんだと感じたからですあの体験がなかったらスッキリとした気持ちでオウムから離れ、その後の短いけど苦しかった刑務所生活を乗り切ることが出来たかどうか、そして今のようにスッキリとした毎日が過ごせているかどうか自信がありません。

 しかし今、私のなかで松本被告やオウムの位置づけがハッキリとなされているかというと、そういう訳ではありません。折に触れ未だにいろいろ考えつづけています。これからもずっと考えつづけることでしょう。私にできることは、それぐらいなのかもしれません。
 私が今、オウムの中で疑問や不安を抱いている現役サマナに伝えたいことは、オウムを続けていくということは重大事件に関わった人達のような葛藤を経験していくということに他ならないのです。それだけの葛藤を受け入れる覚悟がいるのだということなのです。

・目的のために手段を正当化するという修行実践
そしてまた
・他に苦しみを与えることによって他を救済するという実践そういうものであるオウム流ヴァジラヤーナをオウムが掲げているかぎり、これらの葛藤は程度の差こそあれ避けられないものだと思うからです。そのことを知った上で、オウムを選ぶのなら私がいろいろ言っても無駄でしょう。(しかしその教団内での修行よりも刑務所生活の方がずっと修行が進むと思いますが・・・・・・。)
ただ他にも修行の道は沢山沢山あると思いますよ。その中から無理せず自分にあった修行を選べばいいと思います。

 私については、オウムから離れて後、色々なものに目を向ける中で、自分がオウムの中で過ごしていたころの気持ちとは、比べ物にならないほどのスケールと誠実さで利他行を行っている人々の存在を知りました。その時には、あぁ自分は井の中の蛙だったんだと思ったものでした。そういうこともありました。

 教団内ではオウムの修行が最高のものだとされているのでしょうが、なにも無理して
”BEST”とされる修行方法をとらなくても、無理せず急がず他の自分にあった”BETTER”の修行を探して実践すればよいのではないですか?

 「お仕事大変ですねぇ。」という言葉を取り交わすありふれた日常の場面にもよくよく感じればマハ―ニルヴァ―ナの光が輝いている気がします。

 最後に、今回は被害者の方々への思いには触れずに書いてきましたが、被害者の方達へは、心よりお詫び申し上げます。オウムを通してしか、大切なことに気づけなかった自分の愚かさを深く責めつつ、到底償いきれるものではないですが、少しでも償いの出来るような方向で、これからの人生を決めていきたいと思っています。   (男性・元サマナ)
11



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ