2011/6/22
メメント・モリ、「死を想え」について。 日常のこと
「死を想え、そして人の死と、人と自分の生に関心を持ち、自分の死自体にこだわるな」
−なんだと考えるんだがなあ。「メメント・モリ」の素敵な解釈は。
下記に様々な考えがあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%AA
整理してみると、
「死を想え、それも自分の死ばかりひたすら想え」
「そして人の死と、人だろうと自分だろうと生には関心を持つな」
が、しょもない宗教であり、
「死を想え」
「そして自分と人の死と生にこだわれ」
が、まともな宗教であり、
「死を想え」
「そして人の死と、人と自分の生に関心を持ち」
「自分の死自体にこだわるな」
が、理想的な無神論だと考えているんだが。
で、自分はこの無神論でいたいと思う。
自分の死自体にこだわらないというのは、
・死は100%だから。
・死後は、原子とか果てはクォークだとかに分解して、再び地球・宇宙つまり大自然に戻るだけのことだから。
・というか、生きている自分も、もともと大自然の一部であり、一部の形を変えるだけだから。
死「自体」と、つけたのは
・そりゃ、死ぬときは、できればだが楽にそして色々と綺麗に死にたい
・何も早くに死んでもいい、という意味ではない
からです。
人の生死に関心をもつというのは、
・様々なやりようによっては、死を止められたかもしれないから。
・人も楽しく生きれた方が、自分も楽しいから。
自分の生にこだわるというのは、
・折角の命なのだから。
・長生きを、できれば元気で楽しく長生きできれば嬉しいから。
で、日本人なぞ、この意味での無神論者がやたら多いのではないかなあ、と考えます。
「日本人の多くは死を忘れている」なぞと言う人が少なくなくいるが、何を言っているのか、と強く思う。
草々
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−なんだと考えるんだがなあ。「メメント・モリ」の素敵な解釈は。
下記に様々な考えがあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%AA
整理してみると、
「死を想え、それも自分の死ばかりひたすら想え」
「そして人の死と、人だろうと自分だろうと生には関心を持つな」
が、しょもない宗教であり、
「死を想え」
「そして自分と人の死と生にこだわれ」
が、まともな宗教であり、
「死を想え」
「そして人の死と、人と自分の生に関心を持ち」
「自分の死自体にこだわるな」
が、理想的な無神論だと考えているんだが。
で、自分はこの無神論でいたいと思う。
自分の死自体にこだわらないというのは、
・死は100%だから。
・死後は、原子とか果てはクォークだとかに分解して、再び地球・宇宙つまり大自然に戻るだけのことだから。
・というか、生きている自分も、もともと大自然の一部であり、一部の形を変えるだけだから。
死「自体」と、つけたのは
・そりゃ、死ぬときは、できればだが楽にそして色々と綺麗に死にたい
・何も早くに死んでもいい、という意味ではない
からです。
人の生死に関心をもつというのは、
・様々なやりようによっては、死を止められたかもしれないから。
・人も楽しく生きれた方が、自分も楽しいから。
自分の生にこだわるというのは、
・折角の命なのだから。
・長生きを、できれば元気で楽しく長生きできれば嬉しいから。
で、日本人なぞ、この意味での無神論者がやたら多いのではないかなあ、と考えます。
「日本人の多くは死を忘れている」なぞと言う人が少なくなくいるが、何を言っているのか、と強く思う。
草々

2011/6/23 0:08
投稿者:takitaro
2011/6/22 21:09
投稿者:涼
こんばんは。
そもそも生まれてこないほうが幸せだと思ってしまいます。
死にたいとは思わないけど、生きていてもしんどいだけだし・・・。
生きるって、、命って、、、何なんでしょうね?
そもそも生まれてこないほうが幸せだと思ってしまいます。
死にたいとは思わないけど、生きていてもしんどいだけだし・・・。
生きるって、、命って、、、何なんでしょうね?
無神論においては、生まれて来なかった場合は、「幸せ」を感じることもないものですから、その表現は矛盾していることになります。
実感として、全身麻酔の経験の時、実に注意深く感じようとしていたのですが、時間が飛んでしまっただけ、「無」であったことで、ああ「魂」とか「霊」ってないんだなあ、と実感してしまった次第です。