2014/9/2

431年目の真実  短歌

すごい本に出会った。明智憲三郎の書いた「本能寺の変ー431年目の真実」である。名前からもわかるように、著者は明智光秀の末裔である。この本は430年前の発生の直後から伝えられてきたあの本能寺の変にまつわる様々な定説を根底から覆すものであり、書籍として興味深いだけでなく歴史書としても価値のあるものである。

彼が覆した事実はいくつもあるが、例えば光秀が愛宕神社で催した連歌の会で詠んだ歌とされる「ときは今雨がした知る五月かな」は間違いで、「ときは今雨が下なる五月かな」が正しいのである。それは明智氏の源流である土岐氏の凋落ぶりが甚だしい状態を嘆いたものである。そして2句目の愛宕山威徳院院主の行祐の脇句も連歌師の紹巴の3句目も、それぞれ光秀の嘆きをなだめると共に激励し、世の中が平らかになることを望んでいるものである。これらのことを著者は数々の文献を比較検討し分析して明らかにしているのである。

それだけではない。こういう緻密な調査と分析を通して著者は、本能寺の変は実は信長が家康を安心させて本能寺におびき出し殺そうとした計画を、それを密かに命じられていた光秀が横取りして実行したものであると断定しているのである。その理由は、光秀が親しかった四国の長宗我部氏を支援することと、自分の手で戦乱のない世の中をつくりたかったためであるとしている。しかも光秀から相談を受けて知っていた家康も予め伊賀者を味方につけていたために、堺から比較的安全に三河まで逃げられたのである。

何とまあ、これまでの定説を真っ向からひっくり返す説ではないか。しかしながら、そう考えるとこれまでの定説では説明のつかなかったいくつかのことの説明がつくのである。しかも最近になって、この説を裏づける文書が見つかったとされている。従って恐らくはこの説こそが真実らしいのである。これがこの本のすごいところである。

ではなぜこれまでの定説ができあがったかと言うと、秀吉が自分の天下を確定させ正当化するために事変後すぐに出した「惟任退治記」に、当然ながら自分に都合のいいように書かせたものが、江戸時代になって流行った講談によりさらに面白おかしく誇張して伝わったためである。

読んでいて、次々と納得できる点が見つかるこの本は絶対お奨めのすごい一冊である。

「不明なり歴史の中の真実は勝者によりて創られしゆへに」

「光秀の願ひ虚しき本能寺 四百年を経て明らかに」

「四百年を経て明らかに本能寺 変の企ては信長なりと」
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