2020/12/31

中央集権と地方分権  短歌

世の中には中央集権でやるほうがいいことと逆に地方分権でやるほうがいいことに分かれるように思う。要は、どちらかでなければいけないということではなく、ケースバイケースだということである。例えばコロナ対策にしても、国と知事との間で責任のなすり合いのような場面を見かけるが、これは国で一括したほうがいいことと各都道府県ごとに実施したほうがいいことが明確になっていないからである。

コロナ対策の一環で給付金の支給が始まった時に、自治体によって対応や支給時期がまちまちであったり遅かったことへの反省から行政システムの統合が打ち出されたが、これなどはシステムなのだからトップダウン式に国としての基幹システムをまず開発し、その概要を各自治体に示しつつ自治体が枝葉となるサブシステムを構築すべきなのに、それが真逆になって各自治体が先行して構築したシステムをあとから統合しようとしている。これでは手間と時間がかかり過ぎる無駄を生み、でき上ったシステムも複雑なものになり重たいものになってしまう。

同窓会においても同じことが言える。我が母校の同窓会の年会費は歴史的に各支部が徴収することになっているが、情報交換のために先日訪問した滋賀大学の同窓会では年会費は本部が徴収しているし、他の大学もほぼそのパターンが多いようである。そのメリットとしては、まとまった資金を活用して同窓会全体の施策として母校や学生のための支援策を様々に展開できるし、各支部は会費徴収という手間を負わなくて済む一方で本部から按分される割り当て金を自分の支部のためにも使えるのである。ところが、我が同窓会では今さらその仕組みを変えようとすると、たちまちに本部の強権発動に反対、という声が沸き起こってしまうから簡単には変えづらいのである。

およそシステムや仕組みというものは、あとから変えようとするともめごとのタネになるだけであるので、初期の段階で後々のことを考慮した枠組みを構築しておくことが重要なのである。最近のできごとからそういうことを学び直した。
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