road to truth

ひとりの人間の「真実の生き方」への模索の記録

 
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教育の緩慢なる死

小学生でも高学年ともなると、T・T(チームティーチング)は本来とは違った意味を持つようになる。もともとは理解の遅い子の救いの存在として「お助けマン」としての教師が存在するという意味である。ところが、テストの点数が大きな存在としての位置をしめ、それによって子ども達が序列化されるような状況においては、子どもがわからないことや理解が遅いことが、ある種の「問題」となり、T・Tの先生に教えられることはその子のプライドを傷つけるという意味をもつようになる。

Nくんは活発で行動的な子だが算数が大の苦手。ぼくも注意を払って算数の時間は手助けしてきた。ところが先日、ちょっとした小テストの自己採点のときのこと。もちろんテストなのでぼくは教えることも出来ない。彼の出来は最低のものだった。ちょっとしたことでの間違えもあったので「あっ、そこは約分しなきゃ・・・おしいね」などとしゃべりかけていたら、彼は怒ったような口調で「うっとうしいなぁ」とつぶやく。そして、「ねえ、なんでここにいるの?」という。「いて欲しくないの?」と聞くと、「どっか行って欲しい・・」と言われた。
それは僕にはちょっときつい言葉だった。彼らにとって邪魔な存在ならば何のためにぼくはここで働いているのだろう?と、ふと思った。
ずいぶんと考えた末に僕は、自分の「悪慣れ」というものに気づいた。彼の痛みを、いったいどれほど自分の痛みとして僕はかんじていたのだろう。鈍感だったからこそ無神経で状況に応じた対応ができなかったのだ・・ということに思いがおよんだ。
あの痛烈な一言を云った後、Nくんはわざわざあまり近づいてこない僕を捜して、「ねェ、何をすればいいの?」などと聞いてきた。それは彼が僕に示した優しさだと思った。それは点数では決して表すことのできない彼の心の美しさだった。

もしも教育基本法の改悪案が通ってしまったら・・・と考えてゾッとしていることの一つが、学校に、そして子ども達の世界に今より露骨にそしてあからさまに「競争」が持ち込まれるということだ。すでに教育基本法改悪の先取りのような事態が東京都で進んでいる。競争は教育成果の数値化を求める。学力テストの実施、区ごとの成績の公表。それによって「出来る区」・「出来ない区」があからさまにされた。子ども達が「どうせ俺たちは馬鹿の集まる区だから」と口にしていると聞く。区内では学校ごとの成績が公表される。成績アップのために学力テストの過去問に取り組ませているところもあるという。そんな中で、テストが「出来ない」子はいったいどんなつらい思いをするのだろう。どんなみじめな思いに苦しんでいることだろう。教育基本法改悪賛成の政治家達は少しでもその辛さを想像したことがあるのだろうか?

いじめ自殺が問題になっている福岡県も学力テストで子ども達を激しく競わせている県である。
文科省は「いじめゼロ」の数値目標を現場に求め、現場はただただ上に追従して子どもの実態を無視しながら「いじめゼロ」の報告を続けてきたという。教育がこどもの事実と真正面から向きあわなくなったとき、その緩やかな死がはじまる。
教育基本法の改定案が万が一通れば、それによって国の教育基本計画が策定されることになるが、それを答申した中教審は「教育目標」を「出来る限り数値化」して「達成度の評価を容易に」することを求めた。教育の緩慢な自殺のはじまり・・・教育基本法改悪は今週にも審議入りという。
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投稿者:eudaimonia
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投稿者:こういちろう
教育って数値として表せる部分よりも、数値化できない部分の方が断然多いんだけどなー。そして人間として大切な部分のほとんどが、数値化できない部分にあるという事実を一体どれだけの大人たちが認識しているのだろうか?(-_-)
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