2014/5/22

監視・尾行体制はいつからだったのか。  カルト・宗教・犯罪

以下は、青沼さんブログ5月20日の抄本

http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-88.html
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 で、いまの裁判で驚かされるのは、この八王子のアジトに薬品を持って運び込む当時の女性K被告の姿や、青酸ガス発生装置を持って新宿に出撃≠キる中川智正死刑囚をはじめ、マンションに出入りする信者たちの姿を全部写真に撮っていて、それが証拠として取り扱われていること。
 いまの姿からは結びつかない、爽やかな女性らしい服装で薬品を運び込む若かりし日のK被告の写真なんて、東京地裁第104号法廷の大型モニターにバッチリ映し出されています。それも1枚どころか、何枚も。
 ここまでわかっていたのなら、都庁爆弾事件で都の職員が片手の指を全部失う大怪我をすることもなかったなんじゃないのかな。事件は未然に防げたのではないのか……なんて思ってしまいます。それくらいしっかりと彼らの動向を監視していたのですから。恐ろしいものです。
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でしょうね、
過去の裁判でも、井上被告と中川被告だったかな「いって良い立場ではないだろうけれど、監視していたのならとめてくれれば、逮捕してくれればよかったのに」というようなことを言ってもいた。

ええ、1995.3.22の捜査開始後、特に1995.3.30の長官銃撃事件のあとは、公安警察が実によく動き、監視体制ができてきていた。そして、芋づる式に所在を確認、一気に逮捕するために泳がせつつ逮捕してきた。公安手法というものではあろう。
その結果、新宿駅青酸ガス事件も起き、2014.5.16の都庁爆弾事件も起こった。避けられなかったのかな、芋づる式手法とはいえ何とかできなかったのか、と思う。

正確な所を知りたいのは、1995.3.20の地下鉄サリン事件前に公安警察は、監視・尾行手法を相応にとっていたのかどうか、です。

刑事警察は1994.12からは全国あげて動き、自衛隊も3.17あたりからは20の数日前には捜査に入るための毒ガスマスクを貸すこと、装着訓練をしてあげるために動いていたことはすでに知られていることですが、公安警察手法である尾行・監視はいつから始まったのか、です。
仮に、これも3.20以前から始まっていたならば、地下鉄サリン事件さえも、監視がありながら起こされた事件だ、少なくとも結果的には、ある程度の事件は起こることを国家権力として容認して、それをもとに捜査しようとしたということになるから。

私の認識では、私への大急ぎの情報収集、その時のやたら急いでいた公安警察の対応の時期からしても、1995.3.30の長官銃撃事件が起こって、ようやくにして公安警察がもまともに動いたというものなんです。

私の反省は、薬物使用、内部死亡事件を確知していた1994年の遅くとも10月あたりの段階から、刑事警察、検察にはしていたが、公安警察そして自衛隊の方にも情報提供などをしていくべきだったということ。
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