2018/6/9

雨宮処凛さん  カルト・宗教・犯罪

雨宮さんの下記から
https://www.huffingtonpost.jp/kar…/the-beginning_a_23452806/
「**教祖である麻原が、事件についてほぼ語らないままに裁判が一審のみで終了したからである。語らなかったのは、精神に変調をきたしたから。」

 雨宮処凛さん、色んな課題で、いいこと色々言っているんだけれど、これは困ったな、と。記者会見でも前面に出ていた、困ったな、と。
このままでは、安倍政権や平和問題につきいいことを言っている思う雨宮処凛さんや佐高信さんらの信用が失われていってしまう。考え直してほしく、書いておきます。


 松本死刑囚は、1997.4.24公判更新時の意見陳述やら破防法弁明で、好き勝手に話している、責任逃れをとうとうと言ってることを知らないのかな。

 松本死刑囚は、「証言の妨害」行為を何度も何度も法廷で重ね、しゃべらずとなった後に、精神に変調をきたしたような行動をとり始めたのであり、精神に変調?と思わせる行動の後に、しゃべらずとか証言を妨害し始めたのではないんだもの。

 一審弁護団が訴訟能力を最後まで争わなかったのは、それが理由だろうと私は思います。裁判をいったん中断していた広瀬健一死刑囚の場合とは全く異なります。


 まあ判決公判の傍聴をしただけ、判決文なども碌に読んでいないというべき森達也さん、一審弁護団の無罪主張の理由「弟子の暴走」に賛同すると言う一方で、麻原が地下鉄サリン散布の指示をしなかったなどとは行ってない、という頭のよじれることを言う森達也さんや三女らから話を聞いていれば、そんな誤解ができていってしまうのかな。

20180610追加
 ああ、雨宮さんが、1998年当時、オウムのしたことに井島氏への言葉の中でシンパシーを感じていたことを示したことをもって、批判する動きもあるけれど、それは私、まったく批判しない。私はむしろその少し後、そのような発言をしていることを知り、オオッーと思い、雨宮さんに関心を持ち始めたんだもの。
で、オウム元出家者やらオウマーが何十人だったか、カナリヤの会ではなく集った時に彼女も来ていて知り合い、感覚が素敵で、まだまだ著名になる前の2008.5.21に地元の憲法9条やまとの会に来てもらい、軍事評論家の故神浦元彰さんと対談してもらったものでした。「爆音の町から生きさせろ!やっぱ九条〜戦争と貧困、そして憲法〜」として。

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大橋由美『井島ちづるはなぜ死んだか』(02年/河出書房新社)に収録されたインタビュー
――オウムにはシンパシーはあるんですか?
「ムチャクチャありますよ。サリン事件があったときなんか、入りたかった。『地下鉄サリン、万歳!』とか思いませんでしたか? 私はすごく、歓喜を叫びましたね。『やってくれたぞ!』って」

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だって、人には誰でも破壊願望タナトスというものがあり、それが内側に向かえば自殺行為であり、外側に向かえば通り魔殺人とか無差別殺人とかになって行く。それを敏感かつ正直に示した言葉なんだもの。オウム事件も、決して麻原一人でしたのではなく、実行犯になることは信者であれば紙一重だったことは勿論、少なくない浮遊感の中にある人において、紙一重だったのではないか、と。
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2018/6/12  9:26

投稿者:友北

おおっ素晴らしい、ありがとうございます。
どこかに保管しておきたいものですね。

2018/6/10  20:56

投稿者:カボス(*´∀`*)

横から失礼します。
その時の状況について広瀬本人の手記にありますので、よかったらご参考にどうぞ。

9* 麻原において、それほどまでに予言に現実感を抱いた原因は不明だが、自身も予知の経験≠したため、予知という現象を信じたのかもしれない(麻原は自身を予言者とも称していた)。その経験は、ヨガの行法によって脳内神経伝達物質のバランスが崩れ、予知したと感じるような錯覚が起きたものかもしれない。ヨガの行法をしていた私を含む信徒も、類似の感覚を経験することがあった。その種の経験と脳内神経伝達系の変調との関連を私が考える根拠は、自身が妄想・幻覚状態になったときの経験による。その状態に私がなったのは、第一審中の一九九九年三月から同年一一月(軽度の症状を含めると翌年三月)にかけてだった。その期間中、予知と感じられる出来事が私には頻発した。たとえば、幻覚によって感知したことが翌日の新聞に載るのだ。これは、妄想・幻覚状態における経験だから、脳内神経伝達系の変調に起因するだろう。当時、私の思考は支離滅裂だった。新聞に掲載された出来事が、自身の思
念によって起きたと感じたのだ。また公判において、「心を動かして傍聴人を退廷させてはならない」との声が聞こえた。そして私が心を動かすと、傍聴席から爆発音が聞こえて傍聴人が退廷し、「一人退廷」との声が法廷に轟くのだ。覚醒時、幻聴は休みなく聞こえ、私はその声に従って行動していた。たとえば飲食を制限する声に従って脱水状態になり、病舎に移されて三日間点滴を受けた。このような状況のため、裁判長は私に「裁判を続けますか」と確認した。私は「はい」と答えたが、私が幻聴の
指示に従って答えたことは、裁判長も気づかなかっただろう。なお、私が妄想・幻覚状態になった契機は、公判の証人尋問の準備のために、弁護側証人の精神科医と面接したことだった。その精神科医と、後に私と面接した社会心理学者によると、私のその状態は、信徒の頃に経験した変成意識状態に起因するフラッシュ・バックとのことだ。突然の宗教的回心以来経験するようになった変成意識状態と、教団によるLSD等の薬物のイニシエーションによる変成意識状態の影響である。

(オウム真理教元信徒 広瀬健一の手記
第3章第2節  事件の動機に関する元信徒の供述の差異 P3 9*より)

http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/hirosesyuki.html

2018/6/10  18:59

投稿者:のっち

詳しくありがとうございます。分かりやすかったです。

2018/6/10  18:23

投稿者:友北

広瀬被告については、降幡さんのオウム法廷に比較的詳細に出ているかと。1999年6月頃「広瀬被告には、この少し前から、やや心配な事態が進行し始めていた。弁護団が後に、最終弁論で明らかにしたところでは、4月中旬ころから時折、まったく意味不明のことを言うようになった被告は、5月下旬、逮捕後初めて弁護人に接見を依頼する電報を打ち、『やっていることがまとまらなくなった。常に連想ゲームを無理やりやらされているようで苦しい』と訴えたのだ。『新聞の記事や社会の事象がことごとく自分へのメッセージ、暗示と思える』と、そのことで葛藤し、苦悩している様子に見えた被告は、その後一時、拘置所内の自殺防止用房に転房までさせられ、さらにはまったく声を発することさえ出来ない状態になってしまった」
「精神的な安定を欠いて体調の不調を訴えていた被告は、7月ごろからは思い詰めた様子でまったく言葉を発しない状態に陥っていた。無精ひげを生やし、やせてその風貌は変化し、8月には、点滴療法のために、拘置所の病舎に移されたりした。そして、このころには、とうとう房から出ることも出来なくなって、接見で弁護人がどんなに話しかけようとしても、ほとんど反応することもなくなってしまった。そのため、広瀬被告は、この日(99年9月22日の公判)から3被告への論告求刑がおこなわれる寸前まで法廷を休むことになった」(降幡賢一著『オウム法廷・10』朝日文庫)
「広瀬健一の弁護団は、裁判所にたいして、精神鑑定を請求した。『被告人は、自動小銃密造や、地下鉄サリン事件の犯行当時に、麻原彰晃によるマインドコントロール(心理操作)を受け、解離性障害および感応性精神病に似た症状が生じており、修行にともなう脳生理学的な身体への影響で、自我意識がいちじるしく減退しており、心神耗弱の状態にあった』」「しかし、東京地裁刑事6部は、精神鑑定を採用しなかった。

2018/6/10  18:01

投稿者:友北

廣瀬被告の法廷は直接見たのは私1回で、いくつもの書籍や人から聞いた話ですいません。精神鑑定まではしないままに、顔面蒼白、それまで熱心に答えていられたのに話せなくなってしまった、という経緯から中断したのだったなあ、と記憶します。被害者の言葉を聞いた後だったか。うーん、今度どこかで探します。

2018/6/10  16:10

投稿者:のっち

広瀬健一死刑囚の場合はどのような理由で裁判を一時中止されたのでしょうか?

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