2015/10/23

作詞も自由になったものだなあ  短歌

最近の音楽を聞いていてつくづく感じるのは、作詞はずいぶん自由になったなあ、ということである。例えば、AKB48が歌っている今の朝ドラの「あさが来た」の主題歌にしても、「365日」などということばが何とも問題なくサラリと歌われている。

私が知る一昔前なら、作詞にはきちんとしたルールというものがあって、例えば一つの音には一つの文字が振りつけられていなければならない、というような暗黙のルールのようなものがあったと記憶している。

また、メロディーと歌詞の関係についても、そのことばが日常会話で話されるイントネーションと異なるメロディーは使わないことが原則だ、と聞いた記憶もある。そういう原則に沿うならば「365日」などということばは非常に扱いづらいものであったに違いない。ところが現実にはサラリと歌われているのである。

近年は様々なものが過去からの通例や法則を無視したり新たなルールで作られたりしている例を見聞する。しかしながら、これらのことは進歩や進化のためには必ずしも否定や非難をされるべきではなく、むしろ固定観念を外した斬新な試みと捉えるべきなのかもしれない。

何でもかんでも理屈や論理で捉えるだけでなく、新境地を拓くには感性で捉えることも必要なのかもしれない、と感じた次第である。

「いにしへの例やルールにこだはらず感性により境地を拓け」

「快感は理屈や論理によらずして感性により得らるるものを」
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タグ: 作詞 朝ドラ 主題歌



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