road to truth

ひとりの人間の「真実の生き方」への模索の記録

 
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友人の価値

(8月10日、追記)

まさに、コペルニクス的転換!

K・マルクス「経済学・哲学草稿」にある「労働者の疎外」についての僕の理解は、180度間違っていた。
マルクスはこう言っている・・・「私的所有が疎外の原因である」
僕はなぜかそう思いこんでいた。
だが真実はこうである。
マルクス本人が書いている・・・「疎外が私的所有の原因である」
(「のちには相互作用」との文言も)

なぜ虚を信じ込んでいたのだろう?
その原因をいろいろと考えてみた。
哲学関連のあんちょこ本を信じ込んだことによるイドラ(先入観)。
マルクスが嫌うところの「現象にとらわれ、法則を見ようとしない態度」。
原本を熟読もせずに抱いていた固定観念、ソクラテスの言うところのドクサに囚われていた。それに対する充分な吟味もしてこなかった自分を恥じた。
他者の固定観念(ドクサ)を批判することは容易だが、自らの固定観念(ドクサ)への、自らへの厳しい吟味を行うことはとても難しいものだと思う。

コペルニクス的発見のきっかけは友人との「資本論」読書会だった。
友人からのレポートや問題提起、そして交わされる議論は、僕ひとりの力ではとうてい到達できない世界の領域まで自分を運んでくれる。

「我」にとって「彼」は、時には煩わしくもありながら、「我」を高めるためになくてはならない存在となる。
友人とはなんと有り難いものなのだろう。

追記、

A,「私的所有が疎外の原因」と、B,「疎外が私的所有の原因」この因果関係の逆転は何をもたらしたか?
Aの理解では、否定の局面だけを固定化してしまう。(歴史的に現存した共同体的所有の記述がないことも関わって・・・)
しかも、主体が人間に取って外部にあるもの(私的所有)であると錯覚する。その結果、人間の発展の過程として現状を把握することができず、疎外の止揚としての「共産主義」が、そうあるべき社会像・社会の期待されるあり方として理解されてしまう。
Bのように理解してはじめて、人間の弁証法的発展の一過程として現実をとらえ、
「疎外」の歴史的な意味を知ることができる。

若きマルクスの中に生きる「ヘーゲル的思考法」。
ヘーゲルを単純に否定したわけでなく、「弁証法的」に否定したのだということがよくわかる。



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投稿者:eudaimonia
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