road to truth

ひとりの人間の「真実の生き方」への模索の記録

 
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主と奴の弁証法

勝者と敗者。成功者と成功者に使われるものたち。
今の時代、特にこの国ではますますくっきりと分かれて存在していますね。

松下幸之助さん流にものを考えてみよう。

一握りの、人一倍の努力とひらめきを持ち合わせた人たちだけが、成功者となり地位と名誉と大金を手にすることができるが、平凡な大多数の人たちはたとえ毎日普通に一生懸命に働いたとしても、搾りとられる現実がまっているだけだ。

こういう俗論には、まやかしがたくさん含まれているけれども、それはさておいて。
ヘーゲルが面白いことを言っているのでそれについて少し考えてみましょう。



主と奴の弁証法のお絵かき21970


古代のギリシャやローマには、奴隷と奴隷主がいました。
へーゲルは「承認をめぐる闘争」の過程で、死の恐怖にたじろいで、相手への従属を受け入れて命を守ろうとしたものが「奴」となり、死の恐怖をものともせず、自分の栄誉や尊厳などという精神の価値を守り、そのために生き抜いたものが「主」となった。
そう述べています。
でも、ヘーゲルはそれだけでは終わらない・・
実はこの関係の中に、自立した自由な(近代的な)「個人」が形づくられていくきっかけがあると見たのがヘーゲルの最高におもしろいところなんです。
しかも、自立した自由な個人となる可能性を見たのは「主」ではなく「奴」の側なんです!!!


その理由は?

自由で自立的な「個人」として承認されるためには、狭い欲求やわがままを克服し世界に開かれた自分のありかたを形成する必要がある。それを、「奴」は労働を通じて実現してゆく。対象を直ちに消費せず、欲求を一時抑制し、労働によって加工し欲求を高次なものに高める。(それは意志を必要とする)
また、奴は主のために労働するのであり、自分の狭い欲求から解放され、広い立場に立つ。
それに対し、栄誉や尊厳といった精神的な価値に優れた人たちだったはずの「主」は、
そのあり方から必然的に、精神的な価値の発展から取り残されていくわけです。
こうして「主」と「奴」は逆転する。

「奴」は「主」との対立において自らを新しい時代にふさわしい人格に高める。
それは人類の種としての進化・発展の一過程といえるのでしょう。

冒頭にふれた現代の主従関係ともいえる「資本」・「労働」の関係。
そこにも同じことを私たちは発見することになるでしょうね。

一見すると、いまはみずぼらしい「奴」のようなあり方だが、未来のあたらしい人類となる準備がそこでなされているわけです。そのあたらしさとは何か。それは別の記事で。
われわれ庶民は、現代のマネーゲームに狂奔するようなお金持ちたちがどうあがいても手に入れられないものを、日々手にしているか、手にする可能性をもっているのです。

*この記事は哲学サークルの仲間でもあるmurataさんのブログの記事に触発されて書いたものです。参考文献「ヘーゲル用語事典」
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投稿者:eudaimonia
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