road to truth

ひとりの人間の「真実の生き方」への模索の記録

 
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己の良心にかけて(2)

1月13日の金曜日。今日、口頭弁論の日。
急いで仕事を切り上げ、名古屋地裁第二法廷へとかけつける。

裁判の傍聴の経験はこれまでにもあったが、当事者となり原告席に座るのはこの裁判が初めての体験だった。
しかも今日は原告側のニ列目。原告側弁護団のすぐ後に位置した。
被告の国側を真正面に見据え、しかも間近に対峙できる距離だ。
熱い思いを抱えた人々であふれる原告席・傍聴席。
報道関係者の姿もあった。

被告席には、国側代理人として5人が列席。その中央に冷淡な顔つきをした法務省の美人エリート官僚がいた。彼女を挟むかたちで座る能面顔の防衛庁の官僚ども・・・

裁判官3人が入廷。
緊張感の高まる中で僕は3人の様子をながめる。するとすぐそばの右陪席の裁判官がなぜか僕を一瞥。ぞっとするような冷たい視線だった。あれはいったい何だったのだろう?

我々の弁護団の弁論は完璧に近いものだった。

一人目の弁護士は、憲法第十九条が保障する「良心の自由」について、その権利のもつ重みと、人格の中心として築いてきた国民の「良心」が否定されつつある現状について、力強くしかも厳かに語った。
「まこと、こんな時のために人々に知性というものが与えられているのだ」と感銘するような理路整然とした弁論だった。

二人目の若い女性弁護士は、「戦争の加害者になりたくはない」という原告一人一人の悲痛な叫びを声を震わせながら紹介した。

かつて中国戦線で人間の殺戮に加わり、その後二度と戦争の加害者にならぬ、ただただそれだけを願い生きてきたという原告の叫び。
あるいは、沖縄戦での壮絶な祖母の戦争体験を受け継ぎ、平和の否定は自分の生き方の否定であるという原告の切なる思いetc.etc...

彼女は途中から感情を抑えきれなくなり、泣きながら話し続けた。
・・・が、能面どもは視線を落として書類をめくるばかりで、相変わらずの能面ぶりであった。

その言葉の重みに圧倒され、静まりかえる法廷。こらえきれずハンカチで涙をぬぐう人もいる。
憲法のこころが活きた人々の言葉として語られ、法廷でつまびらかにされていった。
このように歴史的で、感動的な弁論が聞ける中に自分がいられることを幸せに思った。

弁論の途中、バチっと冷淡美人と視線があう。冷たい目だった。瞬間、向こうが目をそらす。

原告とその弁護団以外にも、法廷で弁論に心を震わせていた人物がいた。「廷吏」のうら若き乙女。彼女が、2人の弁論にうたれ心を震わせていただろうことはその表情から手にとるようにわかった。
もしも、この「ドラマよりドラマチックな法廷」のありのままをたくさんの国民が目撃したとすれば、多くの人々のこころが揺すぶられたことだろう。

原告側の意見陳述は、国の行為が明らかな憲法違反であることを感動とともに明白にした。
これを裁かず、裁判所はいったい何を裁くというのだろう。

こうしてこの日の第一幕が始まった。しかしそれは、あくまでも狂騒曲の序曲にすぎなかった・・・


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投稿者:eudaimonia
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