2013/5/16

万葉学びの会  短歌

生駒市の広報紙に万葉学びの会のバス旅行の案内が出ていたので、参加してみた。生駒市にあるこの会では毎月1回のペースで会合を持ち、年に1回は今回のようなバス旅行を計画しているそうだ。

今回のテーマは悲運の皇子とも言われる「有間の皇子」のゆかりの土地を訪ねるバス旅行であった。有間の皇子は、640年に孝徳天皇の皇子として生まれ、その後大化の改新を成し遂げた中大兄皇子(のちの天智天皇)との皇位継承問題に巻き込まれて658年に数えの19歳で絞首刑に処せられたという悲運を負っている。

その舞台となったのが、南紀(和歌山県の南部)にある南部町の岩代と、紀北(和歌山県の北部)にある海南市の藤白であり、それぞれの場所で詠まれたという次の二首は極めて有名である。私は和歌山出身なので、この歌は何となく覚えてはいたが、その歌が詠まれた場所に行くのは初めてのことである。

「岩代の浜松が枝(え)を引き結びま幸(さき)くあらばまた還(かへ)り見む」

「家にあれば笥(け)に盛る飯(いい)を草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る」

バスは先ずは梅干しで有名な南部(みなべ)町の岩代海岸に行った。そこには熊野古道の休憩所の一つである「岩代王子」がぽつんと残されていた。そこで昼食を摂り、その後北へと戻りながら阪和高速道の海南インターチェンジのすぐそばにある藤白神社とその境内に建てられた有間の皇子神社、およびその近くにある有間の皇子の墓にお参りした。

聞けば、有間の皇子の私邸は私が住む生駒市の壱分町にあったそうである。近くの無量寺というお寺のすぐ脇の竹薮がその跡地だと伝わっている。これも何かの縁であろうか。

何ごとにおいてもそうだが、歴史の現場に足を運んでそこの空気をかぐことは理屈抜きで緊張し感動するものである。ましてや何でもインターネットで知ることのできる現代ではなおさらのことである。今回もまた、歴史の現場で足のすくむ思いをすることができた。

「雲白く空いや青き岩代の浜松ヶ枝に皇子(みこ)の想ほゆ」

「藤白に熊野古道を訪ね来て有間の皇子の無念を想ふ」

 南部町の海岸近くの岩代王子
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 岩代王子の祠に供えられたご飯は、やはり椎の葉に盛られていた
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