「大日本教育会・帝国教育会東京府会員ファイル23」
東京府会員

ファイル23:
清水 直義 (しみず なおよし)
(写真出典:東京市富士見尋常小学校編『創立五十周年記念誌』東京市富士見尋常小学校、1931年)
大日本教育会東京府会員・栃木県会員、帝国教育会東京府会員。明治16(1883)年の大日本教育会結成以来の古参会員。明治22(1889)年〜24(1891)年の栃木県会員であった期間を除いて、現存を確認できる名簿では東京府会員として名を連ねた。明治21(1888)年、議員に選挙され、初めて大日本教育会の役員を務める。明治22年6月には、『大日本教育会雑誌』第87号に論説「全国ノ教育家ニ望ム」を掲載、翌年の帝国議会開設をにらんで、各地の教育会を組織基盤として「教育党」を結党することを求めた。明治25(1892)年、評議員に当選。明治26(1893)年12月まで務めたが、同月の組織改革にともない落選。清水は、教育研究推進を目指す嘉納治五郎・野尻精一ら「官僚派」に対し、教育運動推進を目指す日下部三之介ら「政事派」の一人と見なされた。明治27(1894)年3月、日下部らとともに初等教育調査組合を設置、小学校教育法・幼稚園保育法および小学校教育の普及方法の研究・調査を目指した(ただし、活動実態は不明)。
明治29(1896)年11月、帝国教育会の結成準備をにらんだ評議員選挙で当選、明治35(1902)年まで歴任した。明治34(1901)年から36(1903)年にかけては、専任の常務委員を務め、帝国教育会の組織運営に寄与した。この頃、学制調査や小学校教導方法、公徳養成問題などで、原案作成などの重要な役割を務めた。明治38(1905)年12月、再び評議員に選挙され、大正3(1914)年まで歴任した。同年7月、それまでの功績をたたえ、謝状とカフスボタンを贈られている。
?年生〜?年没。小学校教員。明治10(1877)年6月、東京府師範学校第2期速成生(修業年限6ヶ月)を卒業した。同時期の東京府師範学校は、校長に田辺貞吉、教師として荻島光享・合志林蔵・須田要・多田芳隣・千葉実・中里亮・芳川脩平といった、後に東京教育会の創立・運営を担っていく人々がいた。
明治15(1882)年3月、清水は麹町区富士見小学校長に着任した。同年10月、「目下教育ノ急務ニ付建議」と題して東京府知事・芳川顕正に宛てて建議した。これによると、清水は、教員俸給給与規則の制定、定期試験を担任教員に任せないこと、師範学校速成生試験の改良を建議し、教員生活の安定、評価の公平性、教員の学術・授業法の質を確保することを求めている。清水は、同校小学校長を明治22(1889)年7月まで務めた。
明治23(1890)年1月の時点で、栃木県尋常師範学校教諭試補を務めている。明治24(1891)年まで同教員を務めた。明治25(1892)年には文部省普通学務局第三課属官を務めた。明治27(1894)年1月、日下部三之介らとともに中央教育会を創立、自らを大日本教育会から追い落とした教育研究推進派へ対抗するような動きを見せている。さらに清水は中央教育社を創立し、その社長に就任し、教員の地位向上を目的とした雑誌『中央教育』を創刊した。同誌は、明治28(1895)年1月に第22号発行予定であったことを確認できるが、その後どれほど続いたか不明である。明治28年12月には、芝区の鞆絵尋常高等小学校長を務めている。大正4(1915)年には、八丈島の大賀郷尋常高等小学校訓導兼校長を務めている。
清水は、多くの著作を残した。『試験之仕方』(明治21年)、『教員必携他山之石』(明治23年)、『単級教授法』(明治25年)、『尋常小学校教授例』(明治26年)、『国民必携軍艦』(共編、明治28年)、『五段法実地教育例』(明治31年)、『教育行政的小学校長及教員』(明治33年)、『簡便国民教育法』(明治33年)、『実験教室整理法』(明治33年)、『実験学校行政法』(明治34年)を著した。このほか、雑誌論説も多い。清水は、例えば『尋常小学校教授例』では、教育の学理と実際を区別して、実際を重んじ教授例をテーマとした。『教育行政的小学校長及教員』では、小学校は教育行政機関であり、小学校長・教員は単なる教授者ではなく、国家に代わって国民教育を行う教育行政者の一員であると断言している。
清水は、国家事業の代理人として小学校教員を位置づけ、学理よりも実際重視の立場から小学校教育を捉え、教員の地位向上のために教育会による教育関係者の団結を願った。大日本教育会や帝国教育会における清水の活動は、まさにこのような願いに支えられたものだったと思われる。
<参考文献>
『大日本教育会雑誌』『教育公報』『帝国教育』『教育時論』『職員録』
東京市学務委員会編『東京市内小学校名簿』東京市学務委員会、1896年。
東京市富士見尋常小学校編『創立五十周年記念誌』東京市富士見尋常小学校、1931年。
東京都立教育研究所編『東京教育史資料大系』第4巻、東京都立教育研究所、1972年。

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