2019/4/30
もしかすると細部においては間違った記憶かもしれないが、
いま失われぬうちに脳内に残された記憶をたどってみたい。
そしてブログという記録に残そう。
高校生の頃、図書室によく通っていた。
よく手にしたのは、土門拳の写真集だった。
夢中でページをめくっていた。
土門の写真の迫力に圧倒されていた。
土門の写真を通して社会を知り人間を知った。
学校の図書室の思い出といえばこれしかないといえるほど、
強烈だった。
図書に関わるもうひとつの記憶。
それは、父の書棚から勝手に高文研の教育実践の本を読んでいたこと。
「海になる序曲」など、僕はほとんど泣きながら読んでいた。
書店に行けば、国土社の雑誌「教育」を立ち読みした。
いま教育が仕事となり、
いま写真が趣味となっている。
あの頃感じたことがそうさせたのか?
もともとそれらに感じる心があったから今日に至ったのか?
どちらにしても、良い文化に出会えた事に
感謝は尽くせない。
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いま失われぬうちに脳内に残された記憶をたどってみたい。
そしてブログという記録に残そう。
高校生の頃、図書室によく通っていた。
よく手にしたのは、土門拳の写真集だった。
夢中でページをめくっていた。
土門の写真の迫力に圧倒されていた。
土門の写真を通して社会を知り人間を知った。
学校の図書室の思い出といえばこれしかないといえるほど、
強烈だった。
図書に関わるもうひとつの記憶。
それは、父の書棚から勝手に高文研の教育実践の本を読んでいたこと。
「海になる序曲」など、僕はほとんど泣きながら読んでいた。
書店に行けば、国土社の雑誌「教育」を立ち読みした。
いま教育が仕事となり、
いま写真が趣味となっている。
あの頃感じたことがそうさせたのか?
もともとそれらに感じる心があったから今日に至ったのか?
どちらにしても、良い文化に出会えた事に
感謝は尽くせない。

投稿者:eudaimonia