2010/12/12

オウム裁判と15年間の変化−その3  カルト・宗教・犯罪

オウム裁判と15年間の変化−その3

第3 1995年5月以降の「オウム真理教」
1 現在の状況
   公安調査庁によれば、「アレフ」は、日本国内に出家約450人,在家約850人、施設数は全国各地に23カ所である。「ひかりの輪」は、出家約50人、在家約150人で、施設は8カ所である。
信者数は、1995年3月当時、国内で出家1400人以上、在家1万4000人以上、ロシアで出家者数十人、在家3万人であったから、これと比較して、激減している。

ひかりの輪は、教祖から「マイトレーヤ正大師」とされた上祐史浩が指導している。2009年末現在、公安調査庁によれば、国内の施設数8カ所、出家者約50人、在家約150人である。インターネットを通じた勧誘の外は積極的に勧誘活動をせず、上祐説法のほかは、神社仏閣など霊地をめぐる活動などをしている。これは、前記の「観察処分」をなんとしても外してもらうためであると見られ、公安審査委員会にその要請を重ねている。収入状況はじり貧で、東京都世田谷区の施設を一部明け渡している。

アレフは、教祖の妻である「ヤソーダラー正大師」こと松本知子と、「ウマー・パールヴァティー・アーチャリー」こと三女とが指導し、代表者共同幹事を上田竜也・松下孝寿、後に田中和利・鈴木和弘としている。2009年末現在、同じく日本国内に出家信徒約450人、在家約850人である。2009年には関西や北海道を中心に100人以上の新規信徒を獲得している。拠点施設は国内各地に23か所であるが、2010年6月、東京都足立区内に関係会社名で1億円程度とみられる中古4階ビルを購入している。また、茨城県龍ヶ崎市内の一軒家が妻知子らの居住用に会社名で確保され、三女ら居住のための埼玉県内のマンションが信者名で取得されている。

アレフは、2009年を「哀れみの救済の年」と位置づけ、「救済の十のテクニック」説法ビデオを使って勧誘の訓練し、また書店の精神世界コーナー,アルバイト先、ダミーのヨーガサークル、占いホームページやSNSを利用している。「グルとの合一」などを唱和する修行を重ね、6月には在家対象に、麻原説法映像(「信徒用説法集DVD」全14巻,1巻3万円)を、ついに販売するに至っている。また、前記「観察処分」に対しては、2009年7月8日、取消しを求める行政訴訟を起こしている。

合計すれば、出家の9割程度と在家の6割は地下鉄サリン事件前からの信者である。新たな信徒も入っていて34歳以下が2割を占めている。その他、後記の通りいくつかの分派があるが、その信者数は合計100人以下、すべてを合計して国内で出家者500人前後、在家者1100人程度と思われる。
なお、公安調査庁は、ロシアの信徒は約200人、数か所の施設があると報告している。

2 1995年5月から1997年1月31日の破防法棄却まで
― 獄中説法の影響期
 
 教祖が1995年5月16日に逮捕されると、破壊活動も殺人指令も出せなくなったが、当初は選任した私選弁護人を通じて「獄中メッセージ」を幾つか発していた。次期代表につき、まず愛人であり自身との間に秘密裡に3人の子をなしている「ケイマ正大師」こと某女を指名したが、同女も同年11月22日に逮捕された。1996年6月には、麻原の地位は「開祖」に、麻原の長男次男である幼児2名を「教祖」にせよ、と発してきた。この2人は、生まれながらの最終解脱者であり教祖の次に高位だということとなっていた。

教祖の子どもらは、児童福祉法上の「一時保護」を受けていなかったことから、このようなことが可能となった。すなわち、出家者の子どもらは、「愛着してはいけない」と教えにより親と離れてかつ不衛生な場に暮らされ、義務教育も受けずオウム教義を教え込まれるばかりであった。ために、1995年4月から数カ月にわたり、山梨県など1都1府6県で1歳から14歳までの児童合計107名が一時保護された。子どもらは、後に養護施設や信者でない祖父母らのもとで育っていった。また未成年の出家者らは1995年夏までにいったんは自宅に帰るよう指導された。

しかし、教祖の子は、幼児まで含めて、父そして母が逮捕されても、母が指定した養育係がいたことや成人に近い姉らが共にいたために、保護されなかった。教団には男児2人の写真が飾られ、信者らはこの子どもらに帰依を誓った。具体的には、「正悟師」らを中心とする「長老部」により指導されていた。1995年10月8日には「マイトレーヤ正大師」こと上祐史浩も逮捕されていた。

教団は、破防法対策のために、破産管財人の指示には基本的に従っていた。またオウム真理教被害対策弁護団が、出家者の全てが親族と面談できる世に親族窓口を作るよう要請し、これが実現できた。教団は、1996年末には従来の教団施設をすべて破産管財人に明け渡した。なお、その折出家信者の多くは10万円ずつ教団から持たされていた。

出家者は、教祖の指示により6人程度ずつ居住するための随時アパートを借りようとしていた。が、オウム信者であることが分かると賃借できないことが多くなり、暴力団関係者が多額の金銭に応じて用意した競売中の「事故物件」に居住せざるをえない者も多くいた。

 3 1997年2月から1999年末まで
 ― 破防法棄却による誤解とハルマゲドン期待期

教団内の元号は前年まで「救済」であったが、1997年、教祖は「間違いなく真理元年になる」としていた。これは教祖が1997年に世界最終戦争ハルマゲドンが起きると予言し、また破防法の解散命令が適用されると予測していたことによる。

しかし、破防法は、既にその要件を満たしていないことから適用されなかった。ハルマケドンも来なかった。教祖の予言が外れたのだが、信者らは免罪符を得たように活動を活発化させるようになる。この頃には、教祖には国選弁護人が就いているだけとなっていて、教祖からのメッセージも容易に届かなくなっている。
   一方で、外部にあっては、映画監督森達也が1997年、映画「A」を撮影して上映し始めたことが注目される。同映画は、教団の信者が「普通の」「真面目な良い子」であることを示す日常生活を描く貴重なものであるが、殺人までもした信者も「よい人」なのだ、というカルト集団と事件の恐ろしさの本質が描けていないものであった。教団はこれを世論工作として普及すべく「映画A推進委員会」なる組織を作って協力し、同監督もこれを知っていた。
   また、幹部らの私選弁護人を選任するために、教団は、1969年設立のもっぱら新左翼セクトの刑事弁護のための「救援連絡センター」に依存するようになり、1996年1月には「オウム裁判対策協議会」を立ち上げた。これは運動家の千代丸健二、山中幸男、映画監督の山際永三らが主催するものであり、集会を催すなど世論工作につくした。これらの主軸は古参幹部の別所幸弘が「脱会者」だとしてあたり、「人権救済基金」と称して信者でない親らにまで金銭を無心するようになっていた。
   これら外部の動きは、後に朝日新聞系などが2000年に出所した上祐史浩にインタビューするなど、一定の効果を発揮している

   資金的には、パソコン事業が注目される。オウム真理教は、1994年頃から台湾製の部品を組み立てて販売する方法により一般社会で販売して多額の収益を得ていたが、工場の集団作業も可能となったことから、出家者の手により組立作業をして多額の利益を得るようになった。また、出家者の一部120人ほどは一般社会で働く「財施部」とされた。コンピュータ事業部(CMP)の売り上げは年商70億円になったこともある模様である。

   教団はこれら資金をもとに、長老部の指導の下、集団活動を活発化させていく。再び個人賃借の形で、各地に道場を確保して再建し始めた。水炊きなどのいわゆる「オウム食」もまとめて作られ、全国に配布するようになる。各地で勧誘のためのビラ配り、大学でのダミーサークルも再開した。1998年には、在家の女性信徒らにロックバンド「完全解脱」をつくらせてコンサート活動をさせ、駅頭で宣伝活動までさせた。また、信者の中には、教祖の「エネルギー」を得るためとして教祖のいる東京拘置所の周囲を歩く修行をする者が増えた。
   これら活動の活発化は各所住民の不安を引き起こし、少なくない自治体では出家者が転居しても住民票を受理しないという対策をとるようになる。これは、後に裁判により自治体側が信者個人に慰謝料を支払えとの判決が出て自治体側の敗訴が確定したが、世論の批判の強さが教団にあっても対応を余儀なくさせた時期であった。
同時に、教団は1999年7月のハルマゲドンへの危機感を募らせ、教祖家族らが避難するシェルターを長野県の山中に作る、非常救出グッズを各自所持するなどしていた。日本では1970年代、五島勉が喧伝した「ハルマゲドン」の1999年7月が、広く知られており、信者らも不安と言わば期待を持っていたからである。

しかし、1999年7月を過ぎてもやはりハルマゲドンはなかった。社会との軋轢も極めて強くなっており、破防法に代わって団体を規制する法律を求める世論がわき起こってきていた。
かような情勢の中、教団は1999年9月29日、対外的な宗教活動の休止と教団名の一時使用停止からなる「オウム真理教休眠宣言」を発表し、さらに同年12月1日、「正式見解」として、事件の関与を認め謝罪し、賠償を行うこととした。
それでも、上記のとおり同年12月9日、団体規制法は成立した。

 4 2000年1月から2003年6月27日まで
 − 団体規制法制定と「麻原隠し期」

上祐は1999年12月29日出所してきた。同人は「正大師」の称号を返上したとし、2000年1月18日に教団は会見を開き、上祐の謝罪・反省の弁と村岡達子代表代行による教団改革の発表を行った。
しかし、時すでに遅く、教団は、2000年1月オウム新法の「観察処分」に付せられた。教団は、破産管財人から「オウム真理教」の名称を使用しないよう指導も受けたこともあり、2000年2月に新団体「宗教団体・アーレフ」とした。初代代表には、麻原逮捕後からオウム真理教代表代行を勤めてきた村岡達子が就いた。「麻原外し」路線を推進、麻原を単に「旧団体代表」と定義し、麻原の肖像を掲示して「観想」することを禁じ、また道場を公開するなどした。

教団は、2000年7月6日、破産管財人と上記の通りの賠償契約を締結し、入金し始めるようになる。また上祐はマスメディアに積極的に対応し、朝日新聞のインタビューを受けるまでになる。教団は、教祖を奪還しようとロシアから来日し日本各所を回っていた信者を、公安警察に通報し、逮捕させるにいたる(シガチョフ事件)。教団は、サリン事件被害者らのケアーを行ってきた団体である「リカバリーサポートセンター」(木村晋介弁護士が代表、2002年3月NPO法人化)に対して資金を援助している。

上祐は、2002年1月30日、正式にアーレフ代表に就任した。筆者は、この上祐路線には裏があると考える。どこまでいっても「麻原隠し」路線であって決して「麻原外し」路線ではないのである。
教団としては、再び信者勧誘などを活発化させて力を蓄えるのが大切であり、そのために観察処分を外させるべく、「麻原隠し」を徹底してなすことが必要だった。教祖の教えを、教祖の名を隠し一部言葉を変えつつも維持していき、後に実はこれは教祖麻原彰晃の教えでありグルなのだ、と言えば直ちにオウム教団となるのであり、いわば「大人の知恵」である。
証拠の一つが、秘密にされた上祐の2000年1月16日頃の長老部における改革案である。

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@−「宗教団体アレフ」にする。・組織の性格は、教団を拡大して尊師の死刑を止める。・そして再開を可能にする。・表向き、教祖や子どもなど麻原家を、外す。
A−新たな布教活動として・「21世紀サイバー教団」として、インターネットで布教活動をする。・「アクエリアス教団」として、科学と宗教が合致した超人を育成する。・「ホワイトフリーメーソン」として、オウム色を出さずに救済活動をする。企業活動の基盤をつくる。・グローバル教団になるべく、イギリス・ロシアで、インターネットを活用して、布教、経済活動をする。
B−声明では、麻原尊師の指示、関与を認める。・謝罪し、被害補償活動を行う。・被害者を「守護者」と呼ぶ。・発表することで、マスコミを味方につける。
C−観察処分について。・立入り検査を逆利用して、危険性なしのアッピールをする。・職権濫用の告訴、国家賠償請求の前提として、証拠の保全に努める。・大日本帝国に似ているとして、国民を味方につける。
D−立入り検査に対する「対策マニュアル」・法務部名で出す。・訴訟、懲戒免職を求めるために、氏名・役職を確認し、写真を撮る。・問題がないものはある程度見せるが、焦らしながら見せること。・金庫や机は、鍵をかける。自分の机じゃないという。パソコンは、立ち上げを求められても、自分のパソコンじゃないのでバスワードを知らないと。・人の調査に対しては、立入り検査は設備や帳簿の調査が対象でしょう、という。・個人的に使用している者、団体に無関係などと対応する。
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   というものなのである。「被害者を守護者と呼ぶ」というのは、教祖の指示によって殺された被害者は、現在カルマの法則により教祖・教団に感謝し守護している、という考えに基づく。

   そもそも、上祐は偽証罪などで実刑に服したのであるが、元々メディアなどに対して「嘘をつく」のがワークであり、これが本人のヴァジラヤーナ教義実践の中核にある。上祐も人生をかけてオウム真理教に出家し、恋人さえ教祖に「捧げた」人物であった。加えて、上祐を正大師とした「大乗のヨーガ」成就式典での麻原説法(1993年1月3日)は、前記第2の4の末尾に記載の通りなのであり、上祐はこれを自ら代表となることの正当化資料ともしていた。

 しかし、幹部らの多くはここまでの「麻原隠し」についていけなかった。特に、上祐自身にあって自らが行った場所には虹が出るとか、龍の形をした雲が出るとか言い出してカリスマ化を図ろうとする動きに対しては、不満が噴きした。
   そして、上祐と同じ正大師の地位にある「ヤソーダラー正大師」こと松本知子(以下「妻知子」という)が出所し、やがて教団運営に関与してくると状況が変化する。それまでは、教祖の2人の幼児やその姉らがいても抑えられたが、大人である妻知子が関与し始め、決定的に変わってきた。

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