road to truth

ひとりの人間の「真実の生き方」への模索の記録

 
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国民が自らを問い返さなければならないのではないだろうか

自公政権に対する審判が下った。
溜飲が下がるという思いが確かに僕にもある。
だが、それ以上に僕らは今、己に対して突きつけられていることがあることを忘れてはいないだろうか?

自公政治のいったい何に対してNOの声がつきつけられたのだろう?
麻生バラマキ政権へのNO!なのか?それとも、小泉構造改革に対するNO!なのか?
選挙結果に対する報道を見聞きしていてもさっぱり浮かびあがってこない。
それこそが論ずべき、最重要ポイントであるはずなのに!

もしも、景気や雇用対策・格差是正、教育費の援助・社会保障の充実への国民の切実な思いを真摯に受け止めるならば、「小泉改革」こそが断罪されたのだと考えてよいのではないだろうか?
ならば、4年前のわれわれ国民の選択こそが問われるのだ。
土下座する自民「大物」議員の姿を見て痛快に思っている場合ではないのだ。
われわれが支持したのではなかったのか?
われわれ国民のひとりひとりが今、自らを問い返さなければならないのではないのか?


感覚からの反発、生活実感からの反乱。それ自体は決して悪いことではないだろう。
だがしかし、あまりにも過去に対する総括があいまいすぎはしないだろうか?
あまりにも感覚的で、理性的には深まらないこの国の現状を危惧するのは僕だけなのだろうか?
これではまたぞろ、第二のコイズミが現れてもちっとも不思議ではない。

「民主党政権を見守る」などという態度は今すぐやめて、僕らにできることを直ちにするべきではないだろうか。
すなわち、過去の自分の選択と誠実に向き合ったり、今の不満の根本的な原因について冷静に考えたりすることだ。

他人に審判を下すために選挙があると思うのは現象にとらわれたものの見方で、実は、
自らのあり方を深め、自らを問い返すためにこそ選挙はあるのだと僕は思っている。


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投稿者:eudaimonia
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投稿者:eudaimonia
ちろさんからの「拍手コメント」紹介させて頂きます。

>4年前(と、ゆうより、ずっと)、ぢみんには入れてはいないけど、ちょいと耳が痛い言葉。でも、大切な事だと思いました。
私はと言えば、3万分の1の自殺者になりたくない!という危機感から、今回は小選挙区は眠主、比例区はこみゅにれっずに投票しました。

もう、ずいぶん前に感じるけれど、コイズミは出だしからキライでした。改憲派、靖国参拝議員はどうもすきぢゃないんデス。
あの頃コイズミ批判してたの、ちろが知る限りでは、大橋巨泉氏くらいだったような気が・・・。

自殺者ばかりが増え続け、中流、という言葉が消えかかってるこの10年で、みんな(生活者)は学んだのではないでしょうか?
どっちを向いて、何をしようとしているのかを見極めてから自分の未来を託す(投票する)。
今回の結果はその学びの結晶だと、信じていたいんデスガ・・・。
投稿者:eudaimonia
一方で「今日を生きるのに精一杯」というほどの生存競争の激化に恨みの声をあげながら、それを推し進めた新自由主義的政策推進者がいまだに賞賛されている現実。
別人格とはいえ、その人物の地盤看板を受け継いだ2世が小選挙区で当選したという現実。にわかには信じがたいほどの出来事だ。
いったい何故?
僕は、そのことを繰り返し、繰り返し問いたい。
前に務めていたある学校の校長が、
「われわれがこんなに忙しくさせられているのは、われわれに政治のことを深く考えさせないためではないか」と語っていたことを思い出す。

投稿者:介護員
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