2018/10/3

死刑廃止論の方々へ   憲法・社会・官僚・人権

 下記文章は「青年法律家」という冊子の2018.9.25号に載った文章の一部訂正したものです。8月中旬に書いたのだが、ようやく発行された。ここにも出しておきます。
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  死 刑 廃 止 論 の 方 々 へ    滝本太郎

 実は、なんか力が抜けてしまってもいる。色んな人の顔が頭の中を回っている。「麻原彰晃」が、更に12人を道連れにしていったな、と思う。12人は、麻原のマインド・コントロールと薬物の使用により現実感覚を失い、麻原の破壊願望に魅入られた手足でしかなかった。12人は、もともと神以上の存在である麻原とは異なり何年か後には確実に殉教者になっていく。

12人が、麻原の死刑執行後、自然死するまでどう変化し話していくか、知りたかった。オウム問題の解決、カルト集団による類似事件の再発防止にも役立ったはず。麻原一人で必要十分だった。

 オウム真理教被害対策弁護団、日本脱カルト協会、霊感弁連からの声明が出ているので参照されたい。なお、「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」の言う、13人の死刑執行につき「国民世論を踏まえたもので、死刑執行を支持する」は、被害者、遺族のすべてを一緒くたに勝手に代表していて不誠実だと思う。自分も被害者だし少なくない被害者・遺族を知るが、どうにも違和感がある。

 仮にどうしても全員を執行すると決めたなら、麻原1人の執行の後に、12人を一気にして欲しかった。7人を7月6日に執行した後、翌日は土曜だが実施するかと思った。7日、14日間と過ぎてきて、6人はオウム真理教の「大臣ら」ではないから、執行せずに来年を迎えさせるか、と少しの期待もした。本人らも7月5日まで落ち着いていたはずなのに、色んなことを考えてしまっただろう。20日後の6人の死刑執行、日本でも世界の歴史上でもまずないのではないか。残虐に過ぎる。

 頭をめぐる顔の中には、覚えている刑務官の顔がある。十年来の交流となっている四女さんの代理人となっており、7月7日遺体に会った。その直後、四女さんは言った。
「刑務官の皆様、父・松本智津夫が本当にお世話になりました。ありがとうございました。長い間、大変なご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。最後の最後まで、色々とありがとうございました。」
何の打合せもしておらず驚いた。責任者格の職員は、
「・・・ありがとうございます。職員の皆に伝えます。報われます」
と応えた。後ろにいた人は、四女さんいわく面会の時、何度も会った人だという。その人は直前・直後の面談で、四女の話に何度も何度もうなずいていた。刑務官の負担は大きかっただろう。死刑執行を担当した刑務官もあの場にいたかもしれない。言うことを容易に聞かない麻原の面倒をみるのは大変だったろう。(この経緯は文藝春秋9月号にインタビューされている)。
 
 「刑務官の苦悩」これが最後に残る課題だと思う。私は、強固な死刑存置論者としてきた。麻原法廷でも証言と意見陳述の際に、そう述べてきた。二女三女らが傍聴席にいる場で、松本智津夫につき強く死刑を求めてきた。生意気ながら、中島みゆきの「誕生♪」をプレゼントしたいとも言ってきた。「生まれてくれてウエルカム」の声を思い出して、「思い出せないなら私、あなたに言う」という歌だ。「嘆きながら悲しみながら」となろうが、死刑執行に立会いたいとも希望してきた。

 死刑制度が、犯罪抑止に効果あるという証明はつまりはできないし、「人を殺せば殺されるのが当然だ」とはもちろん思わない。多くの死刑囚の成育歴に同情すべきところが多くあることを知ってもいる。しかし、「人も国も絶対に人を殺してはならない」というのは、高踏的または宗教的であり、とうてい賛成できない。人は素晴らしい存在であると同時に、恐ろしくおぞましいことをする。現世の責任は現世でとってもらう、そんなケジメも時には必要だと思うから。

 悩みは、冤罪の危険性と死刑執行人の苦悩だった。前者は、死刑確定後の冤罪判明の事件がいくつもある日本において説得力がある。しかし明白に「有実だ」といえる現行犯事件も、麻原のごとき指示や首謀が明白な事案もある。

 しかし、死刑執行人の苦悩。今回の12人の死刑執行、まして20日を経た6人の死刑執行なんて、刑務官にどれほどの痛みとトラウマを与えたか。その苦悩は、どんな死刑囚の執行でも基本的に変わらない。

 では、自分が、主権者国民の一人として、自分の代わりに刑務官の一人ひとりに「死刑執行を担当してください」とお願いできるか、という論点です。

 死刑制度を廃止させようと努力している人に伝えたい。

 1つは、弁護士は事件の酷さを知っていようけれど、市民で事件事実を見ようとしない人がいる。例えば「死刑の理由」新潮文庫を読むよう伝えてほしい。

 2つは、後に神などの審判がある筈という感覚で「人は殺してはならない」なぞという人には、黙らせてほしい。

 3つは、集会などするとき、事実関係を無視ないし矛盾も平気なまま、感情に訴えるデマゴーグの類は使わないでほしい。オウム事件で言えば、森達也氏があたる。
氏は、「弟子の忖度」「弟子の暴走」論による一審弁護団の無罪主張(職務上からは尊敬している)に賛同すると言う。しかし一方で、麻原が指示したことを前提として「動機を知りたいから、治療せよ、死刑執行をしないよう」に求めてきた。文字どおりの自己矛盾。果ては今、「(意識を取り戻した)麻原を徹底的に追い詰めて、公開の場でとどめを刺すべきだったのだ。」なぞと、制度上ありえず、新たな制度としても憲法上の黙秘権保障や「人民裁判」禁止に反したことを、平気で言う人である。まして彼らが6月4日に作り8月24日に解散したという「真相究明の会」、そのネーミングと名を連ねた文化人の名は、オウム集団が「デッチあげだ」として勧誘するのに大いに役立ってしまう。説得力を失うばかりである。

 4つは、存続論者ともおおく意見が一致するだろうこと、拘置所での待遇改善である。「今の死刑囚処遇は狂えと言っているようなものだ」「命を感じられる方策を―ヒヤシンスや小動物ぐらい飼わせてあげろ―」や、社会との交流、昔のような前日までの本人と家族への知らせなどである。前者は、今回の12人で典型的なように、現実感覚を失いやすい死刑囚にとって、命の重さを実感して過ごすために是非とも必要である。

 5つは、もとより終身刑の導入である。

 私は無宗教だが、今頃、故松本智津夫ら13人は、あの世で坂本堤ら先に死んだ人から「バカッたれがぁ」と叱られているだろうな、なんて想像しもする。      以 上
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2019/1/19  11:33

投稿者:

いえ、私はこのことに関して全く滝本先生と同意見です。前も言いましたが、坂本事件があるにもかかわらず(そこには赤ちゃんも殺害された可能性があった)賛美したマスコミ、検証もせず持ち上げた学者、犯罪性が示唆されても宗教法人化した行政、宗教弾圧という切り札を恐れて一切動かなかった警察etc.それらも同等に近い罪はあるはずだ。信者もそれらに影響を受けたことは無関係ではないはずだ。純真な気持ちで救済できると思っていたのだから。やはり弟子を死刑にしたのは間違いだと思います(もちろんその純真な思いをうまく利用した麻原は絶対に死刑である)

2019/1/17  9:43

投稿者:hikikomori

>12人は、麻原のマインド・コントロールと
>薬物の使用により現実感覚を失い、
>麻原の破壊願望に魅入られた手足でしかなかった。

貴方の「12人被害者論」は辟易する。

>オウム問題の解決、カルト集団による
>類似事件の再発防止にも役立ったはず。

極論を言えば産み落とすことさえしなければ
問題は発生しない。それはそうと
役に立つから生かす、役に立たないから殺す、
では植松聖と変わらないのでは。

>本人らも7月5日まで落ち着いていたはずなのに、
>色んなことを考えてしまっただろう。

死刑囚は死刑執行情報に触れられるのか。
触れる必要があるのか否か。
個人的には必要がないと思うけども。

>と少しの期待もした

誰も何も言ってないのだから期待も何もない。
貴方が勝手に期待しただけのこと。

>しかし、死刑執行人の苦悩。今回の12人の死刑執行、
>まして20日を経た6人の死刑執行なんて、
>刑務官にどれほどの痛みとトラウマを与えたか

職業選択の自由があるのだから
死刑が法律で定められている日本に於いて
死刑執行に携わるのが嫌だ、というのであれば
刑務官にならなければ良いだけ、では。

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