2017/4/30

「邪馬台国」はなかった  短歌

世間には「邪馬台国」論争というものがあるが、その大半は「邪馬台国がどこにあったのか」というものである。しかしながら私は、先日の古代史探訪会において「邪馬台国はなかった」という説を紹介した。もちろん私の説ではなく、古田武彦氏による同名の著書の紹介であるが、私自身もその内容に感銘を受けたので今では私の説でもある。

その内容は、「三国志」の中の陳寿が書いた「魏志倭人伝」の中に書かれている日本の古名は「耶馬臺(台)国」ではなく「耶馬壹(一)国」であることを何種もの検証作業を経て突き止めたものである。つまりそういう国は確かにあったのだが、その国名は「邪馬台(やまたい)国」ではない、「耶馬壹(やまいち)国」だという説なのである。

ところがこの度、石鎚山登山の帰りに高知市内に住む友人を訪ねたところ、そこに来合わせていたある人物が、さらに違う説を持ち出して熱弁されたのには驚いた。その方は元・高知県庁に勤務していた方で今は高知大学非常勤講師をされているH氏である。

その方の書かれた「耶馬壹国(やまとこく)」を読んだ。彼の説は、「魏志倭人伝」に書かれている日本の古名は「耶馬壹国」であるがその「壹」の読みは「いち」ではなく「と」であり、「耶馬壹国」は「やまとこく」と読むのだそうである。

朝鮮半島ではサイコロの目で「1」にあたる「壹」は「と」と発音するそうだ。「耶馬一国」説で有名な上記の古田武彦氏も橋詰氏に面会を求めてきたので東京で会ったところ、その説に感心してその正しさに脱帽したそうである。

この話を聞いて、私も即座に共感してしまった。つまり、どう考えても「邪馬台国」はなかったのである。これからは、私はあちこちでこの説の紹介者となり、「耶馬壹(やまと)国」説の流布・拡大に貢献したいものである。
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