2016/11/13

邪馬台国はなかった  短歌

先輩社長が主宰する「古代史探訪会」に加入させてもらってからは、我が国の成り立ちを記す神話やそこに登場する人物や場所に興味が湧いてならない。その中でも「邪馬台国」についてはその存在の有無や場所などについて諸説、諸論があり、かまびすしいばかりである。

しかしながら、その論争に横合いから大きな異論を唱える説を知った。それは古田武彦氏の「邪馬台国はなかった」という書籍である。古田氏によれば、「邪馬台国」の「台」は「臺」ではなく「壹」であることが、魏志倭人伝や後漢書の分析により検証されている。

それによると、「壹」の読み方は「いち」ではなく「ゐ」であるので、「邪馬壹国」は「やまゐ(い)こく」ということになる。つまり、「邪馬壹国」にあたる国はどこかにあった(古田氏によれば北九州)ものの、「邪馬台国」という名前の国はなかった、との主張なのである。

この説は近年発表されたものではなく1992年に発表されたものである。にもかかわらずこの説がいわゆる定説になっていないのはなぜだろうか?それは古田氏がいみじくも指摘しているように、大和朝廷が日本の始まりとする考え方、つまりは「やまたいこく」と「やまと」を何とかして結びつけたいと考える人達からみれば不都合だからであろう。

しかしながら、私は彼の丁寧な分析と真摯な研究姿勢に共鳴した。これに伴い「邪馬壹国」の場所についても、「何となく」の大和説から彼の主張する「九州説」に転向することにした。

「何気なきこのひとときを楽しめる死の淵を見て還りしゆへに」



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