2009/8/2
へたれ親父たち=不労所得によって享楽にふける連中やら、プチブル的意識を持つ労働者の中の「持てる階層」の増大は、マルクスにはすでにお見通し済みのことだったようである。
剰余労働の創出には「負の労働、相対的な遊惰(またはせいぜい非生産的労働)の創出が対応」している。この「負の労働」とは、まず第一に資本、次に資本とともにする階級、とくに「サービスする階級のうち資本ではなく所得によって暮らす」諸階級、つまり受救貧民と取り巻き連中などのおかかえもののことである。
労働が交換するものは「・・彼の生命を維持し、肉体的社会的欲求など彼の諸欲求一般を充足するための諸対象」であることである。このことは個人的消費生活に独自な生活・享受の論理が展開していく可能性があることを示している。
(鈴木敏正「主体形成の教育学」より。カギ括弧内はマルクス「経済学要綱」)
剰余労働の増大=自由時間の増加、消費生活の展開・・という労働者にとっての主体形成の契機となるべきものが我がものとして現実化されず、それさえもが資本に包摂されてしまったところに、プチ・ブルジョワ的労働者の創出と存在の根拠があるのであろう。
ところで、エンゲルス「イギリスにおける労働者階級の状態」には次のような一節がある。
労働者は日常生活においてブルジョワジーよりもはるかに人間的である。・・貧民は、富者が貧民に与える以上のものを、たがいに与えあう。・・労働者は自分自身のつらい運命を経験しており、したがって困っている人々に同情の念をいだくことができる。
労働者にとっては人間はだれでも人間であるが、他方ブルジョワにとっては、労働者は人間以下のものである。だから労働者のほうがつきあいがよく、親切であり、有産者よりも銭の必要にせまられているくせに、有産者ほど銭にがつがつしていない。
僕はこの一節がとても好きだ。
派遣労働者、期間労働者。究極の「疎外」=我が内側には絶対的貧困しかない。持てる物は何もない存在。
だが失っているからこそ得られるものがあるのではないだろうか。
その発達可能性はブルジョワ化した労働者よりもはるかに高い。
たとえば「臨時教員」という立場の教師は、正規教員よりもはるかに教師として発達する可能性を持った存在なのではないのだろうか。
「自分自身のつらい運命を経験しており、したがって困っている人々に同情の念をいだくことができる。」それゆえに・・
今を生きる子どもたちにとって何よりも必要なのは、自分の苦しみや悲しみに共感し、ありのままの自分を受けとめてくれる存在なのであるから。
人間は疎外を経験し、これに反発しつつ自分自身を創り出し、これによって自分自身を充足させる。疎外は現実に固有な否定であり、これが現実の推進的で創造的な原理となる。(「マルクスのマルクス主義」ジョン=ルイス)
1
剰余労働の創出には「負の労働、相対的な遊惰(またはせいぜい非生産的労働)の創出が対応」している。この「負の労働」とは、まず第一に資本、次に資本とともにする階級、とくに「サービスする階級のうち資本ではなく所得によって暮らす」諸階級、つまり受救貧民と取り巻き連中などのおかかえもののことである。
労働が交換するものは「・・彼の生命を維持し、肉体的社会的欲求など彼の諸欲求一般を充足するための諸対象」であることである。このことは個人的消費生活に独自な生活・享受の論理が展開していく可能性があることを示している。
(鈴木敏正「主体形成の教育学」より。カギ括弧内はマルクス「経済学要綱」)
剰余労働の増大=自由時間の増加、消費生活の展開・・という労働者にとっての主体形成の契機となるべきものが我がものとして現実化されず、それさえもが資本に包摂されてしまったところに、プチ・ブルジョワ的労働者の創出と存在の根拠があるのであろう。
ところで、エンゲルス「イギリスにおける労働者階級の状態」には次のような一節がある。
労働者は日常生活においてブルジョワジーよりもはるかに人間的である。・・貧民は、富者が貧民に与える以上のものを、たがいに与えあう。・・労働者は自分自身のつらい運命を経験しており、したがって困っている人々に同情の念をいだくことができる。
労働者にとっては人間はだれでも人間であるが、他方ブルジョワにとっては、労働者は人間以下のものである。だから労働者のほうがつきあいがよく、親切であり、有産者よりも銭の必要にせまられているくせに、有産者ほど銭にがつがつしていない。
僕はこの一節がとても好きだ。
派遣労働者、期間労働者。究極の「疎外」=我が内側には絶対的貧困しかない。持てる物は何もない存在。
だが失っているからこそ得られるものがあるのではないだろうか。
その発達可能性はブルジョワ化した労働者よりもはるかに高い。
たとえば「臨時教員」という立場の教師は、正規教員よりもはるかに教師として発達する可能性を持った存在なのではないのだろうか。
「自分自身のつらい運命を経験しており、したがって困っている人々に同情の念をいだくことができる。」それゆえに・・
今を生きる子どもたちにとって何よりも必要なのは、自分の苦しみや悲しみに共感し、ありのままの自分を受けとめてくれる存在なのであるから。
人間は疎外を経験し、これに反発しつつ自分自身を創り出し、これによって自分自身を充足させる。疎外は現実に固有な否定であり、これが現実の推進的で創造的な原理となる。(「マルクスのマルクス主義」ジョン=ルイス)

投稿者:eudaimonia