オウム事件―真相を知るには  カルト・宗教・犯罪

このブログは一つ下の記事で随時更新しています。

「真相が明らかでない」なぞと大仰に言うならば、まずは認定されていることは何なのか知ってるんでしょうね、と言いたくなる。

1−まずは、麻原法廷の様子を動画で見られます。
「麻原法廷物語1―9話」
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/2387.html
2018.7-9、ユーチューブにアップされました。

2−判決例は、私が使っている有料サイトLEX・DB検索にて
・オウム真理教にて、234件です。
・オウム真理教&刑事にて、88件です。
・オウム真理教&刑事&サリンで、61件です。
・オウム真理教&刑事&薬物で、33件です。
・なおオウム真理教&民事で、146件です。


3−―裁判所の判断文章だけでこれだけあります。私とて実はすべては読んでません。日本司法において、歴史上、最も多くの関係者が長時間関与し、費用もかけたものです。刑事は「厳格な証明」、民事は「証拠の優越」により裁判所の判断が出されました。

 どうぞ、「真相究明」を言うならば、まずはこれを読み込んでいって下さい。少なくとも麻原刑事法廷の地裁判決、高裁各決定、最高裁決定とかは読んでほしいです。まともな「文化人」「知識人」であらんとするならば、ほとんど何も見ないで意見を言うなんてないはずと思いたいです。
 そんなことでは、他の事柄についての発言も、信頼性を失います。


4−・判例タイムズ1151号138頁〜251頁―松本死刑囚の2004.2.27東京地裁確定判決文
・判例タイムズ1232号
134頁〜190頁―確定経緯や訴訟能力に関する東京高裁2006.3.27控訴棄却、同2006.5.29異議審決定、最高裁の2006.9.15決定の3つ
誰でも購入できます。1つ2000円しません
―うち東京高裁の決定文は、松本死刑囚の法廷での不規則発言など裁判経過とその段階までですが本人状態を詳細に記載してあり、実に興味深いです。

5−―「真相究明」を言ったり、名乗ったりするならば、この程度は読み込んでおかなければ恥ずかしく、真摯さがないという外なく、また司法制度と言うものすべてに対する侮辱でもありましょう。

6−・なおうち、地裁判決は下記にアップしています。
http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/trial/4-6.html
・そのうち、認定された教祖の指示の抜き出しなどはこちら。
http://aum-kazoku.boy.jp/?page_id=228 )
・教祖がまとめて話した1997.4.24の意見陳述要旨はこちら。
http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/10-7.html

7−また、森達也氏の著作「A3」授賞への2011.9.2抗議書は下記
http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/20110903/archive
その後の「創」言説を経ての2015年7月文書は下記にあります。
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/2052.html
原稿形式では、xb_unv2015.v.docx

 森さんは、「反論」すると言いながらつまりは反論なきまま。まして「弟子の暴走ゆえに無罪」という一審弁護団に賛同とするとしつつ、教祖の指示があったこと書いてあるとし「動機を知りたい」という。頭が割れる。この二律背反の指摘につき、答えないまま。
 そのツイッター内での、悲しいほどの逃げ論法は下記に保存しました。
http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/20180905/archive
 森さんは、2018.8あたりから、対外的には「死刑論議」「訴訟能力」問題のみを言っているる、と。今も、アレフ勧誘において、「A3」は「弟子の暴走故に無罪」と書いてあるから、「真相は分からない」として厳然と使われているのにね。
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2018/11/13

ひかりの輪の本質とカルト性について  カルト・宗教・犯罪

11月10日、東京世田谷区烏山で話してきたことのレジュメは下記です。
下記の一部を話し、またその他のことも話したものですが、ともあれレジュメをアップ
  **********
ひかりの輪の本質とカルト性について
−2018.11.10 弁護士滝本太郎

◎ オウム事件の本質2つ
 ・ 日本は原爆を2回のみならず、貧者の核兵器と言われる化学兵器を2回、無差別殺人のために使われた国になってしまった。
 ・ サリンを作り・撒いた人も、他の実行犯らも麻原彰晃に帰依しつつ、「良い人」が「良いことをするつもりで起こした」事件だった。
−絶対者麻原による心理操作の上で、宗教的確信にもとづき起こった事件

1 ひかりの輪のメンバーは脱会者か。
−脱会過程をとんと経ていないことに注意。

  破壊的カルトとは、「代表または特定の主義・主張に、絶対的に服従させるべく、メンバーないしその候補者の思考能力と思考意欲を著しく低下ないし停止させ、隠された目的のためには、違法行為(刑事・民事・行政上)も繰り返してする集団」

―上の指示に従う、外部の人に対して選民思想、目的のためには手段を選ばず、すべて百かゼロか、を中心として、各団体の教えへと信念体系が、変わってしまっている、それが戻っているかどうかが課題。分派、分流した団体だからといって「脱会」ではない。

「脱会」後の心理面を具体的に述べれば、
・「脱会」後の過程は、   揺れ戻し、他のカルトにいかない為
@心にポッカリと大きな穴
→ A 激しい自己嫌悪
→ B 代表と組織を憎む、憎む自分を憎む
→ C どこかで乗り越え一つの経験とする
・途中の赤ちゃん返り  ・改めての反抗期  ・2度目の挫折
・その後遺症−百かゼロかの発想、「奴隷の喜び」の記憶−を克服をめざすべし。

2 事件発覚後の経過 (詳細は、筆者のブログ2010.12.12外に)
http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/20101212/archive
第1期 1995年5月〜1997年1月31日の破防法棄却
― 獄中説法の影響期
第2期 1997年2月〜1999年末まで
― 破防法棄却による誤解とハルマゲドン期待期
第3期 2000年1月〜2003年6月27日まで
― 団体規制法制定と上祐の「麻原隠し期」
第4期 2003年7月〜2006年5月まで
― 上祐派と原理派(妻・三女)の暗闘期
第5期 2006年5月〜2011年末まで
― 大分裂とオウム裁判いったん終結期
第6期 2012年1月〜2013年末まで
― 逃亡犯全員逮捕による再確認期
第7期 2014年1月〜2018年7月6日死刑執行
― 麻原家分裂確定、「山田らの集団」の確立期
第8期 2018年7月6日〜現在
― 教祖の死刑執行後の(暫定的)混沌期

3 ひかりの輪の現況 −今、観察処分を外すことを最大の目的としている。
−1−一部被害者、文化人、メディアの取りこみ
・いくつかの新聞社、雑誌、「知識人」−なお、外部監査委員の河野氏は2015年末辞任
・監視と批判する学者、メディアへの攻撃 資料A 藤倉氏報告 2016.初夏

−2−国や批判的論者に対する激しい対応。 資料@ 国家賠償訴訟 2014.11.7
・国相手に3円損害賠償請求が係属(上祐本人)、公安調査庁調査書につき名誉毀損
・団体規制法所定の観察処分での調査対応での検査忌避の実態が暴露される。

−3−罪につき、社会と歴史に一般化して逃れようとする態度
・アレフのみをオウム集団だとし脱会活動、社会の公認を求めている。メディアなど
・命日3.20 6.27 11.3の軽視
・日本の戦争責任「軍部が悪い」「一億総ざんげ」と同様だと主張
・死刑執行は、教祖も弟子もやむなし他人事という態度  資料G 声明 2018.7

−4−「宗教事業」            資料B 旅館業法違反 2014.8.6

−5−内部での矛盾と苦悩         資料C 脱会通知 2011.10.28
・上祐以下の位階、出家制度は維持・旧い出家者が時に離れてきている。

4 ひかりの輪原告の、観察処分取り消し訴訟について
 2017.9.25東京地裁では、被告の国側が負けている。高裁の行方は ?
 なお、2018.2.23、2018.1の更新についても取り消し訴訟が提起されている。
判決文中、争点についての一部より
 同一性の判断基準についても明確な定めはないのであって、このような場合に,双方の集団に対し別個に又は「連合体」若しくは「支部,分会その他の下部組織」として当初の観察処分の更新決定を行い得るかは,解釈上の問題である。
 もっとも,被告は,原告とAlephが団体規制法4条2項にいう「継続的結合体」に当たると主張し,原告とAlephが「連合体」に当たる又は原告がAlephの「支部,分会その他の下部組織」に当たると主張するものではなく,原告とAlephとが別個の団体に当たるとしてもそれぞれに期間更新をすることができると主張するものでもない。 
 そこで,以下では,観察処分を受けた団体が後に複数の集団に分派又は分裂した場合において,当該各集団が団体規制法における同一の団体に該当するか否かという観点から原告とAlephの関係を検討する。  (中略)
 本団体は,本件観察処分当時においても本件更新決定時においても「団体」に該当し,Alephは,本件更新決定時においても,本団体の少なくとも一部を構成するが,原告とAlephが一つの団体であると認めることはできない。  (中略)
 もっとも,上記のとおり,原告とAlephが一つの団体であると認めることができない以上,本件更新決定のうち原告を対象団体とした部分は,違法であるといわざるを得ないから,その余の争点について判断するまでもなく,原告の予備的請求は理由がある。

5 欺瞞性(ぎまんせい)を改めて確認 
資料D 上祐改革案 2000.1.16
−1−財産や居住場所、出家者の意思確認など協議のうえで別れた(分派ではなく分流)
−2−内部の地位は、オウム集団の位階による
−3−マイトレーヤ正大使という権威の利用    −4−自ら才能があるという
−5−麻原には霊的指導者としての能力があると  −6−人生をかけた上祐
−7−嘘をつくのがワークの上祐   資料G 殺人事件の総括しないまま反省だと
−8−麻原説法による影響      資料E 麻原説法―マイトレーヤ 1993.1.3
●メンバーは「やはりグルは麻原尊師」という言葉を待ち、上祐の自由。●

5 周辺住民の方々にお願いしたいこと
・自らまた若い人が、はまらないように。―もはや、ふた昔以上前の事件と思われている。
・「行ってみたら普通の人、良い人ばかりだったよ」という当たり前のこと、それこそが怖ろしいことと知られていない問題
・人生というものを伝える。―生きがいとは何か、死ぬことの怖さにとらわれたまま。
以 上

資料@ 国家賠償請求訴訟 2014.11.7
公安調査庁が提出した調査書に名誉毀損があったなどとして、「ひかりの輪」は7日、国家賠償請求など  ひかりの輪構成員が(1)サリン事件を正当化した(2)いまだに元教祖の麻原彰晃に帰依している−などと「構成員の証言を歪曲(わいきょく)している」と。また、公安調査官が「麻原死刑囚と同一視される仏画が、ひかりの輪の祭壇に掲示されていた」と語った今年10月のテレビ番組での発言も「事実は全く存しない」と。金銭目的はないとして3円請求

資料A 藤倉氏報告2016.初夏
宗教学者への言いがかり http://dailycult.blogspot.jp/2015/06/blog-post_14.html
 2016.5.9、宗教学者・塚田穂高氏(国学院大学)がTwitter上で、住民デモの様子を写真とともにリポート。デモ隊がひかりの輪本部に抗議文を届けた際に、教団関係者が対応に出なかったことについて塚田氏は「上祐史浩・広末晃敏らは、住民の抗議声明文も受け取らず完全無視」と記載  5月29日、ひかりの輪広報を名乗る宗形氏がTwitter上で、「完全無視」は事実と異なるとして訂正を要求。また宗形氏は、塚田氏がアップした「名前を変えてもオウムはオウム」横断幕マンションの写真について、上祐氏らが入居するマンションの写真であるとし、マンションの管理組合の許可が必要であるなどと抗議
 デモから1カ月近くたった6月上旬時点でも、ひかりの輪が抗議文への回答を行っていない 「ひかりの輪広報」は塚田氏らに対して、Twitterに投稿する前に連絡をなどと事前検閲の要求とも取れる申し出、写真について「マンション住民が問題だと言っている」「マンションが特定されてしまう」という旨の主張 

資料B 旅行業法違反 2014.8.6  【MSN産経ニュースの抄本】
無登録で旅行業を営んだとして警視庁公安部は6日、旅行業法違反の疑い
「ひかりの輪」の東京都や大阪府などの関係先8カ所を家宅捜索  ひかりの輪はことし5月、旅行業者の登録を受けずに、「聖地巡り」と称した旅行を企画、実施した疑いホームページによると、同団体は「聖地巡礼が一つの特色」としており、平成14年から神社仏閣などを訪れ始め  2カ月に1回ほどのペースで、一般の参加者も募集  これまでに栃木県の日光東照宮や和歌山県の熊野三山など各地。 不起訴

資料C 脱会通知 2011.10.28  通  知  書
当職は、****氏(昭和***日生、オウム真理教でのホーリーネイムは*****師)の代理人として、次のとおり通知する。
同氏は、2005年頃、オウム真理教からその後継の貴団体に入会し、以後2ヶ月に1回通知人が受給していた年金20万円程のうちの20万円後に10万円程を布施しつつ、出家者らの食事の世話などしてきた。通知人は、矛盾と行き詰まりを感じて何回か脱会しようとしたものの説得され止まってきたものであるが、この**月**日早朝身の廻りのもののみをもって宛名マンションの拠点を離れた。また同日、郵便にて一身上の都合により脱会する意思表示も郵便でなしたものであるところ、当職がその代理人に就いたから、改めて、本年**月**日、貴団体をも完全に脱会したものであることを、確認のため通知する。
荷物についてであるが、(中略)また、貴団体代表役員上祐史浩氏は「ばらした荷物を私たちの手で再び梱包する義務はない」「ともかく、逃げ盗むという悪業には、大きな苦しみがあり他を尊重するという善行には喜びがあるということを知ってもらいたい。それが貴方の今生の最大の修行の課題だ」などと今回も述べているところ、これらは何ら理がないばかりでなく、脱会が悪業にあたるとしていて恐怖をあおっている者であり、著しく不当である。
今後一切、通知人に対しては、電話、メール、郵便、訪問などの方法のいかんを問わず、何らの接触なきようにここに警告する。上記のとおり通知かつ請求する。誠意ある対応なくば断固たる処分に移行するから留意されたい。  2011年*月*日  ***代理人 弁護士滝本 太郎
〒**  世田谷区南烏山6***宗教団体 ひかりの輪 代表役員 上祐史浩 殿

資料D 上祐出所後、オウム集団「長老部」での上祐改革案  2000.1.16
@ −「宗教団体アレフ」にする。・組織の性格は、教団を拡大して尊師の死刑を止める。・そして再開を可能にする。・表向き、教祖や子どもなど麻原家を、外す。
A −新たな布教活動として・「21世紀サイバー教団」として、インターネットで布教活動をする。・「アクエリアス教団」として、科学と宗教が合致した超人を育成する。・「ホワイトフリーメーソン」として、オウム色を出さずに救済活動をする。企業活動の基盤をつくる。・グローバル教団になるべく、イギリス・ロシアで、インターネットを活用して、布教、経済活動をする。
B −声明では、麻原尊師の指示、関与を認める。・謝罪し、被害補償活動を行う。・被害者を「守護者」と呼ぶ。・発表することで、マスコミを味方につける。
C −観察処分について。・立入り検査を逆利用し、危険性なしのアッピールをする。・職権濫用の告訴、国家賠償請求の前提として、証拠の保全に努める。・大日本帝国に似ているとして、国民を味方につける。
D −立入り検査に対する「対策マニュアル」・法務部名で出す。・訴訟、懲戒免職を求めるために、氏名・役職を確認し、写真を撮る。・問題がないものはある程度見せるが、焦らしながら見せること。・金庫や机は、鍵をかける。自分の机じゃないという。パソコンは、立ち上げを求められても、自分のパソコンじゃないのでバスワードを知らないと。・人の調査に対しては、立入り検査は設備や帳簿の調査が対象でしょう、という。・個人的に使用している者、団体に無関係などと対応する。

資料E 麻原説法―マイトレーヤの独り立ち 1993.1.3
1993年1月3日の上祐史浩こと「マイトレーヤ正大師・大乗のヨーガ成就式典」での教祖説法
「息子として転生し、弟子として転生してきているということは、当然わたしもいずれ彼(上祐)を離さなければならない時期が来る。離さなければならないとは、一人立ちし、そして多くの衆生のリーダーとし、その世界の救済をしなければならないということである。」

資料F ひかりの輪の 声明
麻原死刑囚等の死刑執行について      2018年7月6日
 本日、麻原死刑囚をはじめとするオウム事件の確定死刑囚の死刑が執行されました。
 本日は、くしくも、当団体が被害者団体との間で被害者賠償契約を締結した日(2009年7月6日)から、ちょうど9年目の節目の日でもあります。
 この日に執行されたことの重みもかみしめ、当団体はよりいっそう被害者の皆さまへの被害者賠償に努めるとともに、 アレフの拡大抑止などの事件再発防止に努めていきたいと思います。
 ************
本日の6人のオウム事件死刑囚の死刑執行について  2018年7月26日
麻原への執行がされた7月6日にもお伝えしましたように、当団体はよりいっそう被害者の皆さまへの被害者賠償に努めるとともに、 アレフの拡大抑止などの事件再発防止に努めていきたいと思います。
          ****************************
資料G 吉田英子さん殺人事件の現場にいたこと隠蔽への弁明
別紙のとおり。−デイリー新潮2018.7.19号に出ている記事
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/07190557/
1

2018/11/12

日刊スポーツ2018.11.5  カルト・宗教・犯罪

日刊スポーツで<さよなら平成 激動の時代を振り返る>というシリーズ
をやってる。

で、その〈4〉でオウム事件、私のインタビュー
その11月5日号、私の出てるのが届いたので見たら、わっ、やたら大きく、なんだ。恐縮、恥ずかしくもあります。

まあ、オウム事件は、平成元年の1989年の坂本事件、2018年の死刑執行という事ではありましたね。
あと少しの色んなこと、たしかに平成の終わる前に終わりにしたいです。

ネット上は下記です。ご参考までに。
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201811050000142.html

教団と闘い続ける滝本弁護士、オウムの恐ろしさ語る
[2018年11月5日8時46分
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2018/11/5

「麻原神社」←山折哲雄氏  カルト・宗教・犯罪

山折哲雄さん
「最後には麻原神社でも作るのかい?」


―と、私に問われましたが、そんな類のものは決して作らせませんわ。「麻原彰晃」は、菅原道真でも平将門でも鍾馗様でもないんだから。


山折さんとは1995年、一度だけテレビの討論番組でご一緒した。楽屋で聞いたその発想、なるほどと思いました。
 ですが、山折さんは、その番組で、麻原との面談にて「太っていては修行者ではない」と言った、教団を諫めたとか、平気で正反対の嘘をついた。その他、下記の対談の中の太線のように、麻原さんヨイショを随分されていた。

 ご自身は、中沢新一氏の次に、オウム増長に力を貸した「知識人」なんですよ。1992年当時、1989年の坂本事件を言わずとも、地域で多大な迷惑・違法行為をしていたことは証拠づけられていたことですよ。調べもせずに、洞察力のないことを行っていた自分、恥ずかしくないですか。

 自らを総括してみる気はないのですか。「麻原神社」の類を作らせないようにするのが今の自分の責務だと、思われませんか。


(20181106追加 ああ、山折氏は、2001.2.21には大阪国際宗教同志会の平成12年度総会で、話しているんですね。他人事のように言うだけ。
 不思議なのは、中沢新一氏にしろ、故吉本隆明氏にしろ、山折哲雄氏にしろ、オウム増長に多大な寄与をした人−社会的にはオウムの大幹部と同等の責任があるだろうに−の話、もちろんそんな洞察力がなかったことが確定した人の話を、どうしてこうもありがたく聞きたがる人がいるのかしら、です。)

http://www.relnet.co.jp/kokusyu/brief/kkouen9.htm


下記は26年前のもの、オウム内データからですが正確のようですね。参考までに。

『別冊太陽』77 spring1992
より高い世界へ転生するために
麻原彰晃×山折哲雄

◎麻原彰晃の現世、前生そして来世
(山折)「オウム真理教」の広報部から本を二〇冊くらい、また機関誌を送っていただいて、読ませていただきましたが、まず最初に生い立ちからお伺いしたいと思います。
(麻原)出生は熊本県です。三歳頃から遊び疲れて寝たような時、アージュニァー・チァクラから抜け出して、家の内外を徘徊したり、別の世界に入る、俗にいう「魂の抜け出し」経験をしました。死が小さい時から自分のテーマで、はっきりした認識はなくとも、漠然とした恐怖を記憶しています。六歳頃は夜寝る前になると「このまま寝てしまって死んでしまったらどうしよう」と、死に対する恐怖で、毎晩【+毎晩】泣いていました。学生時代はエネルギー発散型で、スポーツ、武術を徹底的にやりました。仏教的な言葉では無智のカルマ(業)を積んだというか。激しい運動で疲労するとへそから「幽体離脱」をしました。三歳の頃の経験に比べて明らかに穢【けがれ】。闘争意識状態による恐怖の世界の体験をずっとしていたわけです。

(山折)「魂の抜け出し」というのは、熊本地方の土地の言葉にあるのですか。
(麻原)いえ、ないです。自分ではそういう体験を一切言いませんでした。抜け出した瞬間、現実には電灯も消えているはずですが、家の人たちを明るく照らし出している状態で、そこから空間の世界、神々の世界にいくんです。
(山折)高い所ですか、海のような、あるいは川原のような、野原のような所ですか。
(麻原)そこにいる人たちは歩いているのですが、白い、白銀の大地に足をついていない。空間そのもの…です。それは修行を始めてからも変わりません。
(山折)「魂の抜け出し」に対して学生時代の経験は「幽体離脱」とはっきり言われました。へそから抜け出すか、額から抜け出すかで魂の行くところ、エクスタシーの状態が違うというヨーガの考え方でしょうか。麻原さんが学生の頃に経験した外部に出ていくエネルギーというのは、闘争的なエネルギーでその意味では、濁っていたということになるわけですね。長い人生経験、宗教経験の中で、霊的体験をするというのは、子どもの頃の純粋な「魂の抜け出し」に回帰しようという気持ちがおありになるということでしょうか。私は浄土真宗の寺の生まれなんですが、麻原さんの宗教的な背景はどういったことだったのですか。
(麻原)家は浄土真宗でしたが、仏壇と神棚とが両方あって、父親が朝昼晩に神仏にも食事をあげる人でした。自分も見よう見まねでそうしましたし、神社でお賽銭をあげるのも喜んでやっていましたが、それは生活の慣習であって「宗教」ではない。今考えれば、それもまさに「宗教」の一部分でしょうけれど。キリスト教や創価学会など、具体的な活動をしているものを「宗教」と認識していたので、自分は「アンチ宗教」だったわけですね。それが二〇歳すぎからでしょうか、この転生の流れの中で全ては留まることがないという「無常観」についてかなり苦しみました。二二歳の時に結婚しましたが、結婚による幻影は打ち砕かれ、それから本格的に修行に入っていく。
 中村元先生の『原始仏典』『転生転物』、密教の本、仙道、大乗仏教の中国語の書と片端から読みあさりましたが、現実生活や心の問題が解決されるわけじゃない。それでパタンジャリの『ヨーガ・スートラ』を始めとしてヨーガ修行に入りました。その前後は新興宗教といわれるもの――「GLA」の高橋信次氏の全集、「阿含宗」の桐山靖雄氏の本をも読み、阿含宗には千日間いました。

(山折)「GLA」には通われたのですか。
(麻原)一度だけ行きました。その中で現在の日本で使われている仏教用語は、原典とずれて解釈されたものと感じ、それでは「サキャ神賢」(釈迦牟尼を指すオウム真理教の訳語)の教えと相反すると思って、サンスクリット語、パーリ語での原典の本格的な研究に入ったわけです。結局、自分の内なる体験というものは全て経典に照らし合わせないと正しくない方向へいくかも知れない。ですから今も経典の研究と修行の二足のわらじを履いた形でいます。
(山折)三歳から六歳にかけて、死のことが意識にひっかかっていて、死の世界が怖い、怖かったと言われましたが、その死の世界と「魂の抜け出し」とは、どこか関連していると思われますか。
(麻原)前生の死に対する恐怖だと思います。自分自身は前生はどういう形で死んで、どういう形の中間状態を経験して母胎に入ったかを覚えてますので。私の前生の一つはエジプトで、私が造ったピラミッドがあります。エジプトに行った時にその内部の構造や前生でも弟子と一緒に歩いた記憶があるといった話をして、なかなか楽しかったですね。私の場合は「宿命通」という神通力で時間を凝縮した中に自己の過去世を見ました。

(山折)私も一四、一五年前にカイロで小さなピラミッドの頂上に登りましたよ。ぼくにとってはあれは一種の霊的な体験だったなあ。強い風が吹いていて、素晴らしかったですよ。
 あなたの過去世はピラミッドを造ったんだから、ずいぶん古い時代ですね。何千年という時間的な幅に関係なく、自分の抱いていたイメージとかインスピレーションとぴたっと合ったのですか。心理学では「デジャ・ヴュ」(かつて見たような体験)というんですけれども。具体的におっしゃっていただけますか。
(麻原)見て“これは私の思った通りだ”じゃないんです。“こうなっているはずだ”といって確認に行き、それが合っていればOK。当たっていなければ過去世じゃないと。
(山折)合っていない場合もあるのですね。今でも過去世のエジプトからのメッセージを何か感じますか。
(麻原)そこのところは、霊的な流れという意味において、すごく難しいものがありますね。

(山折)エジプトから何千年かの間に、生まれ変わり死に変わりしていらっしゃるということだと思うんだけれども、現在の直前の生はどうだったのですか。
(麻原)すぐ前の生は、俗にいうところの天界の王です。こういう話は予言との関係もあり、いろいろと支障があるのでやらないのですが、三十三天にいたと考えていただくと結構だと思います。私はマイトレーヤ(弥勒菩薩)の化身、これから五〇億、一〇〇億ともかかる地球の最終段階で登場する魂ですね。ブッダの化身といったことはありません。

(山折)いずれマイトレーヤとしてこの世に現われると。そうすると麻原さんの魂は、今後何十億年と生き続けるわけですね。
(麻原)いや、不死というのは生き続けるということですから。無常を超越した状態で、絶対的な自由、幸福、歓喜を内在した状態。それを獲得するために修行するわけです。寝ている時も起きている時も連続した意識状態でい続けること、だから死後も連続した意識状態でいられるのだと。
(山折)非常に哲学的なご説明ですけど、やっぱり肉体には限りがあるわけですね。ところが高野山に行くと、即身成仏をとなえた弘法大師は入定している(禅定に入っている)、死んでいるんじゃないといいますね。でも、やっぱり肉体は滅ぶとおっしゃるんですね。でも麻原さんの場合は、その後に残る何物かがある。連続した意識状態が未来永劫に生き続けるとすれば、それを霊魂だとおっしゃってもいいわけですか。
(麻原)転変し続ける「真我」は霊魂だといってもいいわけです。問題は、それを誰もが持っているのに忘れてしまって前生はないじゃないかという。だから意識の連続が、仏教の重要なポイントとしてあるのです。

(山折)今回のテーマである輪廻転生について大掴みに伺いたいのですが、麻原さんは輪廻転生の考え方あるいはそういうイメージについてどういうお考えですか。
(麻原)それは簡単なことだと思います。つまり経験の構成(行)によって次の生が決定される。人間の構成される要素として、身の行ない、口の行ない、心の働きの三つがあり、それぞれに善行、悪行、善悪どちらにも属さないものの、合計九パートの蓄積がどのような形でなされたかということだと思います。
(山折)善い行ないをすれば来世もよい生活を保証されるという、善因善果、悪因悪果の考え方になりますね。伝統的な仏教の考え方と似ていますね。
(麻原)「オウム真理教」の教えそのものは、まさに根本仏教ですから。

◎魂の存在
(山折)ところで先程いわれたエネルギーの宇宙への放出ということですが、キリスト教の場合、聖霊は光になって降下するとか、宇宙に飛ぶというイメージがありますね。それと麻原さんのよくお使いになるのが虹色の世界。色や光の問題でいうと、むしろ黄金色が無限に透明になった段階、それが阿弥陀の光、仏の光明であり、エネルギーの最高の状態だろうと思うのですが。
(麻原)色イコール一つの世界の構成であり、いろんな色の世界を体験して成就するので虹色になるのです。本当の成就の色は、虹色に黄金色、白銀の色が加わったものであるというのが、仏教、ヨーガ、チベットの密教でいうことです。
(山折)どうですか、そういう白銀とか黄金とか虹色とか、そういう光の色は魂の状態を象徴しているというふうにお考えですか。
(麻原)ブルーや黄金の世界もありますし、それはすべて魂の状態を示していますね。先程おっしゃった透明な光というのは、俗にいうところの無色界、正確には「非形状界」で、別に存在するのです。そこに没入すると、空間そのものに輝きしか存在しません。

(山折)今もっぱら瞑想する個々人の魂について伺っているのですが、その魂の存在と、もう一つは宇宙界を無限に輪廻している転生霊のようなもの、過去霊、守護霊、いろいろに言われていますけれども、そういう前世から語りかけてくれる霊的な存在との関係はどうでしょう。最終的には、宇宙を輪廻するそういう転生霊は消えてしまうことになるのでしょうか。もちろん仏教では輪廻転生の世界から自由になる、これが悟りの境地だと説いているわけですね。ですからいかに最上界の霊魂であっても、それはまだ迷いの段階だという見方をする、最終的に霊魂があるとかないかとはいわないというのが、仏教の根本的な立場だと言われていますけれども。
(麻原)アーリア・ブッディズム(初期仏教)においては本質的な霊魂を根本としていて、これは確かに個人の修行の最初にくるだろうと。転生するということは、ある時は高い世界で楽しみ、ある時は低い世界で苦しまないといけないということで、最上界に入った状態から、もう一度衆生済度のために愛欲の世界、形状界、非形状界に生まれ変わって、真理を説き示す。サンスクリット語でボーディサットヴァ(菩薩)、「オウム真理教」の訳語では「到達真智運命魂」という最高の修行があります。

(山折)「運命魂」ですか。その魂が菩薩そのものなんですか。それとも我々の身体とは別個の、ある実在する霊魂なんでしょうかね。
(麻原)それそのものが菩薩であり、自分自身であるんです。チベット仏教のダライ・ラマ法王は聖観音菩薩の化身と言われていますが、ダライ・ラマ法王の活動そのものが菩薩の修行であり、同時にそれは彼の真我、魂の王座でもあるという捉え方です。

(山折)なるほどね、活仏【かつぶつ】信仰というのは霊魂的なものをいれないと、活仏の継承が説明できませんから、そういうふうになるんだろうと思いますね。そうすると人間は修行によっていろいろなものになり得るわけで、悪魔から兜率天に存在する弥勒さんにもなれるし観音さんにもなれると。それぞれの魂の清らかな状態、濁った状態を示しているというわけですね。麻原さんはしばしばご自分を「最終解脱者」といわれていますが、解脱者は麻原さんで終わり、今後は出ないという意味ですか。
(麻原)いや、そうではないです。全ての魂は如来像を持っていますから、修行の段階で誰でもそうなり得る。ただその期間が長きに渡る必要がある。日本は物質文明が発達していますが、本質がないと思います。それはなぜかというと本当の意味での内側の世界の体験が存在しないからです。例えば今幸福だと思っているものが無常の、変化するものであって、壊れないものは高い世界に存在するという経験。それを知ったら、最高の文明プラス最高の魂の住む国、「神の国」に至るのではないかと思います。

(山折)一〇年後のご自分はどんなふうになっていると思われますか。
(麻原)それは難しい質問ですね。仏教的な未来像は、過去の経験の構成と、現在の努力のミックスされた形で決まります。これから先、私がどんな努力をしていくかで一〇年後の未来が決定されるのですから。

◎「第三の目」の輝き
(山折)率直にお伺いしますが、お身受けするところ目がご不自由なようですけれども、それはいつごろからでしょうか。
(麻原)一部分は生まれたときからありましたが、一部分は完全に修行の集積です。見えなくなったというとおかしいのですが。周りから目が見えないといわれて、私自身、そうだと言うけれど全くこだわりはありません。仏典で対象を認識する五官のうち、目による囚われが最も問題であるとされているくらいですから、煩悩捨断のプロセスとしては、むしろ恵まれた環境じゃないかと思いますね。
(山折)古今東西の聖者といわれる人の中に盲目の方、あるいは修行の結果、失明するというケースが非常に多いんです。例えば聖フランシスがそうですし、イエズス会の創始者のイグナティウス・デ・ロヨラや、日本に伝道した修道士の多くも、しばしば失明体験というのを語っています。その場合、目明きの人間にはみえないものが見えるという体験を語っていますね。私は何となく麻原さんをテレビなどで拝見していて、そういう人たちに近い体験をされているのだろうなと思っておりまして、それで伺ったわけです。ロヨラの残した詳しい修道日記には、朝昼晩、毎日神様にお祈りをして懺悔の涙を流したという記述が次から次へと出てきます。そのうちに、次第に目が痛くなってきて、失明するのではないかという不安がでてくる、そしてそのことを書き綴っています。ロヨラは最終的には失明したのではないかと、ぼくは思いますが。宗教的な悲しみ――人間的な悲しみを含めた深い悲しみの中で、人間は次第に視力を失っていくことがあるんだと。これは単に生理的な現象を超えて、非常に深いある啓示をわれわれに投げかけているという気がするのですが、どうでしょうか。宗教の究極の問題からすれば、見える見えないはたいしたことじゃないかも知れませんが、プロセスの問題としてどうでしょう。

(麻原)仏教病理学、ヨーガ病理学では、「風(ふう)」、キリスト教でいう聖霊の働きが制約される、つまり悲しみなどが起きると、胸にエネルギーが集中し、弱い器官の目にはエネルギーがいかずに失明するといわれている。まさにその通りの経験だと思うんです。
(山折)ヨーガでいう聖なる居所としての額(アジナ・チァクラ)ですね。そこは一種の生命中枢を成していて、例えば仏教になると、それが阿弥陀さんの白亳マークになる。その働きが活性化するということですね。仏教一般では白亳ですが、チベット密教ではそれが「第三の目」の輝きになる。それはエネルギーが通過する際に輝くというわけです。だから生理的な両眼の働きとは全く別個のレベルのものですね。

◎突きぬける宇宙エネルギー

(山折)そのエネルギーというか、魂的、霊的なものが額や頭頂から抜け出す体験が、おそらく麻原さんのいわれる超能力体験というものの基本にあるだろうと思いますが、そういう体験が決定的であった時点はあるのでしょうか。
(麻原)今から六、七年前、まず外側で紛らわせられない強烈な内側の寂しさが襲ってきて、かなり長い間続いた後、身体に振動が起き、空間全体にきれいな音楽が聞こえるようになり、尾てい骨にあったものすごい鉄の塊のようなエネルギーが頭頂から突き抜けました。その頃に俗にいうところの浮揚的な体験もしました。それから当時三歳の娘に大変なことが起きるという直感が働いたちょうどその時、娘が沸騰した湯を顔からかぶりました。私の周りには欲界、形状界、非形状界の神々が多数現われて、ものすごい祝福をしてくれました。私はこの時に仏教的な体験とヨーガ的な体験を全て終了して、解脱したんだなという実感がありました。
(山折)その頭頂から突き抜けていったときは、結跏趺坐(右足を左腿の上に、左足を右腿の上に乗せ、両足の裏を天に向けた坐法)で坐っていたんですか。
(麻原)必ず結跏趺坐で坐っています。

(山折)そうでないと突き抜けるような霊的な変化はでてこないということですね。
 上に身体を飛び上がらせるエネルギーというのは、下から突き上げてくるような運動と結び付いていると思います。それはヨーガのシッダアーサナ(完全な坐法)におそらく関係がある。シッダアーサナというのは両足をぐっと身体に引き付けて踵で会陰を刺激して坐る。それで会陰に集まっている性エネルギー(クンダリーニ)を上昇させる。その力を借りて飛び上がるんですね。それに対して結跏趺坐というブッダの坐り方は、人間の生命エネルギーをむしろ下の方、丹田に統合する働きを持っている。ぼくも毎朝結跏趺坐で坐って居りますから体験的に分かるんですが、結跏趺坐で身体のエネルギーを上昇させるというのは、ちょっと分からない。分からないことが起こるからおもしろいわけですけど。
(麻原)おっしゃる通り、結跏趺坐でエネルギーが下向きに働くのは事実です。下向きに働いたエネルギーと尾てい骨のエネルギーが合わさった形で突き抜けてくるんです。
(山折)麻原さんやお弟子さんたちが飛び上がった写真を何度か拝見しましたが、皆共通して苦しそうな顔をされているように感じました。苦痛で歪んだようなというと言い過ぎかもしれませんが。
(麻原)弟子たちは尾てい骨にあるエネルギーが上に突き上げられる苦痛。私は、撮影時に一般の雑誌者【→社】の方などがいらしてエネルギーの空間がかわった中で上昇させなきゃならないためで、【−、】意味合いが違います。弟子たちも全員が修行者である場合は静かできれいな顔で浮揚します。

(山折)本来はそうあるべきなんでしょうね。会陰にある動物エネルギーが下腹部のチァクラから、心臓、喉を経て額へと上昇するにつれ霊的エネルギーに昇華していく。そして頭頂から宇宙にエネルギーが放出する。その瞬間というのは、一種の純粋なエクスタシーなわけですから。
 麻原さんは昼食は水分だけで一切お食事をなさらないのですか。
(麻原)一日一食です。断水断食の行が成就すると代謝は四分の一から五分の一に落ちます。食、水に対して全く頓着しないことは修行のステージの証明です。ヨーガ行者で二八日間という記録がありますが、三十三天に飛んでいればもっと可能でしょう。究極には肉体が完全に固定されて、呼吸が停止して心臓が止まる不動三昧が目的です。
(山折)昔のお坊さんは、修行中によく断食をしていますね。木食なんかも非常に大事な心身訓練だったと思いますね。非常に危険な行でぼくなんか不信心者にはとてもできないんですが…。
(麻原)いえ、毎日結跏趺坐で瞑想に入っておられるのは素晴らしいと思いますよ。

◎時代の常識に挑戦する宗教
(山折)いろいろなことを伺いましたが、私の根本問題でもあるのですが、宗教というのは人間の、自分の欲望との闘いだと思います。そしてそのうち最も根本的な欲望は性的欲望だと思うのです。仏教の範囲内でいうと、性に対する宗教者の態度は二つありました。一つは徹底的に性を抑圧してコントロールしようという行き方――例えば山岳仏教や天台仏教の行き方ですね。もう一つは、性的な欲求をまずそれとして受け入れて次第に昇華させて行く、開放型といいましょうか――これは密教的な伝統の中にみられるもの。私の印象としては、麻原さんも「オウム真理教」も、性に対する態度としては開放型ではないかと感じていたんですが。
(麻原)「オウム」としてはその両方を持っているといえます。ここに同席した弟子たちは完全に抑圧型の修行をしていますが、一般の信徒は徐々にエネルギーを昇華させるやり方です。断食行にはいる者もいれば瞑想もままならない人もいる。いろんなレベルがあります。

(山折)いま若い人たちが「オウム真理教」にどんどん入信していますね。その人たちの手記や感想を読むと、「オウム真理教」のよってたつ根本仏教の教理を理解して行に励みたいというより、もっと別の動機、麻原さんというカリスマに魅力を感じたり、現実への多面的な希望を持って入ってきているようですね。
(麻原)現世の死後も意識は連続しているとするならば、人間の世界において神の状態にならないと来世は神の世界に行けないことになります。その神の持つ能力の中に、現世の人たちが求めているような要素が存在する。そして「オウム真理教」には、現代語に訳された仏典がありますから、読むだけである程度思索のポイントがわかり、しかも現実生活に関わっている。だから若い人々がくるのではないですか。

(山折)仏典には現代人のいろんな悩みに答えるようなメニューがたくさんあるということでしょうね。――現在でのお考えはよくわかったんですけれど、この四、五年、現実にはオウム真理教の宗教活動は世間から非常に非難されたり、マスコミに取り上げられて攻撃をうけてきた。いま伺った限りでは、そういうことをそのまま実践していれば、そんなことはなかったと思いますが。
(麻原)逆だと思いますね。つまり国家というのは一つの宗教でもあると私は思います。靖国神社の背景にある天皇制という一つの宗教。日本の帝国主義は「宗教帝国主義」だという捉えかたもある。そういうものがしっかり根づいた中に、この社会の決めたルール、例えば一生懸命働いて税金を払って国を強くするというものから逸脱させるような教えが出たら、まさに仏教は個人の幸福を追求しますから叩かれて当然である。「オウム」の場合は親子問題として登場してくるわけです。しかし例数としていったいどれくらいでしょう。一〇人、二〇人の成人した人たちの問題であれだけのマスコミが動いたわけですよね。

(山折)確かに日本の現代社会というのは、親子の関係を突き崩すようなものに対してものすごくナーヴァスに反応するんですね。かつての「イエスの方舟」も、親子の絆を断ち切るような形で新宗教活動が展開していった。この間、博多の「イエスの方舟」のクラブにいって話を伺うと、一人の脱落者もいないそうです。その代わり一人も増えていないですよ。いまでは年に何度か家族の所へ帰るそうですが、本当の家族は「イエスの方舟」の方だと思っている。だからまた帰ってくると言っていましたね。その辺りが「オウム真理教」もタイプが似ていると思いますね。ただ衆院選挙に立候補する、あるいは本を出版するなど、社会的な活動が広がっていった分、反応も厳しかったわけですね。なぜ、子供なり夫なり妻なり、あるいは家族全体が「オウム真理教」に入っていくのかというのは、ある意味では現代日本の家族関係、家族のあり方が根本的に問われていることでしょう。それをみんな感じていながら、なおかつそういう運動を叩くというのが非常におもしろい、と言っちゃ失礼だけれど、宗教の興る一種の必然性をそこに感じるんですね。ただある宗教理念に基づいてそれを広めていくだけの活動はあまり意味はない。やはりその時代の常識や価値観に根本的に挑戦することではじめて存在理由がでてくる。それをしなければ宗教の意味はないわけですよね。
(麻原)そうです。その通りです。

(山折)イエスが十字架にかけられたり、日蓮が激しい伝道生活の末、佐渡へ流されたように、宗教者にとって迫害は必然です。むしろイエスも日蓮もそれを喜びとしたところすらある。しかし現代の日本の宗教は、宗教法人によって保護されている面があって、法廷闘争をしたり、法律を盾にとって言い返すようなことはやる。あまりそれをやると宗教教団としてのおもしろみ、活力みたいなものが逆に弱まっていく。そのようなことは感じませんか。
(麻原)個人的な攻撃は構わなくても教団は法律的にディフェンスする必要があると思います。と言うのは、熊本県波野村に作った「オウム」の共同生活の場は、司法関係を含む地元の人の反対にあって、いまだに住民票が受理されないままです。経験上、反応しないといい加減に書いたものが裁判資料として提出されてしまうものですから。

(山折)どこかで法廷闘争に持ち込む気持ちがあるならば、そのつもりでやらなければならないでしょうけれど、宗教集団としては、最後まで俗世間の法律は無視するという手もあると思うんですよ。
(麻原)次に出てくるのは、すべての衆生に対して個人と教団のどちらの方が利益があるかという問題ですね。

(山折)それは非常に世俗的な判断、選択じゃないですか。
(麻原)そうではないと思います。実際、大学のセミナーで定員を二倍、三倍と上回るくらいに、麻原彰晃個人のファンはかなりいますが入信に結び付かないのは「オウム真理教」に対する警戒があるからです。マスコミの作戦が成功したわけですが。私たちの考えとしては、個人がその真理を実践しない限り、魂は済度されないという見解に立っていますから、単に個人的な人気では意味がないんです。
(山折)それは麻原彰晃個人の魅力と「オウム真理教」のレベルの問題にギャップがあるという自覚ですね。例えば親鸞が、晩年になってそれまで築き上げた関東の教団を捨てて一人で京都へ帰ったということがあり得るわけですよね。道元だって永平寺集団を最後まで信用していたわけじゃない。最後には一人っきりになる可能性もある。それも宗教運動の必然ですね。

◎求道者でありつづける教祖

(山折)麻原さんの写真を拝見して、全体の印象が大本の出口王仁三郎とよく似ていると思っていました。でっぷりしていてね、おっとりしています。そのうえお二人ともおっしゃることは霊界との交渉、インスピレーションにあふれたお話をされるところまで、よく似ているんですね。麻原さんにとって、出口王仁三郎はどういう宗教者に見えますか。
(麻原)やはり彼は神に連なる方ですね。
(山折)鎮魂帰神法など霊魂の操作も自由にできた人ですが、麻原さんはどうでしょう。最初の頃はそういうことにも興味をお持ちのようでしたが。例の空中浮揚も一時的に社会的な話題になったでしょう。ああいうパフォーマンスが大きな意味を持ったんじゃないですか。
(麻原)いや、それは違います。

(山折)どうもそれが、先程来のお話では全部仏教的に合理化されて説明されてしまったなあという感じがあるのですが。
(麻原)六神通の第一番目にくるのが浮揚でして目立つところではあるけれど、全てではない。後の五つの体験は全て内側ですから。私自身の体験、あるいは出口氏の全体験が仏教的な見地から全て説明できますから、仏教的な方に流れたのではなく、それによって自分の道筋を検討した方が間違いがないということですね。結局、私の説く教えというのは仏典の正確な翻訳からは抜け出さないのではないでしょうかね。

(山折)そうでしょうね。あまり原典がどうの、サンスクリット語が、パーリ語がどうのと言っていると、宗教運動のエネルギーはそれだけ衰えていくと、ぼくは思いますよ。それは、「オウム真理教」を教団として発展させる場合には、あまりおやりにならないほうがいいですよ。
(麻原)そうですか(笑)。ただ私は教祖であると同時に求道者でして、そこが出口王仁三郎氏と私の違うところではないでしょうか。出口氏は完全なる教祖だったと思うんです。
(山折)組織者でもあるしね。
(麻原)私にとってはヒマラヤにいって一週間とか一〇日とか瞑想する内側の体験の方が、やはりおもしろいですね。何度もインド、チベット、スリランカと訪れていますし、去年インドへは信者四〇〇人の大旅行もしました。
(山折)そこが「オウム真理教」のいいところですね。あくまで求道者というところがね。
                         (平成三年十二月二八日)
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2018/11/5

坂本墓参と12人  カルト・宗教・犯罪

11月3日、

いつものように鎌倉円覚寺の坂本一家の墓に、

皆で参ってきました。

坂本は今頃、何を、どう言っているのかな、なんて思いました。

いつか会えるんだろうな、と期待を込めて手を合わせました。

食事会では、母さちよさんの話も聞けました。

涙が出ました。


で、
http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-191.html
上記は、「是々非々にて候。」というブログの
「オウム真理教の教祖と信者13人が死刑になって迎えるこの日」
という記事です。

青沼陽一郎さんというオウム裁判を実に多く、着実に傍聴してきた方の記事です。
私とは、12人につき死刑とすべきだったかどうかにつき見解は違いますが、とても深い考察です。

もとより、「オウム事件真相究明の会」なぞという人らの底の浅さ、おぞましさについては全く同じ感想です。

どうぞご参考までに。
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2018/11/2

ハロウィンの仮装  日常のこと

 ハローウィンで「麻原彰晃」のお面が出るか、と気にしていた。今年死刑が執行され、まさにあの世の人だから。

 だけど、「麻原彰晃」はもともと幻です、存在しないのです。死んだのは松本智津夫。だから、仮面としてでも、出てこなくてよかった。

 まあ若い人は、1989末から90年2月に使われた「真理党」の麻原彰晃のお面は知らないのだろう。

 または、オウム集団や周囲の反応が怖くて、しなかった人もいるのかな。

 
下記は、1989年秋頃から始まった1990.2衆議院議員選挙で使われた麻原彰晃のお面です。
本人の左がマハーアングリマーラこと故宮前一明、右がミラレパこと、故新実智光です。

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2018/10/31

年金―素直に思うこと  カルト・宗教・犯罪

 「年金カット反対」の主張につき、乱雑にしていては、年金受給者層と若者の世代間対立にされてしまいましょう。

 2018年、国民年金平均は月55,464円、厚生年金は147,927円、後者の最高額は年間300万円ほどとある。企業年金などまであれば更にすごい話だと。

 若者は不安定雇用が多く、まともでない賃金の場合も多い。一所懸命働いている若者より、祖父母世代の年金額が多いのは、やはりおかしい、です。

 国民年金では生活できなさすぎだあ、増額を、まして減額はケシカラン
 しかし、一方で、高額年金について抑制する、
 若者対策を
と言うべきだろうと。

 軍事費増大はいかんが、高齢者率が確実にとても高くなるのであり、年金も健康保険も、支給総額は実に増大するばかりなのだ、と。
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