毎年 正月には、普段 忙しい両親も姉もが集まり一緒に食事をするのが慣わしでした。祖母と両親、姉と私の5人家族で、戦後の食べもの事情の悪い中でも、家族で囲む食卓はにぎやかで、父の満足そうな顔を見るのは、それだけで正月を感じたものです。
食卓を囲んで家族のミユニケーションを深めてゆくことは大切だと思って、私も父に習って年の初めの正月行事として、1日だけは2人の息子たち夫婦や孫たちと一緒に家で食事をしてきました。
ところが昨年も今年も、お節料理を例年通り用意したものの、新型コロナウイルス感染防止で一同に会えないことから、家族が一緒に食卓を囲むことはなく、食を通してのコミユニケーションを取り戻すには、早い終息宣言が出ないものかと思っています。
それでも、東京に住む息子からZOOMで顔を見て話そうとメールが入り、早速パソコンのスイッチを入れ、食卓を囲む息子夫婦と孫達の顔を見れば安心で、おそらく息子から見る私の顔は、私が見た父の顔のように、満足に映っているのかもしれません。
パソコン画面に映った1枚板の大きなテーブルを囲んで、次々と顔を出す孫たちの元気な姿に、コロナ禍前の元旦で囲んだわが家の食卓を思い出していました。
子どもたちが独立し、それぞれの道を進んで家を構え、とても嬉しいことですが、最近では顔を合わせることが少なくなり、「コロナ禍だから仕方ない、これで良いのだ」と自分に言い聞かせ、便りが来るのを心待ちすることが多くなりました。

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