2010/12/12

オウム裁判と15年間の変化−その5  カルト・宗教・犯罪

オウム裁判と15年間の変化−その5

第4 その他の分派状況など

1 「中田グループ」は、1996年頃、元暴力団員だが出家者信者であった中田清秀が中心となっている。破壊活動防止法の適用を回避するためであろうが、代表と養子縁組を多くした。岐阜県内で土産物屋や民宿を経営している。マスメディアに対して「脱会者」と称しているが、アレフとも長く人を交流させてきた分派である。次第に人数が減り、またアレフの混乱の影響かアレフとの交流が無くなってきている。

2 1997年頃、福岡騒動が起こった。福岡支部の男性の一在家信徒が、教祖が乗り移ったがごとき言動を繰り返し、多くの信者とくに女性支部長までこれに幻惑されていった。教団幹部らが乗り込んで女性支部長を別の場所に幽閉して鎮静化させた。

3 「ケロヨンクラブ」は、1999年頃できた。在家の女性信者北沢優子が「私の胸の中に教祖がいる」として代表になったものである。経済的には子どもがいる女性信者らに計20人ほどに生活保護を受給させ、それを全体の生活費としていた。神社から者を盗んで検挙されもした。
温熱修行で女性が一人死亡した。子どもに酒を飲ませる、熱い棒を持たせる修行もあった。代表は、2004年9月10日未明から、通称「ドキュン」という合法ドラッグをのませ、座法を組ませ足をガムテープなどで緊縛して、女性一人を竹刀で8時間計10万回叩くよう指示し、外傷性ショックで死亡させたものである。叩いたのは2800回位であり、傷害致死事件として起訴された。代表以下3人が刑事裁判となったが、代表のみは争っており、その途中病気となって崩壊しつつある。

4 アレフ幹部である二ノ宮耕一は、2000年頃から滋賀県に「二宮グループ」を形成している。仏具などを輸入販売しており、10人程以下。アレフに説法に来ることもあり、完全な分派とはなっていない。

5 2007年、上記杉浦茂らがアレフから離れ、神奈川県相模原市内に一軒家を借りて、いわば引きこもりの分派「杉浦グループ」を作ったが、2010年初夏までには崩壊した模様である。

6 同年、杉浦実も他の男性とともにアレフから離れ、「越谷グループ」を作っている模様である。

7 元ナローパ正悟師こと名倉文彦は、1998年12月7日に東京都下に株式会社ナチュラルテラを作り、ハーブや健康食品・宝飾品を販売している。資本金は3400万円、店舗は都内に10店のほか、インターネット上で販売している。ついてきた信者らに対して「白蓮和尚」を名乗って精神的に支配して酷使していた例がある。

8 その他、ヨガ道場、占い、健康食品販売、マッサージ業などを、「元信者」らが単独または数人で始めているものもあるが、真実脱会者なのか、それとも信仰を残しているかは容易に判然としない。真実、麻原信仰から離れている脱会者で、生活などのために携わっている者がしている場合も相当あるのである。
  また、インターネット上には、多くはオウム教団だと明らかにしていない信者のサイトがいくつもあり、勧誘の窓口になっている。末尾で紹介のリンク集に詳しい。

第5 刑事、民事紛争
1 公安警察は、1995年3月以降、出家信者に対して、偽りの住所だったというような電磁的記録不正作出罪、道路運送車両法違反、教団施設として使用するのに居宅として借りたなどの詐欺罪をもとに捜索・押収をして監視している。
公安調査庁は、1995年3月以降に調査を開始したが、前記の「観察処分」が実施できるまで周辺観察以上の情報は容易に得ることができなかった。公安調査庁は団体規制法の第7条第2項に基づき、警察は、同法第14条第2項に基づいて、立入検査を同時に実施することもある。

2 観察処分の拒否、偽りの報告などについては刑事処罰があることから、教団は判明した秘密について、結局は認める対応を取っている。ただし、9枚ほどの入会申込書などを裁断機にかけて破棄し、団体規制法第39条(立入検査拒否等の罪)違反で大阪地裁2004年1月20日、執行猶予付だが懲役8か月が言い渡され、確定している。
違反があるなどするとき、6か月間、一切の活動停止を求められ、違反すれば処罰ある「再発防止処分」が可能であるが、まだ公安調査庁は要求していない。

3 実質的な刑事事件としては、「桃源事件」がある。これは野田成人以下7人ほどが、2004年逮捕され起訴され、執行猶予つきだが有罪判決となったものである。強いステロイドが含有されているのに含有していないとして塗り薬を販売していた。約720人に計2300個販売し、実質的な健康被害も多く生じさせた。

4 民事的には、アレフが次々と訴訟を提起していることが注目される。地方公共団体相手には、1997年以降、住民票異動を受理しないことにつき、信者個人が受理と慰謝料の支払いを求めた訴訟が続いた。受理すべきとされ、慰謝料は原告となって信者一人2−30万円ずつが認められた。

5 教祖の子どもらについては2000年、公立小学校が入学を拒否し訴訟となった。小学校ら側は、現役信者と言う外ないお付きの信者らが共にいることを問題とした。後に和解により登校できた。三女は、私立大学が自らの入学許可を取り消したことにつき350万円の慰謝料請求訴訟を提起した。裁判では、自分は脱会者であり教団とは全く関係がないと偽りを述べ、慰謝料30万円が認容された。三女らは父が獄中で治療されていない、接見を妨害されているなどとして750万円の国家賠償請求をしたが、認められなかった。

6 教団は、「不当逮捕」につき国家賠償請求をしたり、マスメディア相手に名誉棄損訴訟を提起し、上訴もしてきたが、ことごとく認められていない。その中では、原告である三女と、被告メディアの取材を受けた四女が、同じ日に同じ法廷で証言するという状態も生まれた。
 2007年、アレフが教祖の説法を再び使い始めていることを潜入取材されテレビ放映される際には、撮影された信者名の肖像権をもとに差し止めの仮処分をTBSあてに提起した。しかしこれは公益目的があるなどとして認められず、次いでアレフとして、2008年11月25日、潜入取材者に対して慰謝料請求訴訟を提起している。

7 アレフは、2009年7月、観察処分について取消を求める行政訴訟を提起した。同様の訴訟はそれ以前にもしており、東京地裁は2001年6月13日、2004年10月29日の2回請求を棄却し、アレフはそのまま確定させている。
最近では、2010年3月30日、国松長官銃撃事件の控訴時効完成の後、警視庁がオウム集団の容疑を詳しくホームページに1か月間掲載したことにつき、削除要請をしていたが、これにつき、アレフなどが国家賠償請求訴訟を提起するかどうかが注目される。

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