2011/3/29

言葉を失うということ−ボランティア  大地震・原発・基地

現場を見れば呆然とするばかり。言葉を失う。
地平線まで瓦礫、壊れた家、自動車、海の匂い。田やボックス家具などの中には海水が遺っている。聞けばあそこで遺体が2つ見つかった、あちらのお宅のおばあさんが流されてしまったなどなど。


宮城県のとある町にボランティアきてます。

1995年の阪神淡路大震災の時は、オウムへの強制捜査を様々な方法で求めていた関係で、何もできなかった。申し訳なかった。

27日午後から、仙台で知り合いに灯油など届け、夕方にとある町に。著名で既に多く集まっているだろう石巻や釜石でなく、ネットで調べてある町へ。車中泊3回。30日夜には帰る。

法律相談より力仕事したくて(まだいい答えができず辛い、まあ新日本法規がデータオープンにしてくれた「災害時の法律相談」を置いてきたが、まずは国会、政府がしっかりとと施策を示してくれないと)。

一口コーヒー、一口ココア、歯磨きガムとか、ホッカイロ、風邪薬、胃腸安定剤とかを持参したが、分けやすくするためには、もっともっと大量がいいんだろうな。

で今朝、欲しいと聞いた缶詰を、子に大量に持ってきてもらいました。肉の缶詰もあればいいのになあ。

自動車が飛び上がるような余震に起こされてしまう。

自分の食事、水、防寒着は持参。泥対応が多く、長靴、軍手、しっかりしたゴム手袋をおすすめ。

ああ、社協なりで用意してある機材を運ぶのに、軽トラックがあればなおいいかも。

もちろん、汚れていい服にて、風呂やシャワーなど期待しないべし。

トイレはまあなんとかなります。

自分にも大量のホッカイロと歯磨きガム持参がおすすめ。

もちろん寝袋ないと寒くてたえられないかと。

ガソリンは帰りには危ないが、まあ栃木あたりの高速道路給油所は可能みたいだから何とかなるかなあ。

自動車で来る方は灯油を持参し、寄付するとかなり喜ばれるかと。

ともかく、ガソリンと灯油、軽油。

まだまったく組織だったボランティアがなかったり、近くの住民限りとかしている所が多い。
大変でしょうが、どうか社協などは広く受け入れ体制を取って下さいませ。

力にそれなりになるだけでなく、そんな遠くから(遠くだと北海道、埼玉、新潟の人らと作業)も何人も来ていると、絶望段階になりつつある多くの被災者の、少し支えになるかと。

自衛隊の大活躍(人命救出、遺体捜索、道路確保などなど)に続いて、ボランティアのやることはいっぱいある。
もちろん、三陸とかはまだまだ自衛隊あたりとかの支援が中心にならざるを得ないだろうけど。

地元の新高校生とかのボランティア、偉い!!
それから仙台育英高校だったか、偉い!

ああ、豚汁などの温かいものが、まずないみたいです。テレビででてるのは、ごくごく一部でしかないだろう。そのボランティアも必要、

というか、外食チェーンとか、1つの町でいいから数千人分の数回くらい、炊き出し、温かいもの出してあげて。

下着メーカーはどんと、出してあげて!
衣服は奥尻島の時、集まりすぎて後で大変だったが、被災者の人数が違う。3県以外の都道府県で現物を集めて仕訳しきれずとも、早くに届けるべきでは?余ったら後に遠慮なく捨てればいい。

岩手の町など仮設住宅の場所もまず用意できない所もあろう。

政府は、こういう時、各町や各集落単位で集団移動など含め考えるとし、しっかりと費用負担を示した選択肢を早急に示すべきです。

それからボランティアはまだまだ人数が必要だが、何年も多数は持たない。

地元の人は農業、漁業など数年間はやりようもなく、収入にもならない。仕事として、復興作業を用意すると、早く政府は言うべき。
その際、公共事業を広く捉え、他人の田んぼの土返し?とか道路際に出された瓦礫の移動作業もね。これ、農地改良普及事業とか道路清掃作業でしょ!!


横浜の山下公園は関東大震災での横浜の瓦礫で埋め立てたもの。場所を早く決めましょう。

危機一髪の話はざらに聞く。
家や庭を片付けていて流れついてる赤ん坊の写真とか高齢者の表彰式などみると、涙が出る。
この子は生きてるか、このご老人は、と。
流れてきた大きな板やトタン板などはがすときは、やはり緊張した。


それからいい加減、「頑張れ」というメッセージはよした方がいいのに。自助を求める言葉であり、被災者は疲れきってるさあ。

以上、とりとめなく原文は携帯から。

大きな余震が本当に多くびっくりする。
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