2014/6/20

常識・理念というもの  日常のこと

誰しも、若い頃から「常識とはなんぞや」「これは常識かどちらか」なぞと、考えるのでしょうし、自分は、弁護士としての仕事上、実にいろいろな人に会うことから、考えさせられもしてきた。まして、まあカルト問題でのカウンセリングをしていく中で、つくづく「常識とは何ぞや」と考えさせられました。

で、以下、箇条書きにて。

1−「結婚は愛情をはぐくんだうえでなすもの」
これまあ、昭和30年代生まれ私としては若いうち当然だと思ってきた。で、昔の見合い結婚とか、なんかなあなどと思ってもきた。

だが長じて、また、弁護士の仕事についてみれば、
・結婚前に仲良かった男女が、アッという間に愛憎の離婚騒動、などやたら見たり
・外国女性の離婚で、生活の安定のために結婚したのにと堂々と言われたり
・やたら長い家庭内別居夫婦も多く見たり
にて、まあ

「結婚は、その後愛情を長期間はぐくめそうな人となすべきもの」

と自分の常識を変えてみたりした。
だが
「結婚は経済的、精神的な安定を図るためにするもので、そんな人とすべきもの」
というのが、むしろ一般的なのかなあ。

2−「悪いことや過ちをしたら謝るべきもの」
これ、日本の常識であり、教育でも強調されていること。良いことなんだろう。けれど、外国人被疑者の事件ではそんな感覚はとんとなく、証拠十分なのにやたら否定し、そして実際不起訴になったりするから本人のメリットになったりしている。実際、所によっては交通事故なぞ先に謝った方が負けでもあり、日本でもそんな感じの人が多くなってきた感じ。

うーん、でもなあ、これはこのまま常識でありたいな、と思う。弁護人が内々には説得してる事案でも、否定しつくすことから実刑になることもあるのが日本です。

で、どんな常識がいいのかな。ちなみに「謝れば済む、暴言なぞも撤回すれば済む」なぞと思っている権力者もいたりするから困る。権力者であろうとも、謝っただけで済ませないことが大切なんだがな。

3−「人、特に友人や親しい人は良い人であることを前提に付き合うべきもの」
まあ性善説というものなのでしょう。これは
「人、それが友人でも親しい人でも、そして良い人が良いことと思っての誘いであっても、悪い誘いがあることを前提に付き合うべきもの」

と変えるべきでしょう。

このことは、大学のカルト問題対応のオリエンテーションで、若い人に実際、言ってもいる。「世間智がない」のが、若い人、社会経験の少ない人、温室で育ってきた人の特徴であり素直でいいのだけれど、「世の中にはワルがいる」「良い人も悪いことをする」ということを知らないまま大人になってくると危なさすぎる、と。

ああ、一般事件でも、簡単に悪徳商法に引っかかる人それも何度もひっかる人がいて、何とかならないかなあ、と思う。
 親しかろうと、断る勇気、そんなことを言うなら縁を切る勇気を持ってほしいものです。

4−「正義は貫かれるべきもの、人の世は正義を求める戦いである」
これ、正義感の強い若い人のみならず、教員など公務員を長くしてきたり来た人も少なくなく持っている感覚ですね。社会運動をしている人にも多くみられる常識。

だが、違う、知るべき大切なことは、下記だと思う。

「人の世は、つまりはさまざまな力関係で動いている。『正義』を言うことはあっても、それは力を増す助けになるという効果でしかない。そして『正義』は、人と課題によって違うことがあり、『正義』の名によってこそ多くの悲劇が生まれてきたことを忘れてはならない」
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