2019/1/15

尼崎城の再建を喜ぼう  短歌

たまに神戸方面に出かけるが、そういう時に利用するのは阪神電車であることが多い。それは身近な近鉄電車が阪神電車に乗り入れているため三ノ宮まで乗り換える必要がない便利さからである。難波から阪神線に入り、尼崎駅で梅田からの阪神本線と合流する。その尼崎駅でふと左側を見て「おやっ」と思った。そこに真新しい小さなお城の天守閣が見えたからである。

先日の新聞にも紹介されていたので、それが「尼崎城」であることを知った。阪神電車の尼崎駅から南東に歩いて約5分の川沿いの、市街地からもほど近い公園にあり、全国的にも珍しい四重の天守閣が姿を見せている。昨年11月末に完成し3月29日から一般公開されるらしい。天守閣は鉄筋コンクリート製の高さ約24mである。

尼崎城というのは、江戸初期に尼崎藩主であった戸田氏鉄の居城として築かれたが、1873(明治6)年の「廃城令」により取り壊されていたものである。江戸当時の城跡からは少し離れた場所に再建されたものだが、10数億円の建設費用は家電量販店の旧「ミドリ電化」を尼崎市で創業した安保詮氏が私費で拠出し、完成後に市に寄贈されるらしい。

昔からお城好きな私なので、完成したら早速に出かけてみたいものである。
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2019/1/11

市役所と郵便局  短歌

先日の母の逝去に伴う諸手続きのため市役所へ出かけた。高齢者保険、介護保険、年金などである。初めのうちは順調に進んだのだが、年金課のところでつまづいた。手続きのために、亡くなった人の住民票除票や所帯員全員の戸籍抄本を出せという指示である。当方としては、既に死亡届を出しているし、その情報やデータは既に市役所のデータベースの中にあるはずである。なぜその情報やデータが市役所内で共用されていないのか?マイナンバーは何のために導入されたのか?

不承不承で市民課に行って必要書類の手続きを始めたが、年金課でもらった指示書類を確認のために市民課で見せても担当者は自信のなさそうな顔で「この書類でいいのですか?」と逆に聞き返してくる始末である。手続き書類の表現についても各課ごとに違っていて、標準化されていないらしい。おまけに3種の書類で1050円も取られ、その後また年金課に戻って提出したので、時間も予想をはるかに超える長時間かかった。

あまりにも「生産性」が低すぎるし、市民本位の業務のやり方とは到底思えない。このICT時代なのだからもっとデータを共有していけば職員の数は半分以下、3分の1以下で済むのではないか?まさにこんな仕事のやり方こそAIに取って代わられる代表格であろう。

ムカムカする気持ちで次は郵便局へ向かった。使わなかった250枚の年賀ハガキを「寒中見舞い」として使いたいため通常のハガキに交換するためである。言う必要はないとは思ったのだが、こんなにたくさんの年賀ハガキを未使用で交換するのだから少々気後れして、母の死亡が理由で使わなかったんですと告げると、担当者は1枚の書類を出してきて私の氏名や亡くなった日付を書けという。

またまたムカッとしかけたのだが、よく聞いてみるとこういうケースでは1枚5円の交換手数料はいただかないことになっているので、そのための書類だというではないか。金額にすればたった1250円のことなのだが、何となくほんわか温かい気持ちになった。郵便局も民営化してから10年以上たつが、ようやく市民本位、顧客本位が身についてきたのを感じた。

私の持論どおり、市役所をはじめとするお役所やその関連団体は一日も早く民営化すべきだなあ、と改めて確信した一日であった。
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2018/12/31

母の旅立ちを見送った日  短歌

歳末も押し詰まった12月28日(金)の午後、母保子が逝去した。93年半の生涯であった。思えば、和歌山市の実家からこの生駒市に転居してから11年、その間7年半は我が家に同居し最近の3年半は近くの老人ホームに入所していた。

私が母親と同じ家で一緒に過ごしたのは、大学卒業までの22年間と生駒市での7年半、合計29年半である。私の70年の人生の半分に満たないが、母の遺影を目の前にしてしげしげと眺めていると、私の性格は父親似だが、顔は母親に似ていたなあとつくづく思う。

実は、一月くらい前から母の体調が思わしくなく、何時なんどき何がおこるかわからないですよ、と老人ホームの責任者から聞かされていたのである程度は覚悟はしていたものの、実際にそれが起きてみると何とも言えない気持ちになる。

幸か不幸か、亡くなった日は仕事納めの日のしかも午後だったので、私の仕事や得意先にはほとんど迷惑をかけることなくて済んだ。母の身の上に何が起きるか見極めるため、年賀状もギリギリまで印刷せずにいたのだが、この点でも混乱を避けることができた。

亡くなるときもまさに眠るように安らかに息を引き取ったことはせめてもの慰めになるし、私の子供時代だけでなく亡くなるときまで実に息子思いの母親であった。また誰に対しても気を使い、迷惑をかけることを嫌った母らしい亡くなり方であったと言える。

本日12月31日に母保子の旅立ちを無事に見送った。母の冥福を心から祈るものである。
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2018/12/25

電車の座席の座り方の不思議  短歌

ふと気になったことだが、始発電車が入線して乗客が我れ勝ちに座るのは、なぜかシートの端の席であることである。寒いこの時期では多少は例外もあるようだが、ほとんどの季節においてこの傾向は変わらない。その理由は何だろうか? すごく気になった。

両側を他人に挟まれるのが嫌なのか、降りる時にドアから近いからなのか、他の人がそうしているから何となくやっているのか、またはその他の理由なのだろうか?とにかく気になるのである。私の知る範囲では、この傾向は関東でも関西でも違いはないようだ。

地域差がないとすれば、人間としての本能というか感覚的な理由なのだろうか?しかしながら男性と女性による違いも感じられないから疑問はますます深くなる。

こんな他愛もないことに関心を持ったのは、最近「考えるとはどういうことか」という哲学の本を読んでいたせいかもしれない。「0歳から100歳までの哲学入門」という副題のこの本は、身の回りの些細なことに対してでも素直な疑問を持ち、その理由や背景について考えることを推奨していた。

何の役にも立たないことではあるが、考えるトレーニングにはなったかもしれない。
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2018/12/19

声音と発声について  短歌

ある居酒屋で一人で飲んでいたとき、背後から聞こえた声が昔の上司の声に似ていたので、思わず振り返った。しかしそこにいた人は全くの別人であった。不思議なこともあるものである。

よく似た声を出すためにはその発声方法もよく似ている必要があるだろう。しかしながら、同じ発声方法だからと言って同じ音声になるわけではない。もしそうでないなら、世の中には同じ声が溢れるはずだからである。

だとすれば、音声の要因には発声の方法だけでなく、その人の口の形や骨格、体格なども関係しているのだろうか?

その関連で言えば、顔や体格などの見た目とは全然違う声を出す人もたまにはいる。あれは聞く側の人が、見た目で予めその相手の声を予測しているからだろうか?あるいは、人の見た目で、こういう声だろうと決めつけや思い込みを持っているのかもしれない。

いずれにしても、人の声というものはなかなか奥が深いようだ。
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タグ: 声音 発声



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