2021/4/12

後世に残る仕事をができて幸せだったなあ  短歌

現役会社員の時代に手がけた仕事の中で今も残っていている仕事が2つある。それは半導体IC回路研修と健康イキイキ教室である。

前者は、三十代初めに技術本部時代に手がけた仕事である。微分積分を中心とする数学的な内容により電気電子系の理系新入社員に半導体IC回路の基礎を教える研修を開発してもらい、その後は社長の指示のもとにそれを現役の技術者にも広く学ばせる事務局を担当したのだが、それが後には同社のホームページを通じて社外にも販売されていたのを知った。驚きとともに、そういう仕事に関われたことに対して思わず小さなガッツボーズが出たことを今も鮮明に記憶している。

後者のほうは、同社での最後の職場である健保組合での保養所での仕事である。宿泊利用者数が伸び悩んでいた時、利用状況の数字を分析してみたら平日の利用が極めて少ないことがわかった。平日にでも宿泊できるのは定年退職者とその家族しかいないので、その人達に喜んでもらえるメニューとして開発したものである。内容は施設によって違うそれぞれの特性を生かしたものであった。

例えばチャペルを持つ保養所では、そこで季節に合わせた懐かしの童謡やクリスマスキャロルを聴いてもらい最後の数曲は宿泊者にも一緒に歌ってもらってから夕食に入るとか、茅ケ崎の保養所では昼間に近くの浜辺で地引網を体験してもらい、そこで獲れた新鮮な魚を夕食に提供する、翌朝は江の島までのウォーキングを楽しんでから富士山を背景に記念写真を撮って記念品としてプレゼントするなど、主に体験型の内容であった。

言い換えると「モノ」ではなく「コト」でお客を呼ぶ仕組みを開発したものであったが、つい先日たまたま保養所のホームページを見たら、まだその仕組みが残っていたのである。

保養所に関してはこのほかにも、他の健保組合との相互利用を実現したことがある。東日本の健保組合と西日本である当社の健保組合が地域を補完する形で相互乗り入れを実現したもので、これは日経ビジネスにも掲載されたことがあり、結構長く利用されていた。

このように、後世にも残る仕事、新聞や雑誌にも掲載される仕事に関われたことは、私にとって担当者冥利に尽きるできごとであり、誇らしい小さな自慢である。
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2021/4/9

経営者の理念が大学を改革するだろう  短歌

昨日はかつての勤務先の知人からの案内にお応えして、京都市京セラ美術館で開催されている「山岳写真展」に出かけた。200点近い作品の中でも、北アルプスやペルーでの稀有な瞬間を記録した知人の作品はひときわ光っていたように感じた。

その帰路の地下鉄内の壁面広告にふと目が止まった。それは日本電産の永守会長が理事長を務める京都先端科学大学の広告であった。

永守理事長の先進的な考えは新聞などにより知り共感も感じていたが、この学園が中高大の一貫校であることは初めて知った。

偏差値に基づく既存の大学のあり方を否定して真に考える力や自律する力を提唱する永守理事長の理念には大いに共感できるものがあり、密かに応援していた。

経営理念が明確で、具体的な目標を持ち、プロの経営者が運営するこの大学は、国内ではなく世界を見据えている。この大学は数年後から数十年後には必ずや大きな成果を残すに違いない。

 京都市京セラ美術館の外観
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 京都市地下鉄内の壁面広告
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2021/3/30

今年の桜は10日以上早いぞ  短歌

写真は3月30日現在の竜田川沿いの桜である。ほぼ満開といってもいいくらいの見事さである。聞けば東北の福島県や宮城県でも満開の場所があるという。これは過去にも例がないそうだ。地域のより多少の差はあるものの、例年よりは概ね10日以上は早いらしい。

地球温暖化が叫ばれて久しいが、かつてとの違いがこれほど明確に表わされている事例は少ないのではないだろうか。それだけに温暖化を強く実感してしまう。

一方では、一昨日から昨日にかけての黄砂の飛来は例年になく広範囲に及ぶようで、これも東北地方にまで広がり、特に福井県など日本海側では黄砂の量がひときわ多いと報道されている。

ともあれ、桜は春の訪れを間違いなく知らせてくれる役割を忘れていないようである。望むらくは、次の日曜日である4月4日くらいまでは散らずに我々の目を楽しませてほしいし、できれば入学式のある4月5日までは持ちこたえてほしいものである。

 竜田川沿いの桜並木(壱分橋付近)
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タグ: 竜田川  満開

2021/3/22

NHKはNHKらしくあれ  短歌

いつも楽しみに観ていたNHKの「ルソンの壺」が昨日で終了した。ちょうど14年間の歴史だそうだ。かつては毎週放送されていたこの番組もこの1年くらいは月に1回の放送に変わっていたからもしやとは思っていたが、案の定であった。

そういえば、似たような番組は民放を中心にたくさんある。「カンブリア宮殿」や「ガイアの夜明け」、「小さなガリバー」などがそれである。中小企業に絞ったものや、製造業に特化したもの、広く全業界からピックアップしたものなど様々がある。

いずれにせよ、それらは最近の「ルソンの壺」よりは面白い。だから今でも毎週放送されている。なぜそういう違いが生まれてきたのかを私なりに考えてみたが、それは企画力の違いではないだろうか。

現に「ルソンの壺」のコメンテイターは何度か入れ替わったが、年を追うごとに小粒になってきていたように感じる。またチームの総力を挙げて創っている番組と個人的な能力やセンスに頼っているかの違いでもある。だから企画力に差が表れているのではないだろうか。

その「ルソンの壺」も、社長の決断の2つのケースを紹介した最終回だけはまずまず面白かった。しかしながら上記の民放番組にはほど遠い。NHKは、NHKらしい番組、NHKにしかできない番組に特化すべきであろう。
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2021/3/9

明るい人と明るすぎる人  短歌

大阪府の緊急事態宣言が解除されたあと、昨夜は久しぶりに居酒屋での外飲みを経験した。早い時間帯のお店は客もまばらだったが、19時を過ぎると次第に活気を帯びてくる。

その中で元気がいいのはやはり若い人達である。若い人達が元気な国、元気な時代でないと発展は望み得ない。それはそうなのだが、一つ気になったことがある。それは、やたらに明るすぎる人が多いなあ、ということである。

例えばそれは、急に大声で叫んでみたり、信じられないような大声でけたたましく笑ったりする若者達の存在である。それは決して周りのことを斟酌したり配慮したりしているとは到底考えられない態度なのである。それはもう、周りや他人のことを忘れ切っているとしか考えられない行動である。

言うまでもなく、明るいことはいいことである。ただし、何ごとも過ぎたるは及ばざるが如しで、明るすぎるのは周りを不機嫌にさせるし不安にさせることさえある。

明るいことと明るすぎることとは違う。何ごとも程度問題ということなのではないだろうか。
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