2010/3/26

高津宮の献梅碑  短歌

最近は車でなく電車での移動が多いので、街を歩いていると色々な発見があり、ちょっと得をしたような気になれる。昨日は大阪市内南部の高津宮の前を通りかかる機会があったので、初めて境内に足を踏み入れてみた。入口の広さの割には、また街中の神社の割には境内は意外に広い。私自身は、この神社のことは文楽や古典落語などによく取り上げられている神社として名前くらいしか知らなかったのである。

高津宮は、浪速の地を都と定めた第16代仁徳天皇を祭神とする神社である。天皇が高殿に昇られ人家の炊煙の乏しいのを見られて人民の窮乏を察し、直ちに諸税を止めて庶民を救済したという話はよく知られている。その仁政を慕い、平安初期の清和天皇が貞観8年(866年)に勅命によって築殿したのが始まりで、1583年に豊臣秀吉の大阪城築城に際し、比売古曽社の地に遷座となり現在に至っているそうだ。

境内をゆっくりと歩いていると、本殿の南側に献梅碑があった。我が国に論語十巻と千字文一巻を伝えたとされ百済から日本へ帰化した学者である王仁(わに)博士が、梅花に和歌を添えて仁徳天皇に奉ったという故事をもとに、毎年二月十一日に献梅会の氏子らが梅花を神前に奉納しているらしい。その石碑の説明文にあった王仁博士の歌が下記のもので、大阪市の市歌ともなっているものである。

   「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」

境内にはもう、梅ならぬ桜がみごとに咲きはじめていた。


「難波津を詠へる歌の多くあり文化の香り未来へ継がん」

「谷町を西へ歩きて高津宮 和仁博士らの遺徳を偲ぶ」
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