2010/11/20

裁判員裁判について。  憲法・社会・官僚・人権

裁判員裁判

ついに、死刑判決まで出ましたね。横浜地裁が最初だったんだな。
評決に参加したことにつき、裁判員の心理的負担が重いだろうな、と思う。
人によっては、確実にPTSDになる人が出てこよう。

(市民に対して憲法上禁止されている『苦役』ではないかなあ。どこかで、全く犯人の同一性を争っている事件、しかし有罪ならば死刑確実みたいな事件が起訴されてましたよね。来年審理することになるのかな。この判断はつらすぎる、と)

つくづく思うんです。裁判員裁判は、
・量刑は判断せず、
・争う事件のみを対象
・対象事件は窃盗なども含ませる
べき、と。

つまり、対象事件は人が死んだ事件だけに絞らず、争う事件のうち、少なくとも被告人側が希望した場合を入れるなど、広く対象とさせるべし、と。その上で、量刑はすべて裁判官のみが決めるべき、と。有罪・無罪の言渡し(故意のいかんを含む)と量刑の言い渡しという、2段階の判決となります。

量刑については
・市民感覚を取りいれるべき、という声はそう高くなく、他との均衡を考えて相場表を用意することと結局はなったように、裁判員で判断する意義がない。
・死刑まで含む量刑判断を市民の方々にさせるのは、酷に過ぎる。

対象事件については
・電車内痴漢事件、詐欺事件、窃盗事件、傷害事件、業務上過失傷害事件などのうち、争う事件で市民感覚で判断すべきだ、と思う事件が相当にあるからです。
−少なくとも被告人側が希望する場合は、そうすべきではないだろうか。裁判官1人事件の裁判は、裁判員3人ぐらいをつけて。と

電車内痴漢事件なんて、混んだ電車にはもうまずは乗っていないような裁判官のみで判断するなんて、嘘っぽくないだろうか。交通事故など、時には免許を持たず又はペーパードライバーに近い裁判官のみが判断するなんておかしくないかしら。

一方、争わない殺人事件については、もともとのやり方より遅くなってしまってます。人が死亡したが罪体(事件であること、自分が犯人であること、故意があることなど)についてで争わない事件について、元々の裁判官のみが裁判する裁判よりも、やたら遅くなっているんです。まさに滞留している。
そして、手間暇があまりにかかり、費用がもったいないように思う。

殺意さえも争わない事件なのに、裁判員制度でする意義なんてどこにあるのか、と。

時間と費用と精神的負担がかかるだけ、マイナスでしかないと。
それこそ、仕分けの対象にすべきではないか、と。

この変更は、
・法を少し変えればいいだけのこと
・予算はかからず、
・むしろ予算節約になり
・評決で死刑に賛成する、といった精神的負担をなくす、ことができるのです
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