2010/2/18

違和感のある表現  短歌

最近少し違和感があり気になる表現がある。それは、ストレートな表現を避けて婉曲的に伝える間接的な表現である。それは色々なCMなどにおいて見られることが多い。例えば、某ガス会社の「ガスでいいみたい」というCMである。一昔前ならせいぜい「ガスがいいですよ」のような表現が多かったのだが、最近はこのように「みたい」など断定を避ける表現が目立つ。

そういえば若者達のことばも間接的なものが増えている。「○○みたい」とか「○○かも」とか「○○のほうへ」という表現がそれである。いかにも婉曲的な話法である。また「○○です」と言えばいいのに「○○になります」とは何か違和感を感じる。別に何かが何かに変化や成長をするわけでもないのに「なります」とは何ごとかとイライラしてくる。

背景には、直接的な表現を避けて相手から嫌がられないようにとの意図があるそうだが、何やら最初から対決を避けて思っていることを明確にしないのは、ある面で卑怯だと思う。ひとたび自分の口から発するからにはもっと自信を持って発言してもいいのではないかと思えてならない。

若者達がそういう表現をすることにはまだ許せる面は残るが、ガス会社のような大手企業までが「大衆迎合」することには納得できないものがある。こういう大衆迎合が日本語をおかしくしているように感ずるのは私だけなのだろうか。

「大衆と意識を合はせる大切さ迎合するとは一線画す」

「婉曲な間接話法は尊ひが度を過ぎたるは嫌みと映る」
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