2009/12/24
今は亡き父は、ある日高校生だった僕にこんな話をした。
「世界を変える力をもつのは、キリスト教とマルクス主義だ」
家では口数の少なかった父だったから、その言葉は深く心に刻まれた。
数年後、父の言葉をあるマルクス主義者に伝えた時、
彼は、苦味を含んだ笑いを返してきた。
おそらくは、キリスト教をマルクス主義と並んで評価する考えを小馬鹿にしたのだろう。こうゆう類のコミュニストにはこれまでたくさん出会ってきた。
父の言葉をあるクリスチャンに伝えたこともある。
彼女は、言葉の中身も、父が伝えたかっただろう思いも、
真剣に受け止めてくれた。
それがとてもうれしかった。そんな記憶がある。
僕自身はマルクス主義の世界観を持って生きるようになっていった。
父からは何も知らされていなかったが、父もまたレッドパージと闘い、
労働組合運動の先頭にたって闘うマルクス主義者だったということを
死後になって知る。
そうした父の冒頭の言葉を、今僕は、父の思想の柔軟性と人間的な包容力を感じさせる言葉として受け止めるようになった。
30年ほど前、皮肉にもクリスマスの日に倒れ、かえらぬ人となってしまった父に、
2010年を迎えようとしている今、コミュニストもクリスチャンもその外のどんな考え方をもつ人も、力を合わせて平和のたたかいを、人々の生活と命を守るたたかいをすすめている姿を見せてあげたいと切に願っている。
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「世界を変える力をもつのは、キリスト教とマルクス主義だ」
家では口数の少なかった父だったから、その言葉は深く心に刻まれた。
数年後、父の言葉をあるマルクス主義者に伝えた時、
彼は、苦味を含んだ笑いを返してきた。
おそらくは、キリスト教をマルクス主義と並んで評価する考えを小馬鹿にしたのだろう。こうゆう類のコミュニストにはこれまでたくさん出会ってきた。
父の言葉をあるクリスチャンに伝えたこともある。
彼女は、言葉の中身も、父が伝えたかっただろう思いも、
真剣に受け止めてくれた。
それがとてもうれしかった。そんな記憶がある。
僕自身はマルクス主義の世界観を持って生きるようになっていった。
父からは何も知らされていなかったが、父もまたレッドパージと闘い、
労働組合運動の先頭にたって闘うマルクス主義者だったということを
死後になって知る。
そうした父の冒頭の言葉を、今僕は、父の思想の柔軟性と人間的な包容力を感じさせる言葉として受け止めるようになった。
30年ほど前、皮肉にもクリスマスの日に倒れ、かえらぬ人となってしまった父に、
2010年を迎えようとしている今、コミュニストもクリスチャンもその外のどんな考え方をもつ人も、力を合わせて平和のたたかいを、人々の生活と命を守るたたかいをすすめている姿を見せてあげたいと切に願っている。

投稿者:eudaimonia