2016/2/25

妻の短歌を手伝う喜び  短歌

最近、たまにではあるが妻が短歌を作っている場面を見ることがある。私が我流ながら七年間くらいやっているのを見て、楽しそうだなと刺激になったのかもしれない。もちろんまだ始めたばかりだから、できばえはというと私にさえ及ばない程度だと感じられる。

それでも私は何となく嬉しさを感じた。それは、一つには夫婦で同じ趣味を持つことができたからである。趣味が同じなら必然的に会話の回数が増えるし、その会話の中に彼女の喜怒哀楽とその理由がわかるからである。さらには、彼女の詠む歌には最近は前向きなものが増えているように感じられるからである。

折も折、今朝も一首の歌を私に突き出して、推敲をしてくれと言うではないか。それは、眼前にそびえ立つ生駒山をモチーフとして、力強く生き抜いて行こうという内容の歌であった。文法や用語にも問題がないだけでなく、私はその内容に感動して、何も言わずに妻に返した。

難病と闘いながら、自分の足元や口元が思うようにいかないことが多いので、ややもすると投げやりな言動になりやすい場面が多いだけに、この姿勢は彼女が生きる力を絞り出していることをひしひしと感じさせる。彼女ですら年々弱りゆく自分の体力と闘っているのに特に健康不安のない私がへこたれてどうするんだ、という声がどこかから聞こえてきそうである。負けずにがんばろう。

「我が妻の詠める短歌の推敲は誰(た)のためならず我れのためなる」

「我が妻の詠める短歌はできよりも心根にこそ真価を認む」
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タグ: 短歌 生きる力 覚悟



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